旧くて、そして悪い
「あの~すみません....官僚様?もう監査対象の教室には着きましたが?」
そう肩を叩かれる。また同じことを考えていた。最近いつもこうだ。
「そういえばこの学校の名称を聞いていない。この学舎の名前は何という?」
「帝立麹町尋常小学校でございます。私は第二教頭を務める佐倉と申します。以後お見知りおきを、監査次長殿」
そういって香水臭い中年女性は話しかけてきた。どの学校を見ても相変わらずだ。私のことをめんどくさいだけの邪魔者だと思っているのは伝わってくる。なのに物腰だけは丁寧なのだ。わざわざ”監査次長殿”などと言っている時点で真意は分かる。定年後の再就職先の斡旋だろう。どの学校の校長も私に名前を覚えてもらおうとするし、精一杯へりくだる。
その熱意の一欠けらでも生徒に向けていれば生徒が俯きながら歩くことは無かっただろうに。
「にーちゃん、そんな悲しそうな顔をしてなにやってるのぉ?」
そう言って初々しい一年生が私を見上げる。私は表情を崩さない。誰かにつけこまれない為だ。なのに悲しそうだと分かったというならやはり小さき子供には希望があるのかもしれない。
「ガゴンッ」という音が響く。最初それが何の音か分からなかった。バケツでも落ちたのかなと思った。だが、素朴な顔をした先程の一年生が大声を上げ泣いているのだ。
佐倉というらしい香水女が拳を振り下ろす。それは幼き女児を容赦なく嬲るのだ。何度も、何度も。
「せんせぃ ゆるして もう.....しないから.......」
「どうせもう一回するのでしょ!これは校則違反です!まさか監査次長殿の前で崩し語を使うなんて!ここは帝立なのですよ?言う事を聞かぬ子どもにはこうするべきなのです!」
普通の学校よりも遥かに恵まれた帝立でもこれなのだ。その現状を嘆かずにはいられない。
「すみません....こうしなければ言う事を聞かないので....」
そう言い暴力を正当化する彼女の顔は紅潮していてとても晴れやかだった。
最近、こういう人間が増えてしまった。目上の人間には絶対的な服従を誓い、目下のものを虐げるような人間が。元々学校にはそういう人間が多い。教師というのは最初から生徒という存在の絶対的支配者であり、同時に文部省という存在への絶対的服従者であるから歪みやすい。私が尋常小学生の頃にもいた。
今まで、このような事象は最初から絶対的支配者かつ従属者である学校特有の歪みだとされてきたが、それは違うようだと今なら言える。
今ではこのような事象はあらゆる業種で起き社会の深刻な歪みとなっている。その歪みの下で育った人間も歪み、いづれ同じようになるのだ。この悪循環は自然には終わらない。
一年生の目の輝きが失せ、礼をしながら拳を震わせるようになったのがその証左だ。この学校は今日、一人の心を殺したのだ。
数十年前は違う国家のものだった、朝鮮人、満州人、タイ人、インドネシア人の移民の子供も古臭い教室で画一化された制服を着ている。これを先人が見たならば感激しただろう。これこそが、我々の理想とした大東亜共栄圏の光景であると。
だが言わせてもらおう。私達はこんなことを望んでいないと。私達はこの文化差に幾度ともなく苦労した。独立を防ごうと融和策に走った政府により産業構造も行政構造も深刻な機能麻痺を起こしている。この張りぼての大東亜帝国とやらは冬の木の葉の様に脆くそして薄べったい。
私はこの崩壊しつつある大東亜帝国を教育という根本から立て直す為に帝国最高学府の東亜中央帝大の中では格下と言われる教育学部に止められつつも入って、文部省に入ってどうすると言われながらも文部省に入った。
しかし、私が守るべき、興すべき国はもうここにはないかもしれない。
コンコルド効果、そのような言葉がある。このまま投資を進めると損失が出ると分かっていても、これまでに投資した分を惜しみ、ついつい投資を継続してしまうという心理学、経済学用語だ。だがこれは国家においても同様かもしれない。
この国家が衰退に向かいつつあるのは間違えない。それは多くの人間が同意することだ。しかし、今すぐ本国以外の領土を手放せと言われても手放せない。復活する見込みがないというのに。元来、人間という生き物は恒常性を持ち、命を保持しなくてはならない、そういう意味において当然の帰結として人間は国家という存在について保守的な考えを持つ。
だからこそ、外部からの大きな衝撃が必要だ。私は改めてそう認識した。旧態依然とした尋常を見て。
そして歴史の針は進み始めた。
皇国連理 雷比 @harumakinohito
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