第11話 番外編 テル・トールマンの手記(5)

 あれは、セレタを少し外れた森の中、大きなゼガーの木が立ち並ぶ中にぽかりと丸く開けた小さな空き地――私が最初に発見されたその場所を訪れた時のことだった。

 なぜ、その日、そこを訪ねようと思ったのかわからない。ここへきて最初の頃は、己が何者か、どうやってここに来たのかわからない心細さに、何か自分の身元を明かすものか帰還への手がかりでもあるのではないかと、幾度もその空き地を訪れ、草をかき分けて何かの痕跡がないかと探したり、何が見えると思ったわけでもないのに梢の間に小さく見える空を漠然と見あげて無為な時間を過ごしたものだったが、その頃にはもう、そこに行っても何もないのはわかっていたし、自分がこの世界にいることにもすっかり慣れて、その場所を訪れることも絶えていたのだ。


 けれどその日は、なぜだか気が向いて久しぶりにそこを訪ね、なんとなく、ゼガーの幹にもたれて空を見上げていた。

 今にして思えば、おそらく私は、ただ、一人になりたかったのだろう。

 私は、賑やかなセレタの暮らしが好きだ。人懐こく愛情深いセレタの家族たちが好きだ。けれど、四六時中誰かが傍にいて親しげに身体に触れたり優しく話しかけたりしていて、そういう風でない時が全くないこのセレタにいると、ほんのときたま、ふと、一人になってみたくなるのだ。


 そして、その時、森が語りかけてきた。


 森が語りかけてくれる、その感覚を、私はやはり、言葉で説明することはできない。

 少なくとも、それは、言語ではない。耳に聞こえる音でもない。彼らが口をそろえて言っていたように、私にも、ただ『わかる』のだ、としか言いようがないのだ。

 けれど、森が語ってくれた物語を、映像の形に変えて頭の中に思い描くことはできる。その映像の大意を、自分の言葉に置き変えて語ることはできる。

 森は私に、この森の来歴を、この森と〈森の民〉の共生の真の姿を、語ってくれた。

 うまく説明できる自信はないが、そのおおよその内容を、私の言葉で書き留めてみよう。



 太古の昔、遠い宇宙の彼方から、遥かな闇を越えてこの星に飛来した一粒の種子――あるいは胞子。まだ眠っている、一つの生命体。

 それが、乾いた荒れ野だったこの大地に降り立ち、たちまち目覚めて最初の根を――あるいは吸管を出し、その管を深く地中に挿し伸ばして己を固定し、地表にしっかりと張り付くとともに地中に眠る水を吸い上げて、やがて地上に小さな芽を出した。――その地で育つにふさわしい姿を選んで。


 生まれたばかりの小さな芽の、その地上部はこの地の樹木の芽の形をしていたが、実はその生命体の大部分は地表をぴったりと覆うように広がって、その下には、地上を遥かに凌ぐ規模で膨大な根がびっしりと絡みあっていた。

 一見、一本の小さな樹木の芽生えに見えるものは、実は、そういう、地中と地表に広がった大きな生命体の、ほんの一部を成す突起物なのだった。

 それが樹木の芽の形をしていたのは、樹木の種子たちの記憶をなぞってかたち造られたからだ。宇宙から来た生命体は、地中に眠っていたこの地の植物の種子を己のうちに取り込んで、その記憶を、性質を読み取り、模倣したのだ。


 のちに〈森〉と呼ばれることになるその生命体は、そうした芽吹きの過程において、植物の種子のみならず、土中に潜んでいた微細な生き物たちを己の成長に組み込んで、この星の生命と融合し、大地と融合し、その場所に一つの生態系を形成していった。


 そうして生まれた最初の小さな森は、気の遠くなるような長い年月をかけて大きな森に成長し、地表で成長すると同時に、地中に張り巡らされた膨大な根も、ますます増殖していった。ちょうど、地中に広がる茸の菌糸のように。


 そう、茸がそうであるように、この森の木々は、例え外見上の種類が違っても、地中深くで、すべて繋がっているのだ。この森は、ひとつの巨大な生命体であるのだから。


 森は、地中深くから吸い上げた水を、樹木の枝葉を通して空中に放って、苛烈だった地表の気候を和らげ、空気を清め、周囲の荒れ野に降水をもたらした。

 森がもたらした雨は、不毛だった荒れ野に草を芽吹かせた。

 細々とながら草が芽吹けば、その草を食べる虫や獣が、草を頼りに荒れ野を渡って森に辿り着く。そんな草食の獣たちを追って、肉食の獣たちも森に引き寄せられてくる。空を渡って、鳥の群れも訪れる。鳥や獣は、時に、新たな植物の種や虫たちを運んでくる。

 森は、それらの生き物を受け入れるために、少しずつ姿を変えていった。最初の森が生まれた時にしたように、彼らの食料により適するように自らの組成を変え、彼らの生み出すものを自ら取り入れて利用するすべを整えて、彼らを生態系に組み込んだのだ。

 森に住み着いたこの地の動物たちは、長い年月の間に森の生み出すものと融合しつつ独自の進化を遂げ、森狼など、この森独自の、森の外では生きられない、森と共生する生物となった。

 鳥や獣に運ばれて紛れ込んできた草花の種や小さな虫たちも同じように森の営みに組み込まれていったが、大樹の種子は、すでに姿を確立していた森固有の樹木を脅かすものとして森に受け入れられず、たまたま芽吹くことはあっても大きく育つことはできずに枯れていった。


 いったん独自の生態系が完成すると、森は、それ以上、外のものを受け入れるのをやめ、姿を変えることをやめた。


 こうして、宇宙から飛来した種子は、この地にしっかりと根を下ろし、悠久の時を生き始めたのだ。


 その間、外の世界では人間という種族が台頭し、時に狩りの獲物を求めて荒地を越えてきて、森の回りをうろつくようにもなったが、かつて獣たちを受け入れた森は、彼らを受け入れることはなかった。彼らがやがて木を伐り、森を焼き、地を耕すだろうことを知っていたから。

 かわりに森は、この地の人間に姿と生態を似せて、自らの民を産み出した。木や苔が花を咲かせるように、地中に広がった菌類が茸を生やすように、自らの一部を変化させ、独立した生き物のようにかたち造ったのだ。

 宇宙から飛来したこの生命体は、もともと、そのように、自分が降り立った星の生き物に擬態する性質を持っていた。姿形だけでなく性質や生態も似せることで、その星での生存に適応するために。『彼ら』は、そういう戦略で生き延びる生命体なのだ。


 密集した藪の中や樹上を動きまわるのに適した小柄で身軽な〈森の民〉は、自ら動くことのできない森に代わって、その手足となって森の手入れをする、いわば森番の役目を負った。

 そしてもう一つ、森という木が咲かせる花として、生殖という役割を。ちょうど、一本の木が雄花と雌花を咲かせ、自家受粉するようなものだ。

 それによって、森は、より多彩な繁殖手段を獲得した。


 〈森の民〉は、最初のうち、森の外周部にセレタを作り、そこに死んだ仲間を葬ることで、森を拡大していった。そうして何十世代もセレタを移しながら森を拡大し続け、十分な大きさになると、今度は森の奥に戻ってきて、古い木が朽ちた後に新しいセレタを作り、その周囲に仲間を葬るようになった。そうして、その後も、幾十世代もの間、森が必要と思う場所にセレタを移して森を維持し続け、増えすぎた獣を狩り、森に入り込んだ外界の植物の中で不要なもの、過剰なものを排除して、森の均衡を保ちつづけた。


 彼らがそうして森とともに穏やかに満ち足りた日々を送り、独自の文化をゆったりと育てている間、荒れ野を越えた平原では、急速に数を増した人間たちが畑を耕し、村を作り、町を作り、天を衝く塔を建て、城壁を築き、時に剣を取り、火の矢を降らせて諍った。幾つもの文明が生まれては衰退し、幾つもの国が興っては滅び、数々の戦乱の嵐や気候の変動が地表を吹き荒れた。

 けれど、この森と、森に抱かれた〈森の民〉だけは、森がこの地にもたらす穏やかな気候の中で、時の流れに取り残されたように変わらぬ姿を保ち続けた――。



 これが、森が私に語ってくれた、彼らの物語だ。


 これらのことがらを伝え終えて、私の中から森の『声』が去った時、私の頬を涙が伝っていた。

 こうして森の声を聞いたという自分の体験の不思議さ、森が語ってくれた物語の驚異に打たれ、同時に、〈森の民〉の真の姿を知って彼らと自分との隔たりを思い知った、その悲しみに打ちのめされて。


 たしかに、彼らはよく、自分たちは同じ一本の木に咲く花のようなものだと言っていた。花の一輪一輪は別々の花ではあるが、木という大きな一つの命の一部なのである、それと同じように、自分たちは、森という大きな一つの命の一部なのである、別々の姿をとっていても、本当は一つの命なのであると。

 私はそれまで、その言葉を、比喩であり、彼らの思想、哲学、人生観のようなものであるのだと思っていた。だから、私も、彼らに真にセレタの仲間と認められさえすれば、同じ木に咲く一輪の花の一つ、同じ一つの命の一部とみなしてもらえるのだろうと。

 けれど、森が語ってくれたことは、それが比喩などではなく、単なる事実であったことを明らかにした。

 彼らは本当に、森という一つの巨大な生命体の一部だったのだ。

 彼らは事実として森と一体なのであり、人の姿で生きている時も、たまたまそういう姿をとっているというだけで、その本質は『森』という一つの大きな生き物の一部なのだ。

 彼らが森を意思のあるものであるかのように言うのも、それまで思っていたような単なる擬人化、神格化ではなく、この森は本当に、ある種の知性と意思を持つ、一つの巨大な生命体だったのだ。宇宙のあちこちに散っていって、辿りついた先に根を下ろし、その星に適応するために自らの組成さえ作り替えて、その星の生き物の生態を真似て生き延びるという、驚くべき生存戦略と適応力を持つ宇宙規模の生命体だったのだ。


 それを悟った私は、衝撃に呆然とした。

 今まで見ていた彼らの姿が、セレタの素朴な暮らしが、実は全く違う様相を隠し持っていたように思えて、ふと戦慄もした。

 彼らが我欲を持たず互いに争わないのは、彼らの人格が高潔だからではなく、もともと同じ個体だから争う必要がなかっただけなのだと思いいたると、今まで彼らに抱いてきた尊敬の念を裏切られたような気にもなった。


 が、あらためて顧みれば、彼らは、同一個体ではない私にも、同じように気高く寛い心で接してくれていた。仲間たちに注ぐのと同じ自然な優しさと思いやりを、惜しみなく注いでくれた。

 彼らの心の優しさ清らかさ気高さは、間違いなく、本物なのだ。

 彼らの一人一人はやはり、今まで知っていた通りの素朴で愛情深い彼らであり、ある意味では同じ一つの個体の一部だったとしても例えば思考や感覚を共有しているわけではなく、それぞれの愛すべき個性もあって、一人一人がその人生を精一杯生きているだけなのだ。

 考えてみれば、今現在『人』の姿で生きている彼ら一人一人にとっては、自分たちが森の一部であるということは、ただ単に、他の生き物がそれぞれの属する生態系の一部であるのと同じことにすぎないのかもしれない。自分たちが死後も森と一体となって永遠に子孫を見守り続けるのだと信じて生きていることは、他の種族たちがそのような宗教、信仰を持って生きることと、何ら変らないのかもしれない。死後の永遠を、愛するものたちとの生死を越えた絆を信じつつそれぞれの今生を懸命に生きているという点で、私の知る『人間』たちと彼らの間に、何の違いがあろうか。

 そう思えば、私が愛した彼らの文化や暮らしは、やはりそのまま、私の目に見えるままに、そこにあるものだった。

 何が変わるわけでもない。何が違ったわけでもない。

 ただ、私が彼らの一員にはなれないという、最初から変わっていない事実が、はっきりしただけだった。

 この森で、私は異物なのだ。彼らは同じ一つの生命体の一部であり、私はそうではないのだから。


 姿形は似ているが、私は、死んでも木にはなれない。彼らの生には人の姿の時と木の姿の時という2つの相があり、私には、人の姿の生しかない。見かけの類似とは裏腹に、生き物としての生の形そのもの、命そのものの形が、根本的に違うのだ。

 私には、彼らの生の形を、彼らと分かち合うことができない。いくら客人として受け入れられ、友人として愛され、セレタの中に私がいる暮らしがいつしか当たり前のものとなってきてはいても、死んでも木にはなれない私には、森と共に生きる彼らの絆に組み込まれることは、愛情や友情とは関係のない次元で不可能なことだったのだ。


 それでも私は、彼らを愛する。彼らの一員となれなくても、彼らを愛することはできる。

 人間の愛とは、そういうものだろう。

 人間は、どんなに愛しあっても、一つになることはできない。ひとりひとり別々の人間であり、その上で、互いを愛するのだ。

 彼らは違う。彼らは本当に一つになる。いや、もともと一つなのだ。だから、彼らの『愛』と私の『愛』は違うもので、私には彼らの愛は共有できない。だから私は、私の愛で彼らを愛する。――いつか、ここを去る日まで。


 そう、私は、いつかここを去るのだ。

 森が語りかけてくれた時、そのことも確信した。

 森は私を、この世界のことを語らせるために呼んだのだ。このような世界があり、このような命が存在し、このように生きているということを、誰かに伝えるために。彼らの暮らしを、そのささやかな生と死と愛を、伝えるために。

 私は、『テル=Tell』、――『語る』ものだ。

 ありとあらゆる世界をめぐり、その世界を語る。それが私だ。


 だから私は、愛を込めて彼らのことを、この森のことを語る。

 私が『テル』である以上、この物語が伝えるべき誰かに伝わることと信じて。

 その誰かが、この森を、私が愛する〈森の民〉を、少しでも愛してくれることを祈って。


 夕餉の匂いが漂ってくる。空も暗くなりはじめた。そろそろ女たちが夕餉のために皆を呼び集めるだろう。ひとまずここで、ペンを――不格好な手製のペンではあるが――置こう。



  〈森の民〉のセレタにて、美しい娘を三人ほど膝に乗せて 

テル・トールマン記す


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〈森の民〉の物語 冬木洋子 @fuyukiyoko

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