色褪せない思い出

nobuo

◆ ◆ ◆


(あ、これこれ!)


 夏は過ぎたといっても、まだまだ残暑の厳しい九月半ば。

 突然思い立ってゴソゴソと押入れの奥を探り、汗だくになりながらも引っ張り出したものは、表にどら焼きと書かれた古いブリキの箱。

 表面のホコリを簡単に払い、懐かしさにワクワクと心を躍らせながら、ゆっくりと蓋を開けた。


(わ…懐かしいー)


 ビーズにリリアンにチェーリング。当時とても気に入っていたリボン。アイドルや少女雑誌の占いページの切り抜きまで入っている。

 少女時代にときめいていたものたちが、やや色褪せはしたものの、今こうして目の前にある。

 気持ちまでが一気に遡り、夢と希望に溢れていた甘酸っぱいあの頃に戻されるようだ。


「お母さん。一体何やってるの?」


 一人でニヤニヤとタイムトリップしていると、いつの間にか娘が部屋のドアを開けていて、不思議そうに私を見ていた。


「宝箱~。なんか急にね、思い出しちゃったのよー」


 そもそもはリビングに吊るされている純白のウェディングドレスを感慨深く眺めているうち、ああ、そういえば子どもの頃の夢って『オヨメサン』だったわ…と思った。

 ひとつ思い出したら次々と記憶が蘇り、その中にこの宝箱も含まれていたのだ。


「うわ、凄い。こんな古いもの、よく取っておいたわね~」


 最近エステに通っているおかげでスッキリ美人になった娘は、いそいそと隣に腰を下ろすと、箱の中身に手を伸ばした。


「ねぇねぇ、これ見ていい?」


 娘が取り上げたのは、今となっては時代遅れのキャラクターが描かれた、可愛らしい日記帳。ずぼらな性格のせいで長続きしなかったはずなのだけれど、どうしてちゃんととっておいてあるのだろう?

 何を書いたのか懸命に思い出そうと試みるが、どうしても思い出せない。考え込んで黙っていると、再度「いい?」 と訊ねられ、渋々頷いた。


「―――? なんにも書いてないわよ」

「ええ~?」


 期待を裏切られた娘がぷぅっと頬を膨らませる。突き返してきた日記帳を受け取ってページを繰るが、やはり何も書かれていない。


「…変ね?」

「も~! 三日坊主なら聞いたことあるけど、一日も書いてないだなんてビックリだよ!」


 ブツブツと文句を言いながら、今度はビーズに手を伸ばしている。


 私はといえば、必死で日記帳が白紙のままの理由を思い出そうと脳をフル回転させていたが、全くなんにも浮かばない。結局は諦めて脇に退け、アイドルの切り抜きを手にとった。


「この人、今じゃすっかりオジサンになってるのよね~」


 表面を撫でてしみじみと呟けば、「お母さんだってそうでしょ?」と、意地悪そうに娘が笑う。


「そうだけど! そうじゃなくて、この人がオジ…」


 とつぜん一気に記憶が蘇った。

 そうだ! なんでこのアイドルが好きだったかというと、当時好きだった男の子に似ていたからだ。

 やんちゃで乱暴者なクラスメート。でも裏の顔は勇敢でとても優しい人。

 慌てて日記帳を開き、窓に向かって透かして見る。


「…やっぱり」

「え、 何?」

「これね、昔流行った『消えるカラーペン』で書いたのよ!」


 誰かに見られても困らない対策。自分だけが読めるように、別の色でなぞると浮き出るペンで書いた両想いになれるおまじない。

 色ペンを探しながら、もう時効だしいいかな? と、話し出す。


「実はね、お母さん小学生の時に、見ず知らずの男に刃物で脅されたことがあったのよ」

「え…」


 下校時に近道しようと、学校で禁じられていた薄暗い路地裏に入り込んだら、汚い作業服に無精ひげの痩せた男がいて、突然羽交い絞めにされたのだ。


「本当に怖かったわー。ああ、これでもう二度と家族には会えないんだと諦めちゃったもの」


 さすがにペンは残っていないようだ。溜息をついて続きを話す。


「でもね、事態はすぐに大逆転! 同じように近道しようとしたクラスメートの男の子がたまたま見つけてくれて、石を投げつけて助けてくれたの。男が怯んだ隙に私の手を掴んで、二人で猛ダッシュ! どこまで逃げても追いかけてくる気がして、随分長く走り続けたわ」


 家まで送り届けてもらうと、安心からか大泣きしてしまった。慌てて家から飛び出してきた母が、彼から事情を聞いてすぐに通報。後日男は警察に捕まり、私は先生にとても叱られた。


「ねぇ、その男の子は?」

「ん? 彼も一緒に怒られたわよ。だって通学路じゃないところを通ったのは事実だもの」

「え~! 人助けしたのに?」


 納得いかないと文句を言う娘に、私はもうひとつ衝撃的告白。


「後から聞いたらね、彼、路地裏を通ったのは偶然じゃなかったの。気になるコが入り込んだのが心配になって、追いかけてきたんだって」

「えっ!! それってもしかして…」


 そしてさらに追加。


「ふふふ。もしかして…なにかしらね~? 詳しく知りたかったら、今夜にでもお父さんに聞いてみてね」

「えええっ!!」


 私はクスクスと笑いつつ、呆然としている娘の手からビーズを取り返し、日記帳も箱に戻して蓋を閉めた。

 押し入れの元の場所に箱をしまっている間も、背後では娘がハイテンションでもっと詳しく話して欲しいと騒いでいる。

 でも、ダ~メ。たとえ実の娘でも、勿体無いから話してあげない!





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

色褪せない思い出 nobuo @nobuo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ