虚ろの神子 12

 馬車の荷台は相変わらず窮屈なものだったが、検問を抜けてからの道行きは存外に穏やかなものだった。商人たちの表情も心なしか最初より和らいでいる。リューグたちのように特殊な事情がなくとも、検問は緊張感を伴うものなのだろう。ようやく商品を運べるという安堵感が隊商全体を包んでいた。とはいえ、街の外は外で別の危険があるものだ。護衛についている男たちは和やかな空気を乱さないように気遣いながらも、常に周囲に目を光らせていた。

「……意外と、真面目にやってるんだよな」

「なんの話?」

 何気なく零した独り言にシェーラが応える。商品扱いのリューグたちには、商人たちも最低限しか関わらない。ほぼ荷台に詰め込まれたまま過ごしているので、必然的に二人で会話する機会が増えていた。互いに多弁な方ではないが、気を紛らわせようにも他にできることはない。丸一日も経てば、舌を噛まずに雑談できるくらいには馬車の揺れにも慣れていた。

「カミル。普段と随分態度が違わないか」

「ああ、なるほど。確かにね」

 リューグが言葉を付け足すと、シェーラは得心がいったというように頷いた。やはり同じように感じていたのだろう。

 軽薄で強引で嫌なやつ、というのがリューグがカミルに見た人物像だが、アンヘルを出発してからその一面は鳴りを潜めてた。隊商の護衛に成りすましたカミルは礼節を弁えた好青年で、短期間で他の護衛からも信頼を得ているように見えた。時折地下倉庫で顔を合わせていた以外の彼の暗躍は知らないが、突貫の演技であることは間違いないのによくやるものだ。それとも、案外こちらが素に近い振る舞いなのだろうか。いずれにしても、リューグからの評価は変わらないのだが。

「まぁ、貴族だろうしね。腹芸は得意なんでしょ」

「……そうなのか?」

「考えてもみなさいよ。王命で活動してる組織である程度の判断を委ねられてる人間が、そこらの庶民なわけないじゃない」

 言われてみればと、今更ながらリューグは膝を打った。あの時は深く考えている余裕もなかったが、場末の酒場で王の名前が出てくるのに違和感を覚えたのだ。貴族というのが心地よい言葉と笑顔で相手を欺き、腹の探り合いをする生き物だというのは知っている。目下と見れば途端にその仮面が剥がれるということも。アゼリア教会に属する人間の多くも貴族だった。それを踏まえれば、普段のカミルの威圧的な言動も、そこからの変わり身も納得である。それでも、教会の連中と比べればまともに会話が成立する。まだ付き合いやすい方、かもしれない。というより、当面は付き合っていかなければならない。今後のことを思うと、自然と溜息が出た。

「地下倉庫にいた奴らは全員貴族?」

「さあね、流石に一人一人の素性までは知らないわよ。言ったでしょ。雇われなのよ、私」

 会話はそこで途切れた。荷がぶつかり合う音と車輪が回る音だけが響く。掘り下げて聞く必要も感じないので、再び沈黙に身を委ねて気が向いたら口を開く。そのつもりだったのだが、不意に思い立ってリューグはシェーラの言葉の端を拾った。

「雇われって前にも言ってたけど、目的って何なんだ? なんで〈牙〉に協力してる? 金目当てにも見えないけど」

 ――私には私の目的がある。

 そんな言葉を聞いた気がしたが、今まで理由を尋ねたことはなかった。継続的に情報収集するのが彼女の〈牙〉における役割だろうが、報酬が欲しいだけならあまり旨くない気がする。今回のように危険な橋を渡る場面も多そうだし、手持ちの情報を高く売りつけて縁を切った方が身のためだ。雇われと強調するが雇用側に媚びる様子もない。協力せざるを得ない切実な事情でもあるのだろうか。

「……どうしてそういうところは気が付くのかしらね」

 眉をひそめ、シェーラは複雑そうにそう零した。あまり触れられたくないことだったのかもしれない。

「別に、言いたくないなら無理に聞こうとは思ってないけど」

「気を遣われるようなことじゃないわよ。私の目的は……半分くらいは達成したようなものだけど、思ったより面倒なことになってるみたいだから。機会があれば教えてあげる」

 結局は曖昧に誤魔化されてしまったが、それ以上リューグには追及できなかった。気を遣うなと言いながらシェーラの表情がどこか寂しげであったことと――馬車の外の異常に気が付いたからだ。

「なんだか、騒がしいわね」

 シェーラもまた、怪訝に耳をそばだてる。幾度か怒号が飛び交い、馬車が急激に速度を上げていく。怯えたような馬の嘶きが否応なしに緊迫した空気が高まっていく。次いで、濁った悲鳴が聞こえた。すぐ近くだ。そう認識すると同時に、今度は馬車が急停止した。ただでさえ狭い空間の中で荷が崩れ、身体が押し潰される。それらを掻き分けてどうにか幌の外に顔を出すと、そこには惨状が広がっていた。

「……冗談だろ」

 地面に人が転がっていた。不自然に捻じ曲がった姿勢で周りの土を赤黒く汚し、目を見開いたまま事切れていた。方々から聞こえる叫び声、剣戟、何かが破壊される鈍い音。見れば、商人たちに混じって見るからに粗野な男たちが暴れ回っていた。野盗だ。護衛が応戦しているが、全く手が回っていない。襲撃の可能性は当然考慮していたはずだが、恐らく想定していたより規模が大きいのだ。国の荒廃でならず者たちが急増したせいか、商人たちの読みが浅かったのか。しかし、何が悪かったのか考えている暇はなさそうだ。年若い商人をいたぶっていた野盗の一人が振り向き、視線がかち合う。

「馬鹿野郎、顔を出すな! 大人しく引っ込んでろ!」

 まずい、と感じたその瞬間に、リューグは罵声と共に幌の中に押し込まれた。あわや倒れ込むかと思われたところをシェーラが支える。顔は見えなかったが、カミルだ。この馬車を守るように戦っているらしい。幌の隙間から様子を窺う。細身の剣を手に上手く立ち回っているようだが、多勢に無勢だ。倒れるのも時間の問題である。

「外、どうなってるの」

 強張った声でシェーラが尋ねるが、言葉が出てこない。辛うじて野盗が、数が多い、とだけ告げると、彼女はそれだけでも状況を察したようだった。

「潜り込むのに、こんな明らかに金を持ってそうな隊商を選ぶからよ」

 心底忌々しげに毒づくシェーラだったが、流石に焦りが滲んでいた。これからどうするべきだろうか。カミル以外の護衛たちがどれほど無事かは確認できないが、この数の野盗を退けられるだろうか。機を見て逃げ出すべきかもしれない。だが、既に包囲されているならそれも難しい。荷台にまで奴らの手が伸びれば、殺されるか――他の商品と同じように売り飛ばされるか。自らの想像に眩暈がする。しかしそれは、思った以上に早く現実となって襲ってきた。不意に視界が開け、血の臭いが鼻をつく。

「お、奴隷か? 上玉じゃねぇか」

 返り血で染まった見知らぬ男は、もつれた口髭の隙間に黄ばんだ歯を覗かせていた。舐め回すようにリューグを、そしてシェーラを検分し、下卑た笑みがますます深くなる。その下で何を考えているかなど見え透いていた。どうにか抵抗を試みようと身構えるが、屈強な腕に容易く押しのけられリューグはしたたかに頭を打ち付けた。

「この、離しなさいよ!」

 男はもがくシェーラの腕を容易く捻り上げ、そのまま馬車から引き摺り下ろす。後を追おうとするが、頭を打ったせいか身体が上手く動かない。辛うじて伸ばした指先も届かない。彼女をどうするつもりだというのか。すぐ傍にいたというのに――『また』奪われるのか。

 その瞬間、目の前が真っ白になった。

「がああああああぁ!」

 獣のような男の悲鳴で我に返った。色の戻った視界には、弧を描くように赤が散っていた。鮮血は荷台の下と、どこからか落ちてきた精巧な人形の腕を繋ぐように続いている。いや、人形などではない。そんなものは荷の中に含まれていなかった。あれは人体の一部だ。今しがたシェーラを捕えていたはずの、男の腕だ。

「逃げるわよ!」

 正気に返るのはシェーラの方が早かった。リューグの手を掴み、荷台から飛び降りる。駆けだす寸前に地に伏す男の影が見えたが、生死を確かめている余裕はなかった。がむしゃらに地面を蹴る。すれ違った男たちは呆けた顔でリューグたちが載せられていた荷台を見つめていたが、しばらくして思い出したように何かを叫び始めた。商品、或いは戦利品である奴隷が逃げ出したと気付いた人間が追いかけてくる気配があった。数としては二、三人ほど。このまま振り切れるだろうか。無理だろう。周りは敵だらけだ。ああ、もう追手の手が届く――諦めかけた瞬間、敵との間に割り込んでくる人影があった。追手に足をかけ、手にしている剣で一閃。続くもう一人も同様に蹴散らして、助け手は振り返り顔をしかめた。カミルだ。

「出てくるなって言っただろうが……派手な光が上がってたが、あれは何だ?」

 後半は明らかに自分に向けての問いかけであったが、リューグは何も言えず口を噤んだ。一瞬の出来事だった。何が起きたのかリューグとて分からない。それでも、己の右手に熱が残っていることに気付いていた。

「細かい話は後にして。この状況、どうする気?」

 沈黙を遮ったのはシェーラだった。カミルは軽く肩を竦めると、指を口に突っ込み高く音を鳴らした。ほどなくして栗毛の馬が寄ってくる。出立前からカミルによく従っていた馬だ。カミルはその鼻面をひと撫ですると、リューグたちに向き直る。

「ここから西に〈牙〉の拠点として使ってた廃村がある。そこで落ち合おう。俺はこっちが落ち着いたら追いかける」

 言うや否や、カミルはリューグの襟首を掴んで鞍の上まで押し上げた。咄嗟にたてがみにしがみつくと、栗毛は不快そうに鼻を鳴らし身を捩った。カミルはそれを宥めすかし、シェーラも同じように馬上へ押し上げる。彼女はリューグの外套を掴むことでどうにか姿勢を立て直した。

「おい、馬なんか乗ったことないって」

「つべこべ言ってる場合か? 操れなくてもしがみつけ。振り落とされるなよ」

 言い終わるかどうかのところでカミルは栗毛の尻を叩き、無情にも馬は駆け出した。そうなればもはや彼の言葉に従うほかない。リューグたちは歯を食いしばって馬の背中にしがみつき、そうしている間に辺りの景色は目まぐるしく流れていった。

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災禍の刻印 イツキ @nekoyume

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