皇国連理

雷比

既死の病人

「こちらです~どうぞどうぞ~」

そうへり下った態度で言われジメジメとした土の地面を踏み、ささくれだった木の門を潜る。

何も変わっちゃいない。何も変われなかったのだ。白黒写真の頃から学校は土の道で木の門で地面付近のものがカビている木で作られていると決まっている。もう2019年だぞ!?と突っ込みたくなるがそんなことはできなかった。


そもそも西暦を使うのは褒められたことではない。光文26年、そう呼ぶべきと法で決まっている。仕事柄海外によく行くのだが、元号で呼ぶ慣れのせいで幾ら苦労したことか。その他にも駅がレンガのままだったり、高いビルが無かったりと本当に景色は変わらない。


我が国の人民はそれを伝統的な風景として甘受し、海外の人間はノスタルジックでいいじゃないかと言うが、それはどれも本質的ではない。この風景が近代化に取り残された結果だと言うのは、日に日に朽ちていく量産型の公共住宅が表している。

それでもこの国の人民が現状を受け入れず、より良き共同体へ前進していく決意があるなら私は文部省の官僚としての誇りをもって仕事をしていたかもしれない。


少なくとも数年前、東亜中央帝国大学を出て文部省に入った時にはそう思っていた。この国は教育によって良くできる。この国は少し遅れているが、大衆とともに共に熱意を持って進めばいずれ強靭な国になれると。このボロボロで古びた風景はどの国にも負けないほど科学的で進歩的なものになれると。


この国は空っぽだ。領土だけ大きいでくのぼうだ。科学技術は段々と遅れを取り、民主化した政治体制はやがて衆愚化し、政治家は政治屋でしか無くなった。

何より、この国の民衆には希望がない。例え貧しくとも希望があるのならば私はこの国の為に骨を折り尽くしただろう。


この国の民衆は虚ろだ。芯というものがない。あらゆるものに迎合しようとする。この国で成功者とされる人間は皆そういう人間だ。吐き気がするが認めざるを得ない。成功者になれなかった人間は全てを諦めその現実を受け入れる。


私はそうではない。そう信じている。だが、今ここに官僚として上に意見できず、高給を貪るだけの私がここにいるのだ。


分かっている。私がしている仕事は体制の維持とプロパガンダの為であると。

『文部省初等教育監査』それが私の仕事だ。尋常小学校を周るだけ、はっきり言ってパフォーマンスだ。これによって教育が変わった訳でも何でも無い。ただ教育改革をしているというアピールの為に使われているに過ぎない。だが、国民はそれを改革が始まったとして礼賛しているのだ。


本当に愚かでどうしようもない。役人が革命を望むほど。

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