アイドリング・ボーイ・ミーツ・フラッピング・ガール

藤屋順一

アイドリング・ボーイ・ミーツ・フラッピング・ガール

 それは中学二年の夏休み前のことだった。


「ありがとう。その言葉、すごくうれしい。けど……」

「……けど?」

「私、もうすぐ東京の親戚の家に引っ越すんだ。アイドルになるために。昔からの夢を叶えるために。だから、その気持ちには、応えられない。本当に、ごめんね……」


 永遠にも感じる沈黙の後、瞳に涙を浮かべ嗚咽まじりに言葉をつづる幼馴染の彼女は泣きながら笑って、きっぱりと僕の想いを打ち砕いた。


 小学校に上がる前からの仲で、はっきりと彼女への想いに気づいたのは小学校を卒業するころだった。

 そして、中学生になっても友達以上の関係を続けていた彼女への告白に返ってきた思わぬ言葉に、緊張と混乱と失意が入り混じり、気づいた時には心無い言葉を口にしていた。


「無理だよ、アイドルなんて! 人見知りで、引っ込み思案で、恥ずかしがり屋の、普通の女の子のお前が、知らない誰かに好かれるために沢山の人の前で歌ったり踊ったりできるわけないだろ!」


 僕は、泣いていたと思う。彼女に拒まれた悲しさに、悲しさに負けて彼女を傷つけてしまう自分の情けなさに。

 でも、その言葉は本心からのものだった。彼女には、僕だけの、普通の女の子でいてほしかった。その想いだけを伝えたくて、剝き出しの刃のような言葉を彼女にぶつけたんだ。


「……そうだよ。私はっ、ただの、普通の、女の子だよ。だけどっ、この夢だけは、この夢だけは…… 譲れないの! 私は、ステージに立って、沢山の人に、勇気を、希望を、笑顔を、届けたいっ! 子供のころの、弱虫だった私がそうしてもらったみたいに……!」


 泣いていた彼女は涙をぬぐい、潤んだ瞳を輝かせて夢を語ったその笑顔に、僕の心はもう一度打ち砕かれた。紛れもない惨敗だ。


 そんな苦い記憶を思い出したのは、その彼女から手紙が届いたからだ。


 告白の後、僕たちの関係は気まずくなり、それからロクに会話も交わすことなく月日は流れて彼女はタレント養成所に通うために東京の学校に転校した。

 それから二年が経ち、僕は自分が何になりたいのかもわからないまま、流れに身を任せるように地元の普通の高校に通う普通の高校生になっていた。


 彼女はというと……



◇◆◇◆◇◆◇◆


前略。親愛なる幼馴染のキミへ。


お久しぶりです。元気にしていますか?


私の方は元気いっぱい、女子高生しながら放課後は養成所に通って日夜プロデビューを目指して奮闘する毎日です。


このたび、この手紙をキミに送った理由は……!

実は! なんと! なんとっ!


私、某大手アイドルプロダクションが大々的に売り出しを行う新星アイドルの公開オーディションの最終選考に残って大勢のお客さんの前でパフォーマンスを行うことになりました!


キミがこういうことに興味がないことは知ってるけど、私が夢を叶えるチャンスはこれで最後。このオーディションに合格できなかったら、また、ただの普通の女の子に戻る覚悟です。


だから、どうしても、私がアイドルとしてステージに立つ姿を、私の全てを賭けて夢に挑戦する姿をキミに見てほしくて、この招待状を贈ります。


いまさらこんな事を言って、きっと困らせちゃってると思いますが……

ぜひ! 夢に向かって羽ばたく私を応援してください!


では、会場で私を見守ってくれることを期待しています。


かしこ。


P.S.

同封しているもう一通の手紙は、私のパフォーマンスを見終わったあとに開封してください。

もしも、キミにその気がないのなら、その手紙はそのまま処分しちゃってください!


◇◆◇◆◇◆◇◆



 1ヶ月前に届けられた封筒の中には、よく知ったありきたりな女の子の名前で書かれた手紙と公開オーディションのチケット、そして、ハートや星のシールで賑やかにデコレートされた、いかにもアイドルといった知らない女の子の名前とサインが記されたピンク色の一回り小さい封筒が入っていた。



 正直に言って、ここに来たことを今は後悔している。

 彼女が出演する公開オーディションは右も左も分からない巨大なスーパーアリーナで開かれるアイドルフェスのイベントの一つで、周りにはアイドルTシャツに馬鹿デカいリュックを背負った独特な雰囲気を放つ男たちやアイドル顔負けにバッチリ着飾った女子の集団、スーツにネームプレートを首からぶら下げたビジネスマンやキャリアウーマンといった人たち、それぞれがそれぞれに集まり、声量を競い合って一つの話題で盛り上がっている。


 ここは僕の居るべき場所じゃない。


 直感的にそう思えるくらいの居心地の悪さを感じながら、会場の案内板を頼りに観客席に入り、チケットに書かれた席番号を探し、やっとのことで見つけたその席に腰を下ろして深くため息を吐く。

 彼女から贈られたチケットが示すこの席が見知らぬ世界に迷い込んだ僕の唯一の居場所で、不安と困惑と緊張の中、無意識のうちに彼女からの手紙をお守りのように手にしていた。

 今一番不安で緊張しているのは彼女のはずなのに、その彼女に何もすることもできず、こうして守られてしまっている自分がたまらなく悔しい。


 ひとごこちついて改めて見回すと、そこはステージ脇で慌ただしくセッティングを進めるスタッフの顔がやっとのことで判別できるくらい後ろの、でも、アリーナ全体をど真ん中から見渡せるステージの真正面の席だった。

 まだざわつく胸を鎮めようと見慣れぬ景色を眺めているうちに、空いていた席はどんどん埋まっていき、セッティングを終えたスタッフの代わりにテレビでたまに見かけるお笑い芸人のコンビがステージ下で前説を始めだす。日本語で喋っているはずなのに、聞き慣れない言葉ばかりが並べ立てられて内容は殆ど頭に入ってこない。


 かろうじて分かったことは、最終選考に残った十人のアイドル候補生が五分ずつ単独でパフォーマンスをして、観客は自分が一番だと思った候補生にスマホで一票を投じ、最終的に最も票を獲得した候補生一人だけがデビュー権を獲得できるということだけだった。


 呆然としているうちに前説が終わったようで、しばらくすると観客席の照明が落とされ、代わってステージがまばゆい照明で照らし出される。


 その途端に観客席を色とりどりのライトとレーザービームが走り、大音響のBGMとともに天井から吊られた大型スクリーンに公開オーディションのオープニングムービーが映し出され、観客席に拍手と歓声が沸き上がる。

 オープニングムービーの終了とともに、芸能人に疎い僕でも知っているタレント司会者と大人気アイドルがステージに上がり、お決まりの掛け合いをしたあとにイベントの開幕を宣言した。


 再度湧き上がる歓声とともにステージは暗転し、ざわめきが収まらないうちに最初の候補生の名前が読み上げられると、今度は一転、水を打ったかのように観客席が静まり返り、全員の視線がステージに集中する。


 呼ばれた名前は一か月前に送られてきた手紙に書かれていたもう一つの名前。間もなくステージ中央に幾つものスポットライトが集中し、その光の円の中心に立つ小さな少女の姿に、心臓が鷲掴みにされるみたいに高鳴り、背筋が凍り付くような感覚に総毛立つ。


 ステージに見えるのはたっぷりのフリルやレースやリボンで飾られた妖精を思わせるドレスをまとって背筋をピンと伸ばし、輝く笑顔で堂々と観客席を見渡す正真正銘のアイドル。大型スクリーンにアップで映し出されるのは手の混んだへアセットと見慣れないメイクでアイドルを装う、間違いなく、よく知った幼馴染の彼女だ。


「みなさーん! このたびは私たち候補生のハレの舞台を見に来てくださって、大変ありがとうございます! 幸か不幸か、このオーディションのトップバッターを務めさせていただく、エントリーナンバー、いっちばーん! の――」


 艶やかに澄んだよく通る声で、女の子向けアニメのヒロインみたいな決めポーズとともに高らかに名乗り口上をあげると、不意に、ふわりと子供の頃の記憶が蘇る。

 それは公園のベンチの上に立ち、ただ一人の観客を前に、恥ずかしがりながら、舌足らずな声で、魔法少女の真似っ子をして夢や希望の詰まったテーマソングを歌う幼い少女の姿。

 普通に聞けば赤面してしまうような恥ずかしいセリフなのに、ステージに立つ彼女にはそれがぴったりに感じられて、客席のあちこちからも彼女の名前を呼ぶ声が上がる。


「応援ありがとーっ! さて! 私には夢があります! それはっ、それはっ……! トップアイドルになって、多くの人たちに!  愛と、勇気と、夢と、笑顔と、希望とっ……! えーっと、あとはあとは…… うぅ~、とにかくっ! 私の全身全霊をかけて、みんなに届けられるもの全部を届けたいっ! 小さなころの弱虫だった私に勇気をくれた、憧れのアイドルみたいに! だからっ! 愛のこもった一票を、どうか私に投票してください! まだ雛鳥の私だけど、みんなの応援を力に、必ずこの大空に羽ばたいてみせます!」


 彼女が高らかに宣言すると、拍手と歓声が沸き起こる。さっき自己紹介した時よりも、もっと大きな。

 その時、一瞬だけ彼女と目が合った気がした。気のせいか、こんなにたくさんの人がいる照明を落とされた観客席で僕一人だけを見つめることなんてできるはずがない。だけど……

 彼女は笑っていた。輝くような満面の笑顔で、戸惑う僕を挑発するように。


「それでは、私のことを、絶っ対に! 好きになっていただきますから、覚悟して、最っ高の! 五分間をお楽しみくださいねっ!」


 アイドルらしい仕草でペコリと深くお辞儀をすると同時に再びステージが暗転して、ざわついていた観客席がしんと静まり返る。


 そして、澄み渡る華やかな高音ソプラノの独唱とともにスポットライトが灯り、彼女がステージ上に浮かび上がる。


 トクン――


 独唱のワンフレーズが終わるとともに、おびただしいデジタルの音の洪水が会場中のスピーカーからあふれ出し、ライトから放たれる色とりどりの光の帯が暴れだす。


 トクン、トクン――


 アップテンポな曲に完全に同期シンクロして彼女は左手を大きく広げ、軽快にステップを踏むと、くるりと一回転してリボンとスカートをひるがえしながら、サイリウムの流星群が流れる無重力の中を飛ぶようにステージを一周してその歌声を宇宙に響かせる。


 トクン、トクン、トクン――


 観客からの声援は次第に大きくなり、僕の鼓動も彼女の夢と希望を歌い上げる声に同調して痛むほどに早鐘を打つ。

 自分でもよくわからないこの気持ちを、今すぐに吐き出してしまいたい。

 僕の気持ちなんてお構い無しで、この場にいる全ての人に愛を届けようとする彼女に。


「みんなーっ! 私の名前を呼んで! もっと! もっと大きな声でっ! みんなの想いを! 大空へ羽ばたくための力を! 私にくださいっ! この歌を! この情熱を! この愛を! もっとたくさんの人に届けたいのっ!」


 パフォーマンスの盛り上がりが最高潮に達した時、彼女の絶叫に近い呼びかけが観客席に湧き上がる歓声を圧倒すると、観客達の声が一つになって彼女に応え、今までにない大音量がアリーナ中に響き渡る。

 この瞬間、この世の全てが、彼女ただ一人だけのものになる。

 それはまるで魔法だった。


 僕は叫んでいた。

 幼馴染の名前じゃない、今、目の前にいる彼女の名前を。

 この胸に渦巻く、彼女に伝えたい想いの全てを。


「心のこもった熱いご声援ありがとーっ! みんなの想い、ちゃんと届きました! 私は……! 私はっ! 今っ、最っ高に幸せです! みんな! 愛してるよーっ!」


 いつの間にかパフォーマンスは終演を迎え、耳が痛くなるほどの大音量が次第にフェードアウトし、耳鳴りだけが余韻となって耳に残る。

 彼女はいつの間にかステージ中央に戻っていて、曲が終わるとともに決めポーズを取る。それは、幼馴染の彼女がベンチの上でいつも見せていたお気に入りのポーズだ。

 ウィンクがなかなかできなくて、僕とにらめっこしてずっと練習してたっけ。

 今度こそはっきりと分かる。ステージ上の彼女は上気させた頬に笑顔を輝かせ、ばっちりウィンクで僕を見つめている。あの頃みたいに。

 永遠のような一瞬の時間。

 彼女は深々と頭を下げ、スポットライトが落ちた。


 心が沸き立ち、身体が熱い。居ても立ってもいられなくなって、慌てて観客席を飛び出してロビーに向かった。早鐘を打つ鼓動はまだ収まらない。

 早く、もう一通の手紙の中身を、今すぐに確認しなきゃいけない。


 震える指で鞄の中に忍ばせたピンク色の封筒を取り出し、封に使われているハート型のシールを破ってしまわないように慎重にそっと剥がして、中に収められた一枚のカードを慎重に取り出す。



☆★☆★☆★☆★


会員番号0000000


親愛なる一番のファンのキミへ。


まだ弱虫だった小さな頃の私を、キミはいつも見守り、助け、愛してくれていたことを、今でもずっと覚えています。こうして自由に空を飛べるのは、ひとえにキミのくれた力強い勇気と深い愛情のおかげです。


あの日、キミが私にくれた言葉はとてもうれしくて、でも、その言葉を拒んでキミを傷つけてしまったことはとても悲しくて、今でも心残りに思っています。

今はまだ、キミの想いに応えることはできませんが、世界の一番高い場所まで登りつめた時、きっと私を迎えに来てください。


というわけで、ここにキミが私の一番最初で一番特別なファンであることを証します。


☆★☆★☆★☆★



 なぜ君がアイドルに憧れるのか、これまでは全然わからなかった。でも、今ならはっきりと理解できる。そして、キミが今このステージに立つために、どれだけの努力を重ね、どれだけの苦難を乗り越えてきたかも、昔の君を知る僕が一番よくわかってる。


 今度は僕の番だ。

 自分に何ができるか、何がしたいか、今はわからない。自分の全てを賭けて叶えたい夢も今すぐには見つけられないと思う。

 それでも僕は、見えない未来に向かって必ず羽ばたいてみせる。君からもらった想いを力に。

 だから、待ってて。この世界の一番高い場所で。

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