恋を叶える魔法なんてあるわけない

狭倉朏

想いが通じる5分前

 魔法が使えれば良いのに。

 そう思ったのは幼稚園児の頃以来だろうか。

 一言呪文を唱えれば恋が叶う。

 そんな奇跡があればいいのに。

 魔法使いでも目の前に現れて、ガラスの靴も豪華なドレスも要らないから、ひとつだけ、好きな人の心がほしい。


 そんなファンタジーなことをいい年してつらつらと考えている私の目の前には好きな人、森永慎太郎。高校2年生、同い年。

 私と向かい合うような配置で、黙々と絵を描いている。


 ふたりきりの美術室。


 去年の11月に3年の先輩が4人引退して、ふたりきりになって、今年の4月に新入生が入ってこなくて、ふたりきりが1年続いている。さすがに慣れた。

 慣れすぎて、きっとこいつは気付いていない。

 私が恋をしながら絵を描いているだなんて。


 無言に嫌気が差しきて、声を出す。


「……進捗どう?」


「普通」


 描いているときの森永はそっけない。

 そこも好き。


 文化祭が終わって、目下の目標が特にない。1月に県の展示会があるからそれをゆっくり目指そうか、ってくらいだ。

 私たちは各々好き勝手に絵を描いている。


 私は今、お祖父ちゃん家のグッピーを描いている。

 私の描くものはいつも適当なものだ。

 何だか目についたものを適当に描く。

 一方、森永は自分が惚れ込んだモチーフしか描かない。

 そういうところ、私たちは全然違う。


 スマホでパシャパシャ撮っておいたグッピーを机に立てかけながら、1匹1匹描いていく。

 お祖父ちゃんの喜寿のお祝いにでもあげようかなって思ってる。

 ……飼っている魚、しかも観賞魚の絵とか嬉しいのかな? 本物見てれば良くない? まあいいや。


「…………」


 じっと森永の筆運びを見守る。

 迷いがない。さっさと走らされる筆。

 羨ましい。

 私は、迷う。グッピー1匹の色合いひとつひとつに手が迷う。


「ふう……」


 一回ため息をついて背を伸ばした。


 森永を好きになったのはいつ頃だっただろう。

 最初は別に、なんとも思ってなかったはずだ。

 1年生、美術部に入部したのは私と森永だけだった。


 散々迷いながら絵を描いて、時間をかけて一作を完成させる優柔不断な私に対し、森永の筆はとにかく速かった。

 森永が10枚の絵を仕上げる間に、私は1枚の絵を仕上げる。

 そのくらい、遠い。

 私はお喋りしながらでも絵が描ける。

 森永は無言を好む。


 スタンスも、描くものも、考え方も、価値観も、画家の評価も、好きな絵も、全部違う。驚くほど違う。

 人は人に共感したとき好感を覚えるものだと思っていた私は、だから、こいつとは仲良くできないと思った。

 たった二人の同級生部員。それと仲良くできないかもしれない恐怖。

 それが嫌で、いろいろ人に声をかけてみたけど、結局部員は増えなかった。


 それでも3年生がいる間の部活は楽しかった。

 3年生はみんな優しかった。2年生はいなかった。

 絵に関しては神経質な先輩とかもいたけど、とにかく面白おかしく絵を描いていた。


 そして3年生が引退して、2人きりの気まずい11月から3月と半年を過ごして、希望にあふれる今年の4月、結局新入部員は入ってこなかった。

 私はちょっと荒れた。

 森永はやっぱり無言で絵を描いていた。

 お前がそんなに無愛想だから、仮入部に来た新入生が逃げたのだと八つ当たりもした。

 森永は「そうか」としか返してこなかった。


 その時、私は森永のこと好きだったんだろうか?

 いや、嫌いだった。

 本気でこいつが無愛想なせいで新入部員が入ってこないんだと思ってた。

 今思えば、普通に私が必死すぎたのも敗因だと思う。


 宗教の勧誘じみてて怖かった、って1,2年とクラスメイトのユリちゃんにも言われたし。

 そもそもユリちゃんは漫研なので、美術部とはちょっと毛色とか目指すところが違うのである。

 私も酷いことをしたものだ。


 だから私が森永を好きになる瞬間があったとしたら4月から半年ちょっとの間だ。


 一年にも満たない思いなんて、大したことないのかもしれない。

 燃え上がる炎のようなものかもしれない。

 その内、消えるのかもしれない。


 でも今は、今、好きなんだ。それでいいじゃないか。


 グッピーに向き直る。

 絵の具を混ぜながら、色を作っていく。

 そして、思い出した。


「俺はきれいだと思うよ」


 たった一言。

 その一言が私の考えを変えたのだ。


 あの日も悩んでた。

 色に悩んでた。

 これいいのかと絵を前にウンウンしばらく唸ってた。


 うるさかっただろう。

 無音を好む森永にはうっとうしいことこの上なかっただろう。

 だから、珍しく立ち上がって森永は私の絵を眺めに来た。


 そして、一言だけ言うとさっさと自分の絵に帰って行った。


 そのたった一言が私の視界を開いたのだ。


 ようやく、思い出した。


「できた」


 私が思い出に浸って、手を止めていると、ポツリと森永が言った。


「見ていーい?」


「……いいよ」


 若干の沈黙を挟んで、森永が頷く。

 動く様子はなし。

 ……そっちから来い、ということか。


 自分で聞いておきながら、ちょっとおっくうになったけど、私は立ち上がる。

 森永の正面まで歩いて、くるりとその背に回る。

 森永が迷いなく筆を進めていた新作。一体何を描いていたのか見てやろうじゃないか。


「……え」


 そこには私がいた。

 真剣な表情で絵の具を混ぜる私がいた。


「……え?」


「『絵の具を混ぜる油井浜ゆいはま香世かよ』」


「いや、作品の題名はどうでも良いんだけど……」


 いや、どうでも、よくはない。油井浜香世。もちろん私の名前だ


「……ごめん、気持ち悪かった? 無言でモデルにして」


「いや、私も校庭走ってる人とか勝手にモデルにするから別に、そこはどうでもいいんだけど……」


 森永慎太郎は、好きなものしかモチーフにしない。


 ……落ち着こう。勘違いしちゃ駄目だ。

 好きには種類があるんだから。


 私のこと、嫌いかもしれないって思ってた。

 あんだけ酷いこと言って、酷い態度取って、好かれてるわけがない。

 そう思ってたのに、少なくともモチーフにするくらいには「好き」だった。

 好きでいてくれた。

 それだけで浮き上がるほど嬉しい。


「……えーっと、えーっと、えーっと?」


 言葉が、出てこない。

 確かめたいのに、確かめるのが怖い。

 これで「別に、部員として好きなだけだけど?」って言われたら打ちひしがれてしまう。

 怖い怖い怖い。


「……俺、好きなのしか描かないから」


「……どのくらい? どのくらい私のこと好き?」


「……油井浜が俺を好きなのと、同じくらい」


 バレてる。バレてた。嘘だろ。


「……嘘」


「嘘じゃないよ。……油井浜のこと、好きだ」


「……わ、私も、好き」


 私は何とかそれを絞り出した。


 森永の目を見る。

 いつもクールな彼の目が柔らかく弧を描いた。

 ああ、この顔を描き留めておきたい。


 初めて、心の底から描きたいと思えるものに出会ったかもしれない。


「え? 森永、私のどこが好きなの? どこら辺? ねえねえ、どこら辺?」


「……その、遠慮とか情緒とかが一切消失してるとこかな……」


「それ褒めてなくない!?」


「……じゃあ、自分の持っていないものをもっているところ」


「じゃあ!?」


「うん、そのしつこいとこも細かいとこも」


「……全然好かれてる気がしない……」


「うーん、じゃあ絵、見て」


 もう一度、『絵の具を混ぜる油井浜香世』を見る。

 こうして無意識の自分の顔を直視するのはかなり恥ずかしい。

 恥ずかしいのだが、いったい何を見ろと言っているのだろう。

 分からない。さっぱり分からない。


「……え、分からない?」


「分からん」


 やっぱり私たちは感性が違う……。違いすぎる……。


「こんなにひたむきで、きれいなのに」


 しれっと言われてしまった。

 恥ずかしいという考えはこいつにはないのか?


 駄目だ。顔が真っ赤になっていく。


「……そういうところが、好きだよ」


「あ、ありがと……」


 私の願いを叶えてくれる魔法使いは、思ったよりそばにいたらしい。

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