一章

第一話

 台風が近付いている為か、曇天の空に風が吹いている。道を行く人は風に煽られて、時折姿勢を崩している。

 話では過去最強レベルの台風らしい。毎年更新されていく過去最強のレッテルは最早必要ないとすら感じるが、言わずにはいられないのだろう。

 あまり好ましいとは言えない天気の下、天野あまのみどりはファミレスの角席に座っていた。

 ストローを真っ黒の液体が登っていく。シュワシュワと口の中で弾ける。

 

「遅いな……」


 スマホで時間を確認する。既に時刻は約束の正午を大きく過ぎており、もうすぐ十三時を回る。

 昨晩とは別の、しかし全く同じ紫色のパーカーに灰色の上着を羽織っている。部屋着のまま出てきた、という感じがしっくりくる。

 コーラがなくなると、閑散とした店内に氷がぶつかり合う音だけが残った。

 空になったコップを手にドリンクサーバーへ向かう。

 押すのは黒を基調にした赤字の入ったボタン。

 炭酸が弾ける音と共にコーラが注がれる。

 その光景を眺めていると、店内に独特な音楽が流れた。


「うっす、碧。遅れた」


 店員と言葉を交わし、一直線に碧のもとへやってきたのは二人の男女だ。

 全身を真っ黒で染め、照明を反射するような銀髪がよく映える少年––––古豪こごう明日斗あすとが片手を挙げて碧の名前を呼ぶ。


「ごめんね。コイツが忘れ物したって取りに帰るからさ」


 少し赤みがかった長髪に、茶色のコートに白のショルダーバッグの組み合わせの少女––––椎名しいな流唯るいは明日斗に向けて親指を立てる。

 どちらも碧の級友にして親友、更に言えば幼馴染だ。とは言え、マンションに引っ越した碧だけが今は離れた場所に住んでいる。

 隣町までやって来て貰っているのだ。溜まっていた文句を吐き出すこともなく、碧も挨拶代わりに片手を挙げた。


 明日斗と流唯が隣り合って座り、碧が二人の正面に座る形で席に着いた。

 

「……それにしても、今日は随分と寒いな。台風が来てるんだっけ」

「過去最強の台風だってさ。今年に入ってから今年に入ってから何回目の過去最強なんだか」


 コートを脱ぎながら、流唯がやれやれと首を横に振る。同感だった碧もコーラを飲みながら頷く。

 実は過去最強というレッテルは案外安いものなんじゃないかと勘違いしそうになる。


「明日の学校も休みになればいいんだけど。なんで朝になると台風って通り過ぎてるんだろうな」

「あー、それ分かる。学校の日の朝になると快晴になってたりするよね」


 二人の会話に激しく同意する。

 

「確か明日ってテストあったよな」

「数学の小テストね」

「尚更休みになってほしいな。テスト監督次第だけどさ」

「また佐藤さとう先生? 男子に人気だもんね」


 佐藤の名前に明日斗の口角が上がる。

 数学担当教師の一人である佐藤紗雪さゆきは、男子高校生の夢と希望を詰め込んだようなスタイルに冷たい眼差しが特徴的だ。口調も厳しいところがあるが、そこが人気の一因でもあるらしい。

 あまり紗雪に興味がない碧はコーラを一気に飲み干した。ズズズッと音を立てて、ストローは未だ何かを吸い込もうとしている。


「碧、いつまでそうしてるの?」

「––––プハッ」


 ストローから唇を離す。

 

「碧は放っておくとずっとコーラ飲んでるからな。たまには他のジュースも飲んでみたらどうだ?」

「遠慮しとく」


 予想通りの反応と言わんばかりに、碧の回答を無視して明日斗は備え付けの呼び出しボタンを押す。

 他の客が極端に少ないからか、すぐに店員がやって来た。明日斗は碧と同じくドリンクバーだけ頼み、流唯は特大のパフェを頼んでいた。

 珍しい日替わりパフェなるものに、碧も多少の興味があった。

 そうだ、と流唯が思い出したように明日斗に向く。


「駅から取りに帰るほどの忘れ物ってなんだったの?」

「ああ、これだよ」


 明日斗が取り出したのは一つの紙包だった。それほど大きくはないが、辞典はどの分厚さがある。


「なにそれ。レポート?」

「なんでさ。こんなに分厚いレポートの課題なんて出たことないでしょ」

「明日斗のやり直し分も全部入れれば、このくらいの分厚さになるんじゃない?」

「……確かになりそう」

「碧も!?」


 明日斗は半ば呆れ気味に碧のコップを持って立ち上がり、そのままドリンクサーバーへ向かっていく。

 戻ってきた手にはコーラが入ったコップが二つ。そのうちの一つが碧の前に置かれる。


「それは大学生の卒業論文だよ。流唯が好きそうなテーマがあったから、折角だと思ってさ」

「ふぅん。で、何のテーマ?」

「開けば分かるよ」


 流唯が紙包を開いていく。出てきた紙束はレポート用紙より一回りほど小さい。ネットで公開されていたものをコピーしたのだろう。

 コーラを飲もうと碧がコップを握る刹那、流唯の手がそれを遮った。


「碧は一度ストロー咥えると離さないから、今は我慢して」

「僕をスッポンか何と勘違いしてない?」


 悪態を吐きながらも、身を乗り出して広げられた論文を覗き込む。論文にはペンでラインが引いてある。

 明日斗が読むのが不得手な流唯の為に重要な部分を分かりやすくしたのだろうか。

 最上段の大きな丸で囲われた文字に目をやる。


『第五の因子の可能性について』


 それが論文のテーマだった。

 

「第五の因子って、都市伝説の『堕天の因子』のこと?」

「その通り。ガブリエル、ウリエル、ミカエル、ラファエルの因子に割り込む……かもしれない、昔の誰かが提唱したルシファーの因子のことだ」

「へぇ……」


 反応こそ薄いものの、流唯の瞳は輝きを宿している。まさに興味津々といった具合だ。

 存在すらあやふやなルシファーの因子。都市伝説を証明する論文だとしたら、それは最早世紀的な大発見になっているはずだ。

 その手の話に敏感な流唯が知らない時点で、おそらく証明まではできなかったのだろう。


「なになに……」


 流唯がラインを引かれた部分を読んでいく。

 第五の因子発現の遺伝的継承や突然変異、合成について様々な可能性が説かれていた。難しい話が分からない碧の脳内には常にクエスチョンマークが浮かんでいた。


『––––以上、これらの実験の結果、第五の因子の存在の可能性は十分にあるものの、発見するには至らなかった。

 しかし、存在すると仮定する。

 第五の因子持ちは力の象徴たる翼の数、大きさ、美しさにおいて他の因子と逸脱すると思われる』


 やはり発見は出来なかったようだ。

 満足気に読み上げた流唯が手元のコーラを一飲みする。


「あっ……」

「んんん! 面白かった!」


 碧の声は流唯の声と重なり、押し消された。

 一瞬で半分ほど無くなったコーラを返された碧は、少し悲しそうな表情を浮かべてストローを咥える。

 当の流唯は悪気も無しに明日斗と盛り上がっている。

 残り少なくなっていたコーラを一思いに飲み干し、碧が席を立とうとした。

 その瞬間。

 

 ––––ドン


 昨晩も感じた、何かが破裂するような腹に響く音の後、窓の外で黒煙が登っていた。その後、耳障りな警報音が鳴り始める。

 ほんの数十秒が鳴り止むと、空を四つの光が飛翔していく。


「悪魔出現!? ここから近いぞ!」

「嘘!? 討伐隊も悪魔も見に行きたい! でもパフェも食べたい!」

 

 盛り上がっていると、店員がお盆にギリギリ乗るか乗らないかの大きさの器に盛られたパフェを持ってきた。


「こんな大きいの食べてたら間に合わないよ……」


 唖然とする流唯を他所に、明日斗が碧の手を引く。


「碧! 流唯は置いて見に行こうぜ!」

 

 興奮状態の明日斗に引き上げられるように席を立つ。


「いや、でも、危なくない?」

「何言ってんだ。見てみろよ!」


 促されるままに窓の外へ視線を戻す。

 道を走る者、空を飛ぶ者、車を走られる者。その全てが黒煙の方へと向かっていく。

 野次馬精神の旺盛な人が多いらしい。


「流唯はそれ食ってから来いよ!」

「その頃には終わってるよぉ……」


 涙目なりつつ、美味しい美味しいと言いながらパフェを食べ続ける流唯。急いでいるようだが、大きさ故に減っているように見えない。

 はぁ、と溜め息が漏れた。


「流唯。残りは僕が貰ってもいい?」

「えっ!? 食べてくれるの!?」

「うん。僕も気になってたからさ」

「あげるあげる! お代は明日斗に払わせとくから、食べ終わったら来てね!」


 抗議の声を上げる明日斗は、流唯に引き摺られていく。支払いをさせられる明日斗に同情しつつも、人のお金で食べるパフェは更に魅力的に感じた。

 二人が店内から出ていくのを見送ると、空のコップにコーラを補充して、座り直す。

 突き刺さっていたスプーンでパフェを一口。


「––––……うん、甘い」

 

 パフェを頬張り、頬を朱色に染める碧の姿は女性と言われても疑わず、むしろ男性と言われた方が疑いがかかりそうだった。

 未だ騒がしいを気にもせず、碧はもう一口、更にもう一口と食べ進めていった。



 

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天野と紫翼の天使 紫苑 @maro0208tiro

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