君が居る景色

笹霧

君が居る景色

 運動部の声が行き交う校庭。汗を流して走る彼らを私は撮る。傘によって日差しの直撃は避けれているものの、高い気温によって汗を流しているのはこちらも同じだ。だから羨む視線をたまに寄越さないで欲しい。

「こっちもキツイっつーの」

 愚痴を少しこぼすと隣の彼女からお茶が向けられる。ありがとうと言って私はそれを受け取った。一気に飲んで再びカメラにかじりつく。

「アカリ、もう少し時間かかる?」

「あ……ごめっ。あと少しだけ待って」

「分かった……ふぅ」

 汗を拭う彼女の何気ない動作に見とれる。そして、こうも思う。


 写真とりたいなぁ。


 はっと頭を振りかぶった。

「危ない。今の思考は男みたいだよ……」

「何か言った?」

「いや。もう帰ろっか、て」

「うん」

 撮影に使った物を部室前まで運ぶ。部員が1人足りないため普段より重たい。2人息を切らして運び終わると3人目が部室で涼んでいた。

莉心りこ!」

「こんな涼しい所に居るなんて、ズルいです!」

「明里、エミ、私は今来たばかりだよ。部屋で涼んでたのはあっち」

 指を指された顧問の谷柿たにがき先生は口一杯に何かを頬張っている。粉砂糖らしき粒が口の周りにはくっ付いていた。エミリーが先生にハンカチを渡す。

「先生、口周りに粉砂糖がたくさん付いてます。これどうぞ」

「ん? おお、2人ね。――んん。あ、ハンカチありがとう」

「はい。あの、何を食べていたんですか」

「鈴カステラ。食べる?」

「良いんですかっ」

 鈴カステラにエミリーが飛びついた。この子は甘い物に弱いんだよね。私も甘いけどさ。空いてるパイプ椅子に座って私も袋に手を突っ込んだ。


「で、良い写真は撮れたの?」

「だめー」

「でした。頑張りましたけど」

「私がね」

「いや、莉心来てないじゃん。頑張ったのは私、私」

「アカリだけじゃないですよ。私も傘をずっと持ってました」

「うん。エミリーが居てくれて助かってるよ」

「私は?」

「莉心は……来てよ」

「暑いからやだ」

「もー」

「アカリ、リコはリコでちゃんとしてますよ」

 リコの背後の机にはノートパソコンが置かれている。画面には以前撮った写真が映っていた。

「分かってるって。莉心がパソコンで写真加工をしてくれてるのは」

「むしろ何もしてないのは私……」

「え、エミリー」

「写真は撮れないしパソコンも苦手だし」

「エミ」

「私も何かしたいです……」

「じゃあフェレルさん。モデルをやれば良いんじゃない?」

「モデル? この顧問……」

「えっと、写真のですか、先生?」

「うん。かわいいし、男の子とのカップリング写真なんてどうかしら」

「ワタシがですかっ!?」

「何かしたいって言ってたから、この写真部の専属モデルとかどうかなって先生は思ったんだけど」

「エミリー、この顧問の言うことだから、嫌だったら嫌って言って良いよ」

「ねえ」

「エミは良い被写体になりそう。だけど、私も明里と同じに思う」

「ちょっと、酷くない?」

「でも、私に出来ることがあるなら私はしたいよ」

「ま、エミリーがそう言うなら良いけど」

「ん」

 私も、と莉心もサムズアップしている。

「エミリーがモデルになるのは良いとして……男の子は大丈夫? 無理?」

「アー……」

 エミリーは遠くを見た。莉心が思い出したようにその理由を口にする。

「エミは苦手だったっけ、男」

「うん。昔から女の子だけだと平気なんだけど、男の子が1人増えるだけでもう……うぅ」

「フェレルさんにもここまで苦手なものがあるのねぇ」

 谷柿先生はまだ鈴カステラを食べている。というか、また口周りが砂糖だらけだ。

「エミは写真撮られるのは平気みたいだけど、何で?」

「別に嫌いじゃないから、かな」

「そう。じゃあ私が安全な男を紹介するから挑戦してみない?」

「莉心?」

「私はこの3人で文化祭までにもう少し何かしたい。だから、頑張らない? 明里もエミも」

「莉心……エミリーは良い?」

「うん。私もしたいって思ってたから」

「良いわね、青春だわ……! あとは恋があれば――」

「……」

「わ、分かってるわ。茶化さないから安心して」

「怪しい」

「ほんと?」

「不安です」

「フェレルさんまでっ!?」


康村やすむら、良いよね」

「は……あ、ま、待――」

 莉心は本人の返事を待たない。襟をガッと掴んで1人の男を連れ出した。そして引きずったまま写真部の部室に放り投げる。突然の男の登場に、途端にエミリーの様子が悪くなった。

「ほら、これ」

「これ扱いかよ……」

「アノ、リコ? この人は」

「前に言った安全な男」

 そう莉心は言うが、地面に座っているのは埃まみれになった哀れな男だ。

「莉心、引きずってたよね」

「これで喜ぶから」

「エッ」

「いや、待って皆さん。違う違う」

「……っ」

 男がエミリーに手を振って近付く。すると彼女は走って部室を逃げ出した。

「富永サン?」

「行っちゃった」

「おいぃぃ」

「あれ、君は……康村君じゃない。どうしたの? 今フェレルさんが凄い勢いで走って行ったけど……まさか康村君」

 え、やすむら? 聞き覚えのある苗字だ。

「先生! 違いますよ、違いますからね!?」

 そう、違う。あの男の子とこの男の子は違うはず。

「明里?」

「え……?」

「大丈夫?」

「何でもないよ、莉心。何でもないって」

 谷柿先生と男の子の話は続いている。

「だってあそこまでダッシュで逃げるんだもん。胸ぐらい触ったんでしょ」

「先生は先生ですよね!? なに楽しそうにしてるんですか! それに、指一本触れてないですからっ」

 何かして弁明する時に苦笑いになる所。

「じゃあ触れたい?」

「もちろ――なんてこと言うんですか!?」

「変態」

 ぽろっと漏れる本音。

「こうなったのは富永さんのせいなんだけど」

「違う。康村が怖がらせた」

「そうね」

「えぇ……ど、どう謝れば」

 困った時の眉の形。

「ド・ゲ・ザ」

「……マジ?」

 驚いた時の頬の動き。

「冗談よ。富永さんもこれくらいでね」

「はい、先生」

 この男の子はたぶん、あの男の子だ。

「菊池さん?」

「明里?」

「え……菊池、明里?」

「康村、彰人君?」

「え、え、もしかして2人は」

「知り合い?」

「はい。菊池――さんとは小学校が同じです」

「……」

「久し、ぶり」

「……うん、久しぶり。……康村君は変わったね」

「小学校と高校だから、まぁ変わるよ」

「うん」

「……」

「……」

「予感、予感がするわぁ! いたっ」

「静かに」

「先生、莉心。私はエミリーを探しに行くよ」

「そう。行ってらっしゃい……?」

 私は部室を逃げ出した。何も考えられない。考えたくない。莉心の顔が見えた気がしたが、止まれない。心の中は嵐みたいに荒れている。


「康村?」

「待った。デリケートなんだ。だから、関係ないのに言えな――」

「違う。関係ある。言って。じゃなきゃ、言うまで付きまとう」

「そこまで本気に……理由を、聞いても良い?」

「大切だから。明里があんな顔、してた。言葉じゃ上手く言えないけど、でも、凄く色々な感情で……苦しんでた」

 莉心は心臓の辺りを両手で強く押さえている。

「私は……ずっと! あの2人と、3人で、仲良くしたい……。だから、言ってよ! 私は、私は……!」

「富永さん、ハンカチ」

「それ、砂糖まみれ……」

「私のよ。フェレルさんのは返したじゃない」

「あ、そうだった」

「さて、康村君。他言はしないから話してくれる?」

 康村は何も言わないが確かに頷いた。


「えっとつまり」

「卒業式で」

「約束を」

「破って」

「逃げた、と」

「最低」

「……その通りだ」

「分かってるならっ」

「あの時はどうしても、無理だった。昔から酷く緊張すると何も考えられなくなる。こうして、手の震えが止まらなくなる」

「だけど、それで明里は……!」

「富永さん、落ち着いて」

「――あ、ぅ。すいません、先生。ごめん、康村」

「だけど、富永の怒りは正しい。俺は……」

「康村君も深呼吸をするべきよ」

 康村は首を横に振る。

「毎日じゃない。けど、ずっと覚えてた。……あの時は答えが無かった。答えが無いのに、答えを出さなければならない場所に行くのが怖かった。けど、逃げるべきじゃなかった。それは、今は分かってる」

「そう。だから、康村。ちゃんと話しなさい」

「ちゃんと、話す……」

「富永さん」

「卒業式の話はしなくても良いから。天気の話でも、ご飯の話でも何でも良いから。会話をすること。無理でもする」

「ああ、分かった」

「よし、行け」

 康村は振り返らずに駆けていく。相も変わらず足が速いと思った。

「大丈夫、富永さん?」

「ちょっと、喋り、過ぎた」

「ふふ、そうね」

「でも、どうしても、向き合って欲しかったから……仕方がないか」

「そうなの?」

「何か嘘をついて過ごしたら割れるから。どんな形でも答えを出さないと、変わってしまうから。……私達は」


 屋上に上がるまでの階段。こんな所まで逃げてしまった。エミリーを探しに行くって言って全く探してないな、私。あの時の気持ち、それからの気持ち、今の気持ち……もう分かんない。

「―――――菊池っ」

「……康村」

 追ってきた。あの時は来なかったのに今は来た。彼はストップのジェスチャーをする。膝に手をついて休む彼の息は絶え絶えだ。

「あ、待って。苦しい」

「え……あ、うん」

「あ……あー、良い天気だよな」

「そうだね」

「昨日は夜ご飯何食べた?」

「オムライス」

「今、得意な科目は?」

「理科……の物理」

「趣味は?」

「サイクリング。と、そのついでに写真」

「身長は?」

「164」

「バストは?」

「言うかばか」

「卒業式のことどう思ってる?」

「っ……別に、もう忘れたよ」

「そう……ごめん」

「だから忘れたって」

「じゃあ、お付き合いは?」

「してないし、する気もないっ」

「いや、ほんとごめん。今のは良くない冗談だった」

「だろうね」

「写真部の手伝い、もし良かったら呼んでくれ」

「呼ぶ。あの時の借りは大きいからね」

「え? 忘れたって」

「大きな借りはしっかり残ってるから」

「うへぇ……でも、了解」

 自然と笑えてくる。話してみると案外軽かった。見上げた空は青い。

「今日は帰る」

「そ。ばいばい」

「また、明日」

「うん」


「ちょっと、康村! 瞬きをするなぁっ」

「無茶言うな――あ」

 康村が足を踏み外してエミリーに掴む。2人の距離はゼロだ。みるみる内に赤くなっていく。

「アァ……」

「エミリーを怖がらせるのも禁止!」

「ごめん、フェレルさん!」

「一度休憩したら~?」

「んん~」

「し、しんどい」

「リコ、大丈夫?」

「しょうがない……休憩!」

 日陰に集まり各自で水分補給。その時間も被写体である2人の様子を観察する。あの日から数日経って段々と皆が仲良くなってきていた。エミリーも教室で男子と話せるようになってきたからより一層人気になっている。なのに何で良い写真は一向に撮れないんだろう。

 エミリーをじっと見ていると理由が分かった気がした。時折彼を見て顔を赤くしている。その後は小さな溜息がセットだ。その後1時間程粘ったが良い写真は撮れず、今日は解散した。


「エミリー」

「アカリ、どうかしました?」

「康村のこと、好きなの?」

「え、あ、えぇ!?」

「エミリーを見てるとそんな気がしてさ」

「あうぅ……そうかもしれません。気が付くと目が追っていますから」

「エミ、明里を借りるわ。ばいばい」

「え、はい。また明日です……?」

「ちょっと、莉心? ばいばい、エミリー」

 莉心に引っ張られて帰り道とは反対に行く。かなり歩いて解放された。

「どういうつもり?」

「明里、こっそり2人の写真を撮るの」

「え」

「ほら、あれ。写真」

「う、うん」

 エミリーは帰ろうとせず、誰かが来るの校門でソワソワして待っている。恐らく彼を待っているのだろう。あ、来た。

「フェレルさん、帰らないの?」

「あ、康村さん。い……」

「い?」

「一緒に帰りませんか」

「いっ……いいよ。帰ろっか……?」

 2人は横並びに帰り始めたが会話が無い。そのまま見続けていると、2人の目が合ったのだろうか素早く互いに顔を逸らした。エミリーが思いきったように何かを康村に渡した。あれは折り畳み傘だ。受け取る拍子に2人の指が触れてしまう。あ、落とした。待って。その流れは――――。思った通り、傘を拾おうとした互いの手がより密に触れ合った。バッと同時に手を引く。数秒固まった後康村が拾った。仕舞うと無言で顔を背ける。エミリーなんて髪に負けないぐらい顔が赤い。

「なにあれ」

「どんな感じ」

「えっと」

 一枚試しに見てみるが良い感じがする。甘酸っぱい何かが詰まっているような写真だ。……なんか、悶々とする。

 違和感が付きまとうものの、考えるとそれはすぐに霞のように消えてしまう。仕方なく写真を撮り続けた。

 結局、彼と彼女はもう会話をしなかった。濡れた髪をそのままに撮った写真を眺める。ここ数日で文化祭で展示する写真は充実してきていた。けど、それでも何かが足りない気がしていた。これはその足りない何かを足したような写真だ。

「……お似合いじゃん」


 部室には既に人が居た。いつもより1時間は早いのに。

「明里」

「莉心、今日は早いね」

「うん。明里が心配だったから」

「莉心は……鋭いね」

「大切だから。皆が、皆との時間が」

「エミリーはもう完全に好きみたいだね」

「うん」

「昨日、写真見てたらさ……お似合いだなって思ったよ」

「そうだね」

「応援、するかぁ……康村にはしゃくだけど」

「明里は?」

「え、私? なんで」

「だって」

「昔だよ、昔。何も気にしてないって」

「うそ」

「エミリーには笑顔で幸せなのが似合うからさ。応援、するよ」

「明里っ」

 莉心が包んでくれた。その身体は華奢に見えて力強く温かい。何かが頬を伝う。

「私は、エミリーを応援してた」

「なんかしてたんだ」

「うん。頑張った」

「そうなんだ」

「でも、明里も応援したいよ」

「別に良いって」

「いや。明里を見てると何かしたくなる。……私も最近は人の心の機微が分かってきたよ。だから、明里には何も出来なかった。けど――」

「ありがとう、莉心。でもさ、本当にお似合いだって思ったんだよ。それに私は、今は……別に……好きじゃ……ないし……」

「やっぱり、平気じゃないよね。嘘を付くのは」

「嘘じゃ――」

「勇気、出ないよね」

「……」

「2度目は怖いよね。私も怖くなると思う」

「……うん」

「酷だなって思う。けど私は、エミにも明里にも何も抱えて欲しくない。それを私は見過ごすことは出来ない」

「莉心はいつもそうだよね。私はそんな莉心だから、あの時友達になりたいって思えたんだ」

「……そう?」

「うん。莉心とはおばあちゃんになっても仲良くしたい。エミリーもね」

「うん」

「勇気、出すかぁ……」

「ファイト」

「ありがとう、莉心」

 背を押されて部室を出る。背中に触れた手は震えていた。

 エミリーと彼がここからでも見えた。彼女とはこれからより喧嘩をすることになるだろう。でも、私も莉心もエミリーもそれを望んでいた。だから私達は友達になった。違う、友達じゃなくて親友だ。特に彼女はライバルにもなる。

 私達が3人で紡ぐ未来は明日明後日と続いていく。ただ、空は今日も眩しい。

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君が居る景色 笹霧 @gentiana

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