無愛想先輩とあまんじゃく

七種夏生(サエグサナツキ

無愛想先輩とあまんじゃく

 先輩はいつも、高校の近くにあるスーパーのイートインコーナーで勉強している。

 その日も例に漏れず、夕方四時、二人がけの席に一人で座っている彼を見つけた。癖毛の黒髪、ふわふわ頭は遠目でもよく目立つ。

 イートインコーナーは二十席以上あるが、先輩以外の客はいなかった。


「夕ご飯には早くないですか?」


 声をかけると、先輩の目線が机上のカップ麺から私に変わった。眼鏡の奥の鋭い眼光で私を見上げ、再び湯気が溢れるカップ麺の蓋に目を落とす。


「夕飯じゃない、オヤツだ」

「ガッツリ食べますね。だから細マッチョなんですね」

「嫌味か?」

「いいえ、褒めてます」

「そっちはどうした、部活は?」

「早めに切り上げました」

「スランプってやつか?」

「そんなところです」

「思うように描けないときは休めばいい。芸術は感性だからな」

「先輩の絵は感性に溢れてましたよね、ピカソも大仰天の」


 ギロリと睨みつける視線をかわし、同じテーブルの向かい側の席に座る。先輩はなにも言わず、再度俯いた。

 気難しい部長、それが美術部内での先輩の評判だった。絵画の才能が秀でている代わりに愛想が欠けている。「彼氏にはしたくないタイプだよね」と、同級生が話してる輪の中に、私だけ入れなかった。


「あと何分ですか?」

「五分」

「それ、三分でいいやつですよね? 麺伸びちゃいますよ」

「柔らかいほうが好きなんだ」

「……へぇ」


 柔らかいのが好きなんだ。

 じゃあ、女の子はどんな子が好きですか? ストレートパーマの華奢な、絵具を頬に着けたまま帰宅するような女子高生は論外ですか?

 そんなことは聞けず、《熱湯三分》と書かれたカップ麺の箱を見つめた。


「受験勉強ですよね、のんびりしてていいんですか?」

「カップ麺を待ってる五分は休憩時間、そう決めてる」

「じゃあ五分間、英単語クイズでもしません?」

「……休憩時間って言っただろーが」


 はぁーとため息を吐く先輩が、鞄の中から電子辞書を出して私に差し出した。受け取るときにちょっと手を伸ばしたが、指先は触れ合わなかった。


「リストから適当に言ってくれ、だいたい覚えてる」


 辞書から手を離した先輩が、軽く目を閉じて椅子に座り直す。

 彼のことを「彼氏にしたくない」という同級生たちにいってやりたかった、もったいないと。眼鏡と癖毛で隠れてるけど顔はすごく整ってるし、思いやりのある人だよって。


「せっかくだから、シリトリ形式にしましょう」

「シリトリ?」


 首を傾げた先輩が、ようやく私を見つめる。


「私がりんごって言えば先輩は"apple "って答えるでしょ? そしたら次は先輩が出題する番、appleの末尾である"E"から始まる単語を私に出題してください」

「おまえ、高三英語できるのか?」

「感性でなんとか頑張ります」

「スランプじゃねーのかよ」


 くくっと笑った先輩が、腕組みをして「拡張」と言った。

 最初なにを言われているかわからなかったが、英単語シリトリだと理解して即座に「extension!」と返す。


「正解。これ結構面白いな。次おまえ、"N"から始まる単語」

「えぇっと、N……」

「"N"、"E"、"I "、"G"」

「neighbor! 隣人! ……ちょっと、先輩!」

「ヒント出してやったんだよ。はい次、region」

「……集合」

「嘘つくなよ。俺、わかってて出題してるかな? regionは領域、地域。じゃあやり直し、recession」

「えぇっと……」

「わからないなら調べろ。スペルは"R"––」


 先輩の言葉に従って、電子辞書に文字を入力する。慌ててうまく打ち込めなかったが、先輩は何も言わず待っていてくれた。


「リセッ、ション? 不況? ……先輩、これ難しくないですか?」

「帰国子女だからな、俺」

「ちょっと! ていうか先輩そうなんですか、すごいっ!」

「ふははっ、怒るか感心するかどっちかにしろよ。まぁ、次からは簡単な単語にしてやる」


 声を出して笑う先輩の顔はなかなかお目にかからないもので、美術部内ではたぶん、私しか見たことがないと思う。

 だってこんな顔を見ちゃったら、「彼氏にしたくない」なんて言葉は絶対に出てこない。

 

「narrow」

「辞書見ながら出題すんのはありなのか?」

「これは先輩のためのゲームなので、私が辞書使うのはありです。それより早く答えてください」

「狭い。white」

「無難なのキター、白。あれ、なんか逆になってません? 日本語で出題して英語で答えるゲームだったような……」

「それだとおまえ混乱するだろ、同じ意味の英単語もあるし。まぁ、そっちは辞書使ってるし俺はどっちも出来るから、日本語から英語でもいいけど」


 先輩の、こういうところが好きだ。

 聞かなければ気づかなかった。私に合わせてさりげなく、ルールを変えてくれていたのだ。そもそもこのゲーム自体先輩には必要のないことだけど、それを拒否しない優しさもやはり愛おしい。


「じゃあ、ear」

「無難返しキター、耳。また"R"か」


 なにを出題しようか悩む先輩の顔を一瞥し、すぐに視線を外して俯いた。

 きめた、告白しよう。

 気付いたのは今年の夏休み前だった。最初から格好いい人だとは思ってたけど。一人で黙々とキャンバスに向かう背中が、その寡黙さが。周りに何を言われようと、それを取り繕おうとしない芯の強さが。

 三年生が引退して寂しくて、私はようやく、自分の恋心を自覚した。


「おい、聞いてるか?」


 頭上から降ってくる声に顔をあげる。先輩が、心配そうに私を見つめていた。


「あ、すみません! なんでしたっけ?」

「体調悪いなら無理せず帰れよ? racial」

「れい……えっと、人種?」

「正解。じゃあ次、"L"から始まる単語」

「L……」


 これは、チャンスなのでは?

 Lから始まる英単語といえば『愛』、『love』でしょ。神様の仕業かな? いま告白しろってこと?


「……leg」

「レッグ? 脚? おいおい、簡単過ぎるぞ。次は"G"かぁ」


 言えるわけがない。いや、心の準備が出来てなかっただけ、次……

 次に"L"が来たら"愛"を伝える、今度こそ告白しよう。

 そう考えてふと、あることを思いついた。


 このゲームの間に告白出来たら、恋が実る。


 思いつきというか賭け?

 カップ麺を待つ五分間、いや既に三分は経過してるから残り二分弱。

 その間に告白出来たら恋が実る。

 もし、告白出来なかったら……


「government」


 先輩の声にはっとして顔をあげる。悪戯に笑みを浮かべる先輩と目があって、恥ずかしくなって顔を背けてしまった。


「えっと、政治、です」

「正解。次、"T"」

「tear!」


 声に出してから後悔した。もっと考えて、"L"に繋がる単語を言えばよかった。

 今のなし! なんて言えず、宙を睨む先輩をちらっと見つめた。成績優秀な先輩の頭の中には既に"R"から始まる英単語が数多思い浮かんでいるに違いない。だけど即答しないのは、私のレベルに合わせてくれているからだろう。

 優しい……好きだ、やっぱり好きだ。

 もしもこの、カップ麺を待つ五分の間に告白出来なかっなら、恋は実らなくなってしまうのかな?

 自分で思いついて勝手に決めたことだけど、絶対に告白しなければと思った。

 "R"で始まって"L"で終わる……roll、転がる。reveal、暴露する。rational、合理的な。

 答えてくれるだろうか?

 先輩に届いて、私の想い!


「rabbit」


 しかし先輩が口にしたのは、その寡黙なオーラにそぐわない可愛い言葉だった。

 ていうか先輩、私のことバカにしすぎじゃないですか?


「うさぎ」

「よくわかったな、正解」

「わかりますよ、小学生でもわかります」

「なにおまえ、テンション下がってないか?」

「いえ、別に……」

「よし、スランプ真っ只中な後輩にヒントを出してやろう」


 この先輩、なぜかノリノリである。

 そんなに楽しかっただろうか、この英単語シリトリゲーム。告白は難しいかもしれないけど、楽しそうな先輩を見れたことは収穫だ。

 忘れないでおこう、今日のこの時間を。


「道路で手を上げると停まってくれる、運転手付きの車は?」

「道路で?」

「そう、金払って乗る車」

「タク……」


 なぞなぞに答えようとして、その言葉の英単語が"T"から始まることに気がついた。rabbitの次の言葉、taxiと私に言わせたいのだろう。


「……tomato」


 気付いてしまった以上、素直に答えることが出来ないのが私である。

 可愛くない後輩でごめんなさい。


「おまえは金を払ってトマトに乗るのか?」

「トマトは道路を走りません」

「可愛くない後輩だな」


 ズキッと、心が痛んだ。

 自覚はしているけど彼の声で、正面切って言われるとちょっと辛い。

 そしてまた、"L"から遠のいてしまった。残り時間何分、一分切って残り数秒になっているかもしれない。

 どうしよう、どうしよう……と悩んでいるうちに、先輩が声を発した。


「object」

「物体……ですけど、私、トマトって言いましたよね? 次は"T"じゃないですか?」

「なに言ってんだ、tomatoで"O"だろ」


 カチカチとシャーペンを押し、先輩がノートに[tomato]と書き込んだ。彼が描く荒々しい油彩画からは想像も出来ないほど可愛らしい、丸い文字で。


「あ、そっか。そうですね……」

「また"T"だな」


 どちらにしても『愛』には届かない。

 それならばいっそ、素直に、可愛い後輩になろう。


「taxi」


 これでほんの少しでも先輩に気に入ってもらえただろうか?

 可愛い後輩だと思ってもらえたかな?

 恐る恐る顔を上げると、俯き加減の先輩がカップ麺を見つめていた。熱湯三分の、設定時間をとうに超えたインスタントラーメン。いくら柔らかい方が好きと言っても限度があるんじゃないか。

 いま、何分経ったかな?

 先輩どうして、何も答えてくれないの?

 私ちゃんと言いましたよ、先輩の望む答えを出しました。それなのに先輩の顔は厳しいもので、見たこともない難しい顔をしていて。

 間違えたかも、と私は思った。

 先輩が好きなのはちょっと捻くれてる子で、今の私みたいな従順な答えは求めていなかったのかもしれない。

 普段通り、天邪鬼な女の子でいればよかった。


「I love you」


 目線はカップ麺に向けたまま、先輩が言った。


「え? ……はい?」

「その『はい』はイエスと捉えていいのか?」

「…………え?」


 本気で、先輩が何を言っているのかわからない。

 惚ける私を一瞥した先輩が、またすぐにぷいっと視線を外した。わざとらしく、大袈裟に、顔面どころか耳まで真っ赤に染めて。


「だから、『I love you』の答えは?」

「あぁ、シリトリの" I"から始まる……それ、単語じゃないですよね? 日本語訳は『私はあなたを……』」


 そこでようやく、先輩が頬を染めている理由に気がついた。


「えっ?」

「いや、あれだぞ! 最初から可愛いとは思ってたが、どうこうしたいと思ったのは夏休み前で! 引退してからなんかつまんねーなって、それで気づいて」

「えっ? あの、先輩……えっ?」


 なにこれ……なにこれ!

 私まで顔が、身体が熱くなる。先輩と同じように、茹だったタコのようになっているだろうか。

 ていうか場所、人! よかった、イートインコーナーには私たち以外誰もいない。

 挙動不審な態度で辺りを見渡し、居住まいを正して先輩に向き直る。


「あの、先輩……」

「あ、待て! ちょっと待て!」


 先輩は片手で顔を押さえながら、反対の手を私に突き出してきた。

 びくぅっと、私の身体が大袈裟に跳ねる。


「返事は五分後にしてくれ」

「え? ……はい?」

「麺が伸びる。五分……五分で食い終わるから、その時にしてくれ。今の……告白の、返事」


 何がなんだか分からず言葉を失う私の眼前で、先輩がカップ麺を食べ始めた。

「あちっ」と目尻に涙を溜めながら、それでも必死に麺をかき込む先輩の仕草が可愛くて、失笑してしまった。

 変わり者、おかしな人なのはわかっていたが、ここまでとは思わなかった。

 こんな先輩を知ってるのは私だけ、そしてこれからも私だけのもの。

 答えなんて決まってる。

 嬉しくて楽しくて、頬杖を突いて先輩を見つめた。


 両想いになる、想いが通じる五分前。


 私だけが知っている結末、告白以上恋人未満の私たちの関係を、この五分間を楽しもう。

『私もです』って英語でなんて言うんだっけ?

 格好いい言葉ないかな……ううん、ここは素直に、可愛い後輩として簡素に答えるんだ。


 五分後に答えをだそう。

 そのとき先輩は、どんな顔をしてくれるだろう。


「me too」


 練習のつもりが声に出してしまい、先輩が咳き込んだ。

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