君への想いをこの本に乗せて
宇部 松清
想いが通じる5分前
俺の好きな人は、背が低い。
それに加えて、俺は背が高い。
百五十センチあるかないかの彼女と、百八十七の俺。身長差は、約四十センチだ。
俺のバイト先は、親戚のおじさんが経営している小さな古本屋。大手のような活気はないけれど、専門書なんかはウチじゃないと買い取れないとかいって(というか、大手だと買取価格が適正じゃないんだとか)、若い人が好むような最新のコミック類は弱いけど、そういったニッチな専門書とか、画集とか、そういうのは自信がある。
カラン、というドアベルの音で、振り向く。
「いらっしゃいま」
――来た、彼女だ。
最近、ほぼ毎日来るようになった、近くの女子高の子。そこに彼女がいるやつに聞いたところによると、セーラー服の衿のラインが一本だから、一年生らしい。つまり、俺と同じ。背中くらいまでの長さの髪を、耳の下でふたつに結って、黒なのかこげ茶なのか、そんな色のフレームの眼鏡をかけている、肌の白い、可愛い子だ。
だけどさすがに名前まではわからない。鞄の持ち手に大きなKのキーホルダーがついているから、きっと『カ行』の名前なんだろうな、ってことくらい。カナちゃんだろうか、それともクミちゃんだろうか。本の整理をする振りをして、そんな馬鹿なことを考えている俺だ。心の中では『K子さん』と呼んでいる。
「すみません、あの……」
「は、はいっ」
「すみません、お願いしてもよろしいでしょうか」
「ええと、どちらの……?」
そしてこれも、ここ最近毎日のこと。
背の低いK子さんが気になる本は、毎回最上段にあるのだ。一応踏み台もあるんだけど、それは店の奥だし、どうやらその存在を知らないらしい。
ここで、
「踏み台お持ちします」
なんて言うのは正直もったいない。
だから俺は、内心、脇腹が摩擦で発火しそうなほどに激しくガッツポーズをしながら、もちろんそれを顔に出したりせず、クールに対応する。
「あの、右から三番目の……水色の……」
「これですね『スージー・クロシェットの素敵なお庭』」
「はい、ありがとうございます。それと、あの……」
「あぁ、はい。わかってますよ」
そしてK子さんは必ず二冊買っていく。安価コーナーの本だから、二冊合わせても、千円をギリ超えないくらい。それにしても、毎日だから、俺達高校生にはかなりの出費だ。
二冊目もまた、最上段にあった。『きらめく私の【あら塩マッサージ】』という、数年前に流行ったらしいマッサージ本だ。そしてそれら二冊を、大事そうに胸に抱えて、ちょっともじもじしながらレジカウンターへと持ってくるのである。
どうせ毎回二冊買うとわかっているわけだし、そのまま俺がレジに運んでも良かったのだが、K子さんは必ず、自分で持つと言うのである。お客様がそう言うのだから仕方がない。
K子さんはそれから、いつものように店内をぐるりと一周し、時折気になる本を手にとってはパラパラとめくり、再び棚に戻す、という行為を数回繰り返して、カウンターへとやって来る。胸に抱いた本の数は増えても減ってもいない。
「二点で七百三十円です」
「ええと、それじゃ千円から」
そんないつものやりとり。
だけど、俺は今日、ほんの少しだけ勇気を出してみた。
「あ、えと。
なるべく柔らかい調子でそう尋ねてみる。うわ、見た。こっち見た。
俺は大抵の人よりデカいから、相手はどうしても上目遣いになる。ウチは男子校なので、上目遣いなんて野郎のものばかりだったため、正直面白くも何ともないと思っていたのだが、いや、もうちょっと何これ。いますぐ鼻から血が出てしまいそう。ジェットな勢いで噴き出してしまいそう。それほど可愛い。思わず鼻に手を添えてしまう俺である。
「そう……ですけど。何で……あっ、制服」
そこでK子さんは、セーラーのリボンに触れ、ちょっと照れたように笑った。
この辺の高校でセーラーなのは朔川女子(通称・サク女)だけだ。ウチは男子高だし、川を一本越えたところにある共学はブレザーだし。
「何か……俺の友達の知り合い? に、サク女の子いてさ、えっと、ここのライン一本だから、一年……だよね?」
これはもう賭けだった。こんなことを言われて「何この店員、何か気持ち悪いんだけど!」ってなったらもうアウトなのだ。さよなら俺の淡い恋。野郎に囲まれて生きる俺みたいなやつにはタカネの花だったんだ。えっと、タカネの花の『タカネ』って『高値』で良いんだっけか。高級品ってことで良いんだよな? うん。
だけどもし、ここからもう少しでもお近づきになれたら、なんて考えてしまう。
俺は、まぁ頭は悪いけど、本を読むのは好きだし、この統一感も何もない、色んな本がぐちゃぐちゃに集まったようなおじさんの古本屋が好きだ。だから、こんな常連のおっさんしか来ないような店で本を買ってくれるK子さんのことも好きなんだ。まずは友達からで良いから、せめて、もう少しだけでも。
「そうです。サク女の一年、です。あの、あなたは?」
うっそマジ!? 答えてくれたよ、マジかよ。いやっほーうっ!! これアレじゃね? 今日はお赤飯ね、ってやつなんじゃねぇの? 何かよくわかんねぇけど、こないだ母ちゃんが妹の絵里子に言ってたもんな、「あら、今日はお赤飯ね」って。そういうことだろ? 何か良いことあった時には赤飯なんだろ? 母ちゃーん、俺、今日、赤飯です!
「お、俺も一年。あの、
「ああ、ギバ
「そ、ギバ男。だから、同い年だからさ、その、敬語とか……いらないっつーか」
「そうで……、そうだ、ね。同い年、だもんね」
「そうそう、同い年、同い年。ハハ」
ちょ、嘘みたい。めっちゃ会話になってるじゃんか。ちょっともう母ちゃんこれ赤飯どころの騒ぎじゃなくね? もっとグレードアップしてくれても良いぜ!
「あの、俺ね、木場」
「木場君ね。私、柿崎」
もしかして、このKは『柿崎』のKかもしれない。
そう思い、
「成る程、『柿崎』だから、それ?」
とキーホルダーを指差す。すると、K子さん改め柿崎さんは、不思議そうな顔で俺の指差した方を見、それがKのキーホルダーとわかると「ああ、これか」と言って首を振った。
「確かに柿崎のKでもあるけど、私、名前が『
「蛍子ちゃんっていうんだ。それでかぁ」
何たる偶然か。
K子さんというのはあながち間違いではなかったのだ。
「木場君は?」
「へ? 俺? 俺が何?」
「下の名前」
「お、俺の?! ええと、俺は『
くっそ、なんて説明しづらい名前を付けてくれたんだ父ちゃん、畜生!
あとからよくよく考えてみれば、全然難しくはなかったんだが、蛍子ちゃんと会話が出来ていることに舞い上がりまくっていた俺は、もうとにかくテンパっていた。
ほんの数分前まではクールな店員だったはずなのに、と冷や汗をかきながら説明していると、蛍子ちゃんは眼鏡の奥の丸い瞳を細めてくすくすと笑い出した。
「大丈夫、ちゃんとわかるよ。これでしょ?」
と、カウンターの上のペン立てから「ちょっと貸してね」と言ってペンを抜き取り、さっき渡したレシートの裏に『晃広』と書いた。いかにも女の子、っていう、ちょっと丸くて可愛らしい字だ。こんな字、ウチのクラスじゃまずお目にかかれない。
「そ、そう。正解。さすが」
そんなやり取りをしていると、二階から、この店のオーナーであるおじさんが下りてきた。
「
「マジすか。早くないすか、今日」
「うん、この後、お得意さんが来ることになってね」
「そっすか。そんじゃ、また明日来るっす」
「頼むわ。ああ、せっかくだから、そちらのお嬢さん、駅まで送って差し上げなさい。もうだいぶ日も落ちてきたし」
「えっ」
その言葉で外を見れば、確かに日は落ちかかっていた。
「じゃ、じゃあ駅まで……送るよ」
「良いの? ありがとう」
うおおおおお、ナイスだおじさん!
俺、明日からもめっちゃ働きます!
身内の店だからって時給安くね? とか思っててマジごめんなさい!
というわけで、俺達は駅までの道を並んで歩いた。
これ、もしかしてカップルっぽく見えたりしないかな? ああでも、この微妙な距離感。カップルならもっと肩がくっつきそうなくらいに近づくか。
「あ、あのさ。本、好きなの?」
そして、話題といえば、やはりこの程度である。
うるさい、笑うなよ。俺は自慢じゃないけど、野郎相手なら、お笑い芸人顔負けの爆笑トークだって出来るんだからな。ほぼ下ネタだけど。
「うん、好き」
「いつも色んな本買ってくよね。色んなジャンルに興味があるってすごいな、って。ハハ」
おい、俺! もっと気の利いたこと言え!
こないだ読んだ『これでばっちり! 気になる女性との会話術』を思い出せ!! 畜生、挿絵しか出てこねぇ!
「あの、晃広君は、私が買った本って覚えてたり……する?」
「――!!? え? あ、ほ、本? 今日の? 今日のは覚えてるけど」
あっぶねぇ。
名前で呼ばれたことに動揺してしまった。すげえな、好きな子からの名前呼び。プロボクサー志望の原田のパンチよりボディに来る。まぁ、原田の場合、志望しているだけでボクシングを習ったことすらないが。
「今日のやつだけ?」
「ま、まぁね。でもさすがに昨日のくらいなら……おぼろげには……」
嘘だ。
実を言うと、いままでの全部覚えてる。
何か組み合わせが独特だったので気になってしまったのである。そして、徐々に本だけではなく、それを選んでいる本人のことも気になるようになってしまったのだ。
でも、全部覚えてるなんて言ったら、ドン引きされるかもしれない。だから、そう言った。
すると蛍子ちゃんは、ちょっと残念そうに「そう」とうつむいた。しょんぼりと肩を落とすと、ただでさえ小さい彼女が、さらに小さくなってしまう。もうこのままどんどん小さくなって消滅してしまうんじゃないかってくらいに。
何だ何だ。俺、何かまずいこと言ったか?
おい、この恋愛スキルがマイナスな俺様にはちょっと女心難しすぎるんだけど?! 助けて母ちゃん! いや、母ちゃんに聞いても駄目だろうな。ええい、あとで、恥を忍んでクラス一のモテ男(ただしウチは男子高だ)に聞いてやる!
駅までの短いデート(俺の中では立派なデートだ)を終えた俺は、急いで帰宅し、母ちゃんに赤飯を所望して、自室に飛び込んだ。そしてポケットからスマホを取り出し、クラス一のモテ男、
「何だよ」
と、面倒くさそうな声が聞こえてくる。クラス一のモテ男河合である。こいつの下駄箱にはいつも何かしらのレターが入っているのだ。我が
とにかく話を聞いてくれ、と今日のやり取りを話すと、河合は、やっぱり面倒くさそうに、
「それで、その蛍子ちゃんがいままで買った本って何てやつなんだ?」
と聞いてきた。
まぁ、こいつになら多少ドン引きされても良いや、と思い、俺は、覚えている限りのタイトルをあげた。
「まず、初日は『酢味噌の世界』と『近代美術への招待』で、次が『スーパーカーの歴史』と『奇跡の玉ねぎレシピ100』、それから『スリランカ~魅惑の島とカレー~』と『きくらげ・パーフェクトガイド』、そんで……」
「あ、ちょっともう一旦良いや。お前、それ蛍子ちゃんに言わなくて良かったな。そこまでタイトル覚えてんの、俺でもドン引き。何だよ、きくらげのパーフェクトガイドって」
「知らねぇよ、きくらげのことなんか」
「いや、まぁそれは良いや。そんで? 今日買ったのは?」
「『スージー・クロシェットの素敵なお庭』と『きらめく私の【あら塩マッサージ】』」
「うんうん。成る程。わかった、成る程ね。蛍子ちゃんも蛍子ちゃんだけど、お前も大概だな。まぁ蛍子ちゃんはギリ奥ゆかしいと言えなくもないが……」
「何だよ、どういうことだよ」
「ううん、まぁ、そのなんだ。リア充爆ぜろ」
「ハァ?! 意味わかんねぇよ。まだ爆ぜてねぇんだって。爆ぜさせてくれよ!」
「ほんともう爆発四散しろ、お前」
「何でだよ! ちょっと教えてくれよ! これ、何か意味あるのか?! 暗号とかなのか?」
「むしろ何でわかんねぇんだよ」
「えっ、俺の国語の成績が二だから?」
「いや、これたぶん国語力関係ないぞ」
だとしたら何力が必要なんだ、と首を傾げる俺に、河合は「あのさ、蛍子ちゃんのことが好きなんだったら、彼女の目線くらいの棚に、折り紙の本と、レモンの本と、餅の本でも並べてやれよ」
「ハァ? 何だそりゃ」
「何かこう『折り紙大百科』とか『レモンのすべて』とか『餅・パーフェクトガイド』とかそういうタイトルのやつにしろよ。なかったらもう諦めろ」
「全部あるけど」
「あんのかよ! こっわ! お前のおじさんの店! まぁいいや、あるなら。とにかく俺の言うとおりにしろ。そんで、『これが俺の答えです』っつって、そこに案内すれば良いから」
「何だよそれ。それでどうなるんだよ」
「知らねぇ。たぶん、うまくいくんじゃねぇの? あともう面倒くせぇから切るわ。消し飛べ、リア充が、くそ」
何かよくわからないが、河合が言うなら間違いないのだろう。何せあいつはクラス一のモテ男なのだから。
そしてその翌日、俺は、蛍子ちゃんの目の高さの位置に、河合に言われた通り、『折り紙大百科』と『レモンのすべて』と『餅・パーフェクトガイド』を並べた。これのどの辺が『昨日の答え』になるのだろう、と思いながら。とりあえず、あいつを信じてやるだけやってみよう。昔からよく言うじゃないか、鰯の何かも信心からとか、溺れる者は何かをつかむ、とか、まぁそういう感じに。
「よし、これで良いかな」
と腰を伸ばす。
――と。
ちょうど俺の目線の棚に、『がんもどきの意外な食べ方』、『【ん】から始まる言葉図鑑~これでしりとりに負けない~』、『バレーボール必勝法』、『レンガの家はなぜ強い~三匹の子豚から見るマーケティング戦略~』が並んでいる。おいおい、これはあっちの高額コーナーの本じゃないか。全く誰だよ、こっちの棚に戻したやつは。
そう思って、それらを抜いていると、カラン、というドアベルが聞こえた。振り向くと、「今日も来ちゃった」なんて言って、ちょっとはにかんだように笑う蛍子ちゃんの姿。
「あ、いらっしゃい、ませ。えっと、その、き、昨日の――」
その夜、俺は河合に電話でめちゃくちゃ礼をしたし、夕飯は赤飯だった。
君への想いをこの本に乗せて 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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