断章5 ティンダロスの標的

 いつも二人が別れる交差点

 その交差点でそれは起きた。


「藤原さん!」


 二人がわかれた直後、間男が振り返り、彼女の名を呼ぶ。

 その声には、あの惰弱な男とは思えない真摯な響きがあった。


 そして振り向く、彼女の顔

 

 その驚いたような、困ったような、そして、嬉しそうな笑顔を遠くから見て、ヤバいと思った。


 これ以上、二人が一緒にいたら、彼女は完全に奪われてしまう。

 

 そんな事を認められるはずがない。


 俺が



 俺が



 俺が先に好きだったのに……!


 二人が恥ずかしそうに何かを話している。

 おそらく告白しいているのだろう。

 

 二人は顔を赤らめ……

 

 ……二人は手をつなぎ、どこかへと歩いて行った。

 


「ちくしょう!」


 俺は、愛の猟犬の箱を起動した。


 箱が割れ、四足の異形の獣が姿を現す。

 フォルムは犬だが、全身から青色の腐臭漂う液体をたらしていた。

 これが犬のわけがない。


 腐臭を漂わせたその姿に、嫌悪感と恐怖で気を失いそうになりながら、俺はティンダロスの猟犬に指示をする。


「あの男を! えっ」


 俺は気が付いた。

 

 猟犬が俺を見ていることを……


 なぜ、俺を見ているんだ。


「ヤハリ、アナタノ思イハアイデハナイ、タダノ妄想ナノデスネ」


 どこからかナイアルラトホテップの声が聞こえたが、反論する余裕はなかった。

 

 俺は必死にダッシュした。

 

 物語でよんだティンダロスの猟犬なら、瞬殺されるかもしれないが、まるで嬲っているようで、何度かかわすことができた。


 逃げなきゃ


 逃げなきゃ


 逃げなきゃ


 背後に死を感じながら、全速力で道路を横切ろうとした時、トラックが横から突っ込んできた。


「え」


 衝撃


 骨が折れる音と感触


 そして激痛


 ゴロゴロと痛みと共に地面を転がりながら思ったのは、このまま異世界に転移するのではないかという期待だった。


 クトゥルフが存在するのなら、異世界転移があってもおかしくない。


 だが、転移する様子はなかった。


 激痛が走り、体が自由に動かない。


「おやおや、頭は打っていませんので即死ではないようですが、もう死にますね」

 

 男の声が聞こえた。

 薄目をあげると、そこにはしゃがんでいる初老の紳士の姿があった。


「ティンダロスの猟犬もあなたが死ぬことを悟り、狩ることをやめたようですね」


 紳士は言葉を続ける。


「このまま、あなたの人生を終わりますね。何の価値もない、泡沫のような人生が」


 いやだ、いやだ、いやだ。

 どんな息苦しい世界だとしても、死にたくはなかった。


 こんなことなら、現実の愛なんて求めず、ネット小説を読んで怠惰に生活していればよかった。



 現実なんて、本当にクソすぎる。

 

 ああああ、やだ、


 いやだ


 死にたく……ない……。





 どこかで誰か笑う声が聞こえた。

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愛と絶望の狭間に猟犬は眠る 水無月冬弥 @toya_minazuki

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