17.名案

「カスミちゃん、魔女を知らないなんてどこでどうやって生きてきたの?」

「自分が魔女じゃないとアピールしたいからってそんなマネまでしなくていいんだぞ。むしろ逆効果だ」


 知識不足を笑われるくらいは覚悟していたカスミだが、それぞれに違った心配は〝魔女〟という単語に触れるわけでもなく、ただ質問すること自体がおかしいのだと遠回しに示したものだった。

 あまつさえ身に覚えのない工作まで疑われる始末で、そこまでされては言い繕うのも一筋縄とはいきそうにない。もし下手な返答でもしてしまえばまた警戒対象へと逆戻りも考えられる。


「えっと、それは……」


 思わぬ藪蛇に右往左往する瞳を止められないカスミだったが、幸いにも誤魔化しの言葉を口にする必要はなかった。それより前にエリンの明るい声が場を変えてくれたのだ。


「ふた……三人とも、こっち来て! ロディが落ち着いてきたみたい!」

「本当か!」

「ああ、よかった!」


 弾けたように反応したガロットとネーニャが駆け寄っていく。

 呼びかけたエリンはというと振り返る顔に満面の笑顔を浮かべていて、そこには一切の曇りも無い。ただ一つ、目尻に小さく光る雫を除けば。


「おお、たしかにだいぶ顔色が良くなったみたいだな」

「ええ! 呼吸も安定したみたいね」


 頬を緩めロディの顔を覗き込む二人。数歩遅れで追い付いたカスミもそれに倣ってみると、確かに毒や怪我による苦痛は見えなかった。規則正しい寝息も静かなものである。

 しかし濃緑色の柔らかな髪は汗でベッタリと額に貼り付き、その上その細面は不安になるほど白い。これで良くなったと喜べるなら元はどれほどだったというのか。

 近づいてみてカスミが少し意外に感じたのは首よりも下、身体に掛けられた濃い茶色の外套に、他の三人のような鎧の膨らみが見えないことだ。代わりに特徴的なのが服装で、飛び出した手足の裾から見るにカスミの着るローブのような緩い衣服に身を包んでいることがわかる。

 全体的な線の細さも相まって、体力勝負よりも頭脳労働担当ではないかという印象だ。


 そんなロディのすぐ傍には茶色い空き瓶が三本並んでいる。渡したお手製ポーションが一滴も残っていないことを認め、カスミはおずおずと顔を上げた。


「ポーションはちゃんと……だいじょぶでしたか?」

「ん? もちろん! 本当に助かったよ。ありがとうね!」


 漠然とした確認にエリンは一瞬疑問符を浮かべ、それでも朗らかに返してくれた。それはポーションのおかげで解毒を果たしたという意味でのことなのだろうが、しかしカスミが本当に聞きたかったことは少しだけ違う。

 解毒ポーションなんて胡乱な代物が本当に受け入れられたのか、という確認だ。


 錬金術で自作したポーションはカスミ自ら効能を確かめているが、生体活動の延長である治癒や魔力回復はともかく、薬品としての働きが強い解毒に関しては確信を得るのが困難だった。

 それは毒の用意や治験といった試行面での難しさももちろんのこと、何よりたった一種類のポーションが〝解毒〟という名称を持つことのによるところが大きい。

 単一の毒に対する効能ではない。大胆にも網羅的な用法を示唆するその名前は外連味けれんみに溢れすぎている。もし名称通りの効能を持つのだとしたら奇跡の薬に他ならず、地球であれば万能薬と呼ばれていた可能性すらあるだろう。

 魔法の霊薬なのだからそういうものなのかもしれない。そう一度は自分を納得させたカスミだったが、どこかでその不自然さを信じきれていなかったらしい。こうしてエリンの保証を得て払拭された不安感がその証拠だ。


 その気がなくとも結果としてロディを臨床実験に使ってしまったことに、カスミとて罪悪感はある。

 かといって解毒ポーションを渡さない選択肢があったわけでもなく、口を衝いて出そうになる謝罪もぐっと押し込めるしかない。


「それで、もう危機は脱したと見ていいんだな?」

「いいと思うよ。念のため治癒と魔力回復も飲ませたし」

「解毒以外のポーションも使っちゃったの?」

「傷もまだ残ってたし魔力も消耗してたからね。毒が抜けてもそれだけじゃ治るのに時間かかるから」

「それもそうね。ごめんなさいね、カスミちゃん。ポーションを全部使っちゃったみたいで」

「いえ! 気にしないでください。使ってもらうために渡したので、お役に立ったならそれで」


 突然謝られて面食らったカスミだが、言葉自体に嘘はない。そも渡す時にも使って欲しい旨を添えている。どうせポーションは操作制御マニュピライズも併用した錬金術で大した苦労もなく作れるのだからと。

 しかしエリンに取ってはそう簡単に納得いくものではないらしく、カスミとネーニャがにこやかにしている横で一転して浮かない顔を浮かべていた。


「カスミちゃん、でいい? そう言ってくれるのはありがたいけど、本当にもらって良かったの? 随分と品質が良いポーションだったのに」

「そうなんですか?」


 誰しも自作品の品質を評価されるのは嬉しいものだろう。それはカスミも例外ではない。

 だが今回に限ればそれと同じくらい戸惑いもあった。カスミの認識としては教科書通りの作り方をしただけで、特別なことは何もしていないのだ。

 偶然出来が良かっただけならそれで話は終わりだが、そうでないなら何かしらの理由があったと考えられる。そして場所や状況など、普通でなさそうな要素は数多く挙げられる。その筆頭がカスミ自身に他ならない。

 どうやらこれも質問より先に常識のすり合わせが必要そうだ。と、カスミは頭の片隅に記憶するだけに留めておくことにした。知りたいけど訊けない案件ばかりが増えていく。


「カスミちゃんにはちゃんとお礼をしたいけど……あ、ポーションの代金とは別にだよ。でもその前に……少し場所を変えよっか。ここだと、その、落ち着けないし」

「あ~……それもそう、ね。ええ、移動しましょうか」

「わかった。確かにあれだけ大騒ぎすれば魔物に囲まれたり不意打ちされる危険が──」

「ちょっと、ガロット!」


 言葉を濁しつつ提案するエリンとネーニャ、そしてそれを意にも介さず触れてしまったガロット。自分がしでかしたことにカスミが気付くのに不足はなかった。

 ここは魔物の棲息する森の中だ。声を潜める必要まではなくとも、大声で思い切り泣き喚きでもすればどうなるか。考えるまでもない。それどころか慎重にここまで来たのはそのためだったはずだ。

 理解と共にせっかく浮上していたカスミの気持ちが重くなっていく。身体に合わせて心まで退行したかのような醜態をただでさえ気まずく思っていたというのに、重ねて何という迷惑行為をしてしまったことか。


「……ごめんなさい」

「か、カスミちゃんのせいじゃないわ! 脅かしたわたしたちが悪いんだもの!」

「そうそう、そうだよ! ガロットのバカ、余計なことは言わなくていいの!」


 庇ってくれる二人を素直にありがたく思いつつも、事実として無駄に高めてしまった危険性は無視できない。とばっちりで罵倒を受けたガロットの釈然としない顔から目を逸らし、何とかしなければという焦燥感から手立てを探す。

 魔物対策に有効な物でも持っていれば良かったが、所持しているのは救急用品がほとんど。もしもそんな便利な物があればここに来るまでに使っているだろうし、フォグもあれほどふらふらと先導せずに済んだだろう。道具には頼れそうにない。

 だが何も提供できるのは物だけではないはずだ。カスミの頭にふと名案が浮かんだ。


「この近く……ちょっと歩いたくらいの場所にわたしの家があるんですけど、良かったら来ませんか?」

「この近くに」

「カスミちゃんの家?」


 盗み聞いた会話に出てきた街までの距離は知らないが、聞いていた限りそれなりに遠そうだ。ならば我が家に招待すれば保護もできるしいろいろと教えてもらえる。

 誰もが得する名案だと自画自賛したカスミだが、自分に向けられた訝しげな視線はまたもや調子外れの発言をしたのだと如実に語るもの。

 もはや何を言っても上手くいかない自分に、先程までとはまた違った理由で泣きたくなってくる。


「うん。じゃあ、お邪魔させてもらおうかな。ガロットもエリンもそれでいいでしょ?」


 そこへ切り替えるようにパンと手を響かせたのはネーニャだ。それも冗談めかしたウインク付きで。

 その気遣いにカスミが胸を温かくしているのを尻目に、言葉もなく目線を交わしたエリンとガロットが頷いていた。


「よし、それなら俺がロディを背負おう。エリンが先頭だ。いけるか?」

「この辺りの魔物相手なら大丈夫でしょ。カスミちゃんはわたしの後ろね? あんまり前に出ないように。魔物が出てきてもわたしが何とかするから!」

「はい、おねがいします!」

「そうなるとわたしは一番後ろ? カスミちゃんともっとお話したいのだけれど……」

「疑問はたくさんあるからその気持ちはわからんでもないが……ネーニャに会話を任せると無駄話で終わってしまいそうだからなぁ」

「それは同感」

「女の子同士の会話に無駄なんて無いの!」


 動きを決めてからの彼らは早かった。

 緊張感が薄れるような会話をしながらも各々が装備を見直したり、草陰に隠していた荷物を引っ張り出して整理をしたりと、着々と準備を進めていく。

 手慣れた流れを見守る一方で、すぐにでも出発できるカスミは少し離れた場所で待っているしかない。それは同時に、杖に潜むフォグとこっそり打ち合わせする絶好のタイミングでもある。


「フォグ、話は聞こえてた? ──そう、よかった。じゃあ、ここから家まで案内してほしいから、こっそり飛んで──え? それって……飛ばなくてもいいってこと?」


 手の中に返ってくる振動を答えに会話を進めてみると、フォグはどうやら行きのように空から先導するつもりはないらしいことがわかった。あくまで一切の姿を現さず、杖頭の鳥飾りに扮したままでカスミを誘導するのだと。

 それが可能なら大した方向感覚、或いは帰巣本能と言えよう。


「フォグができるって言うなら任せるけど……飛び回らないなら魔物を避けて進むのは難しそうだね。エリンさんに任せるしかないかな。魔物なんて余裕って感じだったし」


 カスミから見れば脅威でしかない魔物だが、エリンたちには強い自信が窺える。『この辺りの』という前置きは気になるものの、元より遠出をするつもりはないのだから問題にはならないだろう。

 少なくとも、隠れて飛ぶフォグを追って右に左に森の中を進むよりは安全に違いない。


「それじゃ、フォグの向いた方向に進むから、進路から逸れそうになったら震えてくれれば……あっ!」


 杖と同化したフォグとの基本的な意思疎通手段であるところの振動。当然のようにまたその利用を提案しようとしたカスミがはたと思い出したのは、号泣していたその最中さなかにも同じものを感じていたことだった。

 返事や会話代わりとはまた違う、手にじんわりと痒みを残すほどの強力な振動は、その時こそ気を向ける余裕はなかったが今なら簡単にその意味まで想像がついた。


「そうだ、フォグ。たぶんさっき慰めてくれてたよね? 遅くなったけど、ありがとね」


 そうしてまたも返ってくる少し強い手応え。

 紛れもない繋がりを秘めた感覚に、カスミは嬉しさ半分、もう半分に歯がゆさを覚えずにはいられなかった。

 フォグにも考えがあり姿を隠している。きっと仕方のないことなのだろうが、面と向かってお礼を言えないのが残念でならないのだ。人と出会えたからこそ、この一ヶ月近くで培ったフォグとの絆が尚のこと特別に思える。


「カスミ! 悪いけどロディを背負うのを手伝ってくれないか?」


 不意に名前を呼ばれてハッとする。立膝のガロットがロディの傍で軽く手を挙げていた。

 脇に置かれているのは丈夫そうな革製の背嚢。上部にロディの掛けていた外套が丸めて留められていることも含めて、何かで見た昔の旅人を思い起こさせる。


「この背嚢をロディに背負わせて紐で縛ってから、さらに俺が背負わなきゃならん。カスミはそれを後ろから支えててくれ」

「わかりました。けど……ロディさんに荷物を持たせるんですか? まだ起きてないんですよね?」

「ああ。俺が抱えたら前が見えないし、あとの二人はできるだけ身軽な方がいいからな。他の荷物もある」


 その言葉の通り、ネーニャとエリンもそれぞれに荷物があるようだった。紐で口を縛った大きめのボンサック──縦長の筒状をしたワンショルダーバッグ──だが、そこに背嚢を加えるのは難しそうだ。


「毒も抜けてるしこれくらいなら平気なはずだ。もっと軽ければカスミに持たせるのも考えたがなっ……と。よし、このまま少し身体を押さえててくれないか?」


 了解したカスミが上半身を起こされたロディを支えている間に、ガロットが背嚢を背負わせて紐で手際よく身体に固定していく。

 生死の境を彷徨ったばかりだのに本当に良いのだろうかと心配するカスミを置いて、手早く準備を終えたガロットはそのまま背負う体勢になりカスミを視線で促した。

 慌てて背後に回り背嚢越しにロディを支えると、ガロットがグッと立ち上がる。それもまるで重さを感じさせない軽やかさで。

 その間もカスミは言われた通りに後ろから支えていたが、役に立った気は全くしていない。男性一人と重い荷物を軽く持ち上げてしまうガロットに唖然とする暇すらあった。筋骨隆々の大男というわけでもないのに、と。


「ああ、しっかり固定できてるな……どうした?」

「そ、その……重くないんですか?」

「重くないわけじゃないが、そんなに遠くないんだろ?」

「それはそうですけど……」


 あっけらかんとしたその態度はまるでこれからハイキングにでも出掛けるかのよう。その余裕がこの馬鹿力から来ているのだとしたら、魔物に対する自信も納得がいく。カスミとしても頼もしい限りである。

 その反面、もしも出会った時のまま敵視されていたら、という想像もしてしまう。果たしてその腕力を振るわれていた場合はどうなっていただろうか。


「……あんまり変わらないかも」


 それはそうだろう。相手の力が強い、弱い。武器を持っている、持っていない。そんなことに関係なく、六歳の幼女では健康な青年男性に敵うわけがないのだから。

 元々が暴力事に向かないカスミだ。魔物対策に魔術を練習してはいるが、それで性格まで変わったわけでもないし、何より人間と争うのはまた別の話である。

 畢竟ひっきょう、ガロットの筋力を知ったところで誤解が解けて良かったという結論に変わりはなく、怪しまれないよう言動に注意するという方針にも変更はない。


「ん? 何が変わらないって?」

「いえ! 何でもないです」

「そうか? ……お、そっちも準備できたか」

「ええ、お待たせ。ロディも……うん、大丈夫そうね」

「こっちも行けるよ。先頭は任せて!」


 再び集まった二人はマントのはだけた肩にボンサックを下げていた。その上ネーニャは左手に弓を携えている。

 その姿は寸分違わずカスミが思うところのファンタジーの出で立ち。前世で似たようなコスプレをしたことがあるカスミが、どうしても否めない作り物感から目を逸らして満足した格好の理想形がそこにあった。

 そんな彼らに混ざれるのはレイヤー冥利に尽きるものだ。浮かれている場合ではないと知ってはいても、この世界に来て初めて趣味的な高揚感に胸が踊る。


「よし、じゃあ出発するか。カスミ、道案内を頼んだ」

「はい! こっちです!」


 ついつい弾む返事もそこそこに、フォグの指し示す方向へと向かうカスミ。素早く前に出たエリンの後に付いて意気揚々と歩いていく。

 自分が住むあの家に、他人を招く意味を深く考えもせずに。

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なりきり魔女が三度目の死を迎える前に ~転生幼女の儘ならない異世界航記~ Koudy @koudy

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