偽神贄狩り

 通学路。毎日の様にあの仔達がいる。

 七つまでは神のうち。見慣れれば「毛虫を踏み潰す」って行為が何だか儀式めいたものに不思議と思えて。あたかも罪人に断罪の鉄斧を振り下ろすかに次々粛々と狩っている。彼らしか分らない意味合いが実際のところ存在するのかもしれない。或いは習慣化しつつある「振り向く」というわたしの行為にも……。


 ぞくりとするのが獲物を見つめる目の所為だと、男の手にナイフの存在を気付いたのはいつだったか。斜光の滴る赫い兇刃。

 確実に。振り向くごとに距離は確実に縮まっており。刃が振りかざされており。

 見ないで見ないでだるまさん。

 近づかないでよだるまさん。

 振り返らないわ。そうするだけよ。

 でなきゃ。あと少しで刃先がわたしに届いちゃうもの。

 もう振向かないでおこう。なにもかも忘れてしまえ。 

 と、

 視線が不意に途切れ、そのことに気付いた。いつも感じているものが途絶えるとおかしなものでお尻がむずがゆい。

 いつもの通学路。

 じわじわ解放されたのかという気持ちが先立ち、じわじわ張り詰めた緊張感がほぐれてしまい。

 あいつ諦めたんだろうか。

 ――確かめ。確かめた。確かめたい。

 耐えがたき蠱惑。

 ちょっとだけ、ほんの一瞬だけ……。

 ご丁寧に「振り返っちゃダメよのさー」と友人の声が脳内再生されたのに、

 抗えずくるり振り返ってしまった。

『わからないけど人じゃないんだって……』

 あの不快な黄帽子達も、新緑の霧生ヶ谷桜も、人の往来も、何もかもが剪断され視界から流れ、消え去ってゆく。ただあるのは、わたしに見えるのは……。

 真っ赫な。

 紅く映えるビルディング群体。

 偽りの夕陽に染まり、男が全身を真っ赫に燃え立たせて。

 YiYii……A!

 ブラウスの第二ボタンで弾けたのは赤色の笑い。

 勝利の快哉。 

 距離なんてなく、

 もうとっくに届いていて、

 すぐ真後ろにいたのだと。

 男の携えた刃が斜陽の花弁を回転させながらわたしを。わたしに。

 YiAAA!

 ざんばら髪に頬こけた表情で何かを表情を感じられたとすれば、

 こちら側世界への飽くなき渇望。渇望。渇望。

 悟った瞬間。避ける間合いなどなくって。

 振り上げた彼の右手が鋭く閃き、瞬く間にわたしの胸へと吸い込まれ朱を穿ち、血液と意味成さぬが吹き出て行った。

「Ulhzthhotfof-rarth」

 間近で見やった彼は鬼から一抜けした少年みたいににっかり笑いそれがこの世の秘密だよとでもいうみたく、欺瞞に満ちた旋回する舌状花弁が人には発音できないその音を言霊として反響させたに思えたけどわたしはその意味を理解できずにおり。

 吹き出た奔流にが快哉を叫ぶ。それはさも竜脚類より膿の堕とし仔より以前の太古から連綿と続いていたかのように溶けこんでいく。

 なるほど、「裏」世界はこうやって生まれたんだ、と。世界かみに吸血されながらそんなことを思考していた。

 そして幾ばくかの瞬間のあと男はわたしを容易に破瓜した。入れ替わりにずるりとわたしの体が夕闇へ引きずり込まれる。

 わたし一人秘匿されても表地球世界は、いつもどおり何事もなかったかのように皆々は闊歩して。またその上を常世の太陽が燦燦と照りつけている。

 唯一、野良犬だろうか。カフェ色の耳垂れ犬がハセガワヒナコの存在していた空間をしばらく見つめていたが、不意に後ずさると尾を股ぐらに巻き込んで走り去ってしまった。

 ……。

 どの位経ったんだろ。

 気がつけば沈まぬ太陽をせおってあの街にわたしはいた。

 咄嗟に胸をまさぐってみたけど血どころかブラウスに傷一つない。

 ――恐らくは皆知っていたのね。だから視線を合わせないように、関わらないように、振り返らないように。わたしもわたしよ。せっかく友人が忠告してくれたのに。

 連綿と続く都市の怪奇。

 とこしえに暮れることのない黄昏の王国、輪を繋ぐものだけの世界。

 星産みの残滓。偽りの双子地球。

 本能が赫色世界のルールを理解していた。巧くやるんだ。彼以前の人類も、爬虫類も粘菌も古のものも同じように誰かを代わりに据えた。わたしの姿は欺瞞に満ちて向こう側には見えないらしい。狙い定める特定の標的以外には。

 この街には誰もおらず。あるのはビルディングに相似する幾何級数に屹立した玉座の瓦礫群。その谷間に微睡む現世の偽膜。その全てが悉くまっかで。

――乱杭歯の如く座礁する旧支配者の遺骸から拝謁できるのがUlhzthhotfof-rarth。その正確な意味を識る時、わたしは導かれるだろう。それまで爛れた果実のように堕天した猜疑心の結実したる写し鏡のごとき結晶群、偽りの太陽をわたしは司祭として祀らなくちゃいけないのだ。なのだ。だから。なんで。

――とち狂った子供達のほうがよっぽど万死マシ

現代っ子たる理知主義の信徒としてこんな気違いじみた太陽に奉仕せよなど屈辱もいいとこで。

――早くここから抜け出したい。

 でも、出て行くには?

 抜け出すにはどうしたらいい?

 彼を思い出せ。痛覚に障りはない。ただ偽神のおもりの代わりを探せ。これはわたしが助かるために必要な尊い儀式なのだから。

 覚悟をきめた。

 最初に天真爛漫な依子の眼鏡顔が浮かび、

 いやいや、ないな。

『怪物狩猟者みたい』って喜ばすだけかもしんないし。

 入れ代わった男はどうやって標的を定めたのだろう。なぜわたしなのよ。

 必然だったのか、偶然だったのか。

 いや、きっと理由なんか。あるとしたら自分の存在理由レーゾン・デートルではないのか?

 猫毛な髪も、白のブラウスも、指先も、そしてわたしの影さえも、

 今ではなにもかもが赫くって。

 わたしは正常。

 標的は後腐れない人物がいい。

 真実を欺瞞したあの医師が脳裏に浮かぶ。

 空鬼に酩酊したのか胸が弾む。小動物を捕食する猛禽類に、いや貌のない悪神と盃を交わした小市民の気分に乾杯。


 わたしは正常。世界が狂ってる。怯えや狂気の色から程遠い。窮めて冷静に。わたしは正常。代わりを差し出せ!

 瞳が大気を吸いこんで着火し赫く光を穿つ。

 意識したらば眼前の偽膜に獲物の姿がZOOOOMM。気付いてない。汚らわしくも白いお肉ちゃん。ランドレース豚。だるまさんがだるまさんがころんだ。

 さあ、時間だ。そしてわたしは思い至る。

 七つまでは神のうち。

『狩りをしてるのお姉ちゃん』

 ヒト狩りとケムシ狩り。そう思えば何でもないじゃん。

 ぶるるりとした。

 これは偽神へ捧ぐる壮大な贄狩りなのだと。

 傍らに落ちていた陽紅に輝くナイフの柄を握りしめる。

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偽神贄狩り 甲斐ミサキ @kaimisaki

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