第12話後編「最後のタイタン」
・エンシェントドラゴン”抹消”
古代においては名が知られ、現代では忘れられ、超古代の長命種からは認められている実態不明、正に伝説の口伝上の存在。
今や伝説を実体験と語る世代はほぼ死に絶え、語り伝えられるとこによればやはり名前だけ。ドラゴンともタイタンとも関わり合いになって何か起きたという痕跡も無い。
存在が名の通りに”抹消”されたかのようである。敢えて在ると言うならば、中空存在として在る。
直接存在を知るはずの月光伯は語らず、”抹殺者”は語れない。
■■■
捨て堀の底は暗い。松明の灯りは弱過ぎて食われてしまう。
”金剛体”は自身を光の精霊術で発光させて灯りとなり、囮となる。
普段見られない灯りに捨てられたダンピールが寄って来る、または照らされて逃げ出し、長く暗闇で生き残っている者は盲目で反応すらしない。
発狂し人食いと化した者が襲ってくる。動きは素早く怖れを知らないが単純。
”金剛体”なら軽く拳振って突くだけで撲殺。
ヒューネルなら甲冑の頑丈さに信を置いて堅実に防御を固めながら、痛みを知らないような相手に向かって滅多打ちで対応。
音で周囲を感知する”振動剣”が”抹殺者”を動かして灯りの届かないところへ先制攻撃を仕掛け、振動剣二刀流にて両断剣舞。
アジルズは上方より俯瞰。閉所混戦では器用な陸上行動が出来ない巨体が邪魔になるので待機である。
集る狂人、虫のように無限に湧き出ることもなく襲撃は小康状態へ。そして共食いで生き残って来た、正気ではあるが常人とも言い難い者達が死体の奪い合いを始める。
捨て堀は一本道で単純な構造である。床も壁も石煉瓦で固められ、一部が剥されて横道となり廃材で整えて住居と化していることもある。
ここは塵捨て場でもあり、罪人や狂人が捨てられて来た。自然の恵みなどあるわけもなく、上から落ちて来る物で凌がなければならない。
望んで降りて来た絶望に染まってはいない一行を見て助けを求める者がいる。ヒューネルが同情を示す前に”抹殺者”がそれは無用と、殺しはしないが張り手で追い払う。
彼等は都の論理でここへ落とされた。仮に引き上げたとこで受け入れる先は無い。天国もそうである。受け入れ先が良しとしても、今度は侵入と違い騎士達が許さない。囚人脱獄を同情したからという理由で許すわけがない。
一行に付いて行けば出られるのではないか、もっと短慮単純に死体が量産されるのではと遠巻きに追随する者達が現れる。追随する者達の中から正気の限界を迎えて共食いを始める者いる。
付いて来る者もいれば、武装する元騎士が立ち塞がった。雰囲気は牢名主。
「”抹消”のダンジョンに挑ませて貰う」
現代語が分からぬ牢名主。”振動剣”が通訳すれば道を開けた。
『強い者には逆らえない』
道を塞いだのは一応の立場を示したため。
『新しい遺跡には化物がいる。この前都市が追加された時に古い層と通じて、古い合成獣が這い出て来た。強くて手に負えない。新しいところに住み着いた連中を食い終わればこっちに出て来るだろう』
と情報提供をしてくれた。
「出来れば後で食べ物を贈る」
とヒューネルが言って通訳すれば返答は、そんなものは要らないと立場通りのもの。
「貴方のような方が何故?」
とヒューネルが問うて通訳すれば返答は、部外者に明かすことなど無いと言う。
道を知る”抹殺者”が間違いなく進む。横道と塵の堆積でやや複雑化した堀の底は途中で崩落し、縦穴というよりは長く急な螺旋階段と化す。
瓦礫の階段を降り始めれば付いて来ようとする者はほとんどいなくなる。アジルズが侵入出来るか中を簡単に偵察したが道は狭く、不規則に崩落していた。帰りに備えてやはり待機となる。
新しい遺跡に一行はアジルズを残して入り込む。
旧都地下には積層となっている遺跡があると言われていた。かつて賢者エリクディスが法王ヤハルの偽物と戦った時に潜入したという武勇伝があり、発掘調査がされたという話だけは残っている。それ以降が無いということは目ぼしい何かが無かったということだろう。衝撃や風化で崩れた以外の、人の手が加わった箇所や壊れて遺棄された道具類も見られた。
古い合成獣とは何か分からぬまま進み、血腥さが濃厚。ダンピールが生きながら食われているだろう呻き声が聞こえ、”金剛体”が先頭になって進んで暗がりからの一撃を動じず受け止めてその何かの首を掴んであっさりと喉笛を引き千切った。
合成獣であろう。巨大な猫といった様子だが顔を見れば人面に近い。何故か尾は蛇で別に生きており、岩盤鱗に噛みついて歯が立たぬままに毒液を垂らし、掴まれて引き千切られる。それと威嚇とは別の様子で毛が逆立っている。
「痺れた」
”金剛体”が合成獣を殺した感想を言う。この半ドラゴンが楽しいとか吃驚したなどの表現をする時に気を利かせたりはしない。呻き声は止まっていない。
「魔法を封じる!」
ヒューネルは己にサナンに教わった多様なマナ術の内、紫粉をその行く暗闇の先へ撒き散らした。その支援に乗って輝きを粉に吸われた”金剛体”が突進。粉の間に敵が放ったような光がちらついて直ぐに消えた。読みは成功。
明らかに帯電して毛を逆立てる二頭目の人面大猫、機敏に”金剛体”から跳ねて距離を取って一目散に逃げ出した。巨体に似合わず小さな隙間に頭を捻じ込めば柔軟に肩から尻まで抜け、尾の蛇が捨て台詞のように鳴いて消える。獣は敵わないと認めた敵とは戦わない。逃げる。
もう一頭、同種がいた。組となり、片方が捕食して無防備である間、もう片方が周辺警戒を行っていたという様子であった。
腸から食われて死にたくても死ねぬ様子のダンピールに剣で止めを手早く刺した後、”振動剣”がこの積層遺跡全体を長く振るわせる音を鳴らして全体構造を凡そ掴む。
「一々色々相手にしていたら終わらない。最短経路を行くから、ゴロくん指定したところ掘ってね」
ダンジョン最速攻略法、それは壁床天井のぶち抜き通行である。隔てられた空間そのものが障害。それが地下施設、迷宮というダンジョンを成り立たせる。前提を覆して通路とすれば良い。
階段や下り坂、穴の開いた床や地面があってもその先が繋がっている保証はここにはない。かつては人の出入りが考慮された設計の場に土砂や水が流れ込み、その重さが更に下層を潰し、流れ込んでいった成れの果てなどまともに相手していられない。道が道として機能して行けることもあるが基本は破壊直行。朽ちつつ鍵のかかった扉など迷うことなく破壊。
切り出した石、岩盤、堆積土砂を容易く掘っては側面を固める術を凝らして”金剛体”が”振動剣”の指示に従って進む。
穴掘り名人の技は迅速丁寧で無駄が無い。どこぞの愚か者のように粗雑でなければ崩れない。街や堀の下水が水源になったような酷い臭いの水は避けるか、進行先ではない穴へ排水してしまう。
”振動剣”指導によるダンジョンぶち抜き通行は快速で、先は長かった。不自然に積層化された遺跡群は数多。潜る程に文化や年代が変り、見知らぬ遺物があり、見知らぬ種の白骨があった。角一本の種族などこの中で誰も知らぬ。
緑の植物の代わりに茸の森があった。鼠や虫など見慣れた、不愉快な生物もところどころに見られた。適者である合成獣とやらの生き残りも生態系を作っており、あの人面大猫のような強者はそうそう存在しなかった。基本的に小さく狭い空間に適した生物ばかりで異形ばかり。
地上の者には酷く不気味で醜悪な世界である。相手の側からもそれは同様で、見た事の無い地面ぶち抜きのご一行は未知で怖ろしく、挑まず逃げ去る。魔女の森の異形に比べれば生物として成り立っている。
下層へ行けば行くほどに合成獣とやらは小型化の一途を辿り、遂には虫すらも珍しくなって暫く土砂だけを掘り進んで底が抜ける。
広い空間に出た。道無き壁面を”金剛体”が手足を突き入れて崩しつつ術で固めた箇所を手掛かりにへばりついて進む。空の下ではないから風も無く、水も流れ込まなければ熱くも寒くも無いが砂漠のように乾いている。
道の無い空間を”振動剣”が音で分析すれば、入り組んだ谷のようなところと分かる。大きく螺旋を描いて、途中に割れ目な洞窟が点在。何時のものと知れぬ用途不明の素掘り隧道もあった。何かの白骨があり、何時のものと知れぬ足跡も見られたので何かがいないわけではない。
谷を下るにつれ、あの満月の都がこの積層遺跡の塔の頂上にあると分かった。下層にある最も古い遺跡はおそらく入る隙間も無い程に圧縮されている。
都市を食らい続けて成長しているようにも見えたが理由などは全く分からない。尋常ではない存在に論理的なものを求めても意味は無い。
■■■
場所は広く何も無い場所を厳選。魔女の森消失後の荒野の真ん中である。
見届け人を兼ねる両名、帝国大学士テレネーが過不足なく記述し首相エンリーが確認した書状へ、魔女シャハズが半ドラゴン派遣の代償に譲り受けた最後のエーテル結晶指輪をそこに置く。そして挑戦的に短剣を突き刺して唱える。
『法のタイタンの眷族筆頭、裁定者よ。一連の闘争に決着を付けるべく決闘を申し込む』
決闘状より、古い記憶の通りの白い細腕が伸びる。手には神罰剣が握られ、地面に突き刺して這い上がる。そして公平な裁判を期す象徴である目隠しを取り、誕生以来初めて、主にすら見せたことのない瞳を見せた。
「決闘状の内容承った」
亡き復活し損ねた法のタイタンの使徒筆頭を指輪の奇跡にて強制召喚。
陪神裁定者は切っ先の無い、刃すら立てる必要も無く触れれば一撃必殺の断頭剣を両手で、剣術ではなく儀礼式に捧げ構える。
決闘状の内容、間違いなく過不足なくということから厳密に文章が組まれて一般に不可解。誤解を恐れず簡潔にすれば、裁定者が勝てば魔女は死んだ後に”更新の灼熱”に葬られて完全消滅が試みられる。魔女が勝てば裁定者の力及ぶ限りまつろわぬ者達への報復は禁じられる。
多く想定される例外を一つ挙げれば、煉獄にて繰り広げられる無限の闘争は戦のタイタンの領域なので裁定者の手が及ぶところではない。
仮の話であるが、シャハズが地獄を脱した時にこれが認められて実行されていれば今日の破壊は無かった。その時はまだ弱かった。振り返ると良策は山のように浮かぶ。
これは裁判ではない。決闘裁判でもない。一方が認識する罪に対して正義の罰が下されるのではない。ましてや公平ではない。
魔女のシャハズは十分な準備を整え、勝算を持って臨む。当然である。蛮勇猪突は森エルフの殺法ではない。
陪神の裁定者にとっては寝耳に水の出来事。頼られることも混乱の中で忘れられ、頼る仲間もおらず、ふと気づけば強引に呼び出されて決闘を強いられている。
至極真っ当に他者を打ち負かすための不公平な戦いが始まる。
開幕、天より裁きの雷が閃く。瞬間の一撃必殺は来ると分かっても避けられず、光が見えて音が聞こえる前に死ぬ。
そのはずだが魔女は天才。打ち消す労は無駄、転向して裁定者に流して返す。陪神に魔法は通用せず、光って轟音が聞こえるのみ。
今までもタイタンと眷族に魔法は通用しなかった、マナ術かその原型の優れた防御策が講じられている。
シャハズは対マナ術を発動、祓魔の黒、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤、白の虹をその先へと転向するべく仕掛ければ、裁定者その見た目の色彩が移ろって透明になり、白色の次で安定して見た目は通常に戻った。
陪神に限らずタイタン眷族一同、余りに力が強過ぎるがために小手先の技術を持たぬ場合が多い。人が一匹の蟻相手に一〇年と練り込んだ技を要しないように。
シャハズが無造作に放った矢の一射動作から、信者が見れば驚くような無様な足取りで裁定者は避けようとし、放ったはずの矢がまだ手元に有ることを確認する余裕も無く、回避動作直後の硬直時にその目に矢が立って倒れる。人型の骨と筋肉の通りの構造の限界から必中。
断頭剣を持つ裁定者が倒れた。そして同形人型が幻覚のように生々しさも感じられぬまま分裂して、断頭斧、木槌、刺股、警杖、大鎌、猫鞭、投縄、手袋、大盾、鎖分銅、投石器を持つ一一人に増えた。
シャハズは一一人にマナ術転向を試みた。また成功したかに見えたが、最後に遅れて現れた一二人目、目隠しをした裁定者が揺らがぬ天秤を空の皿のまま傾かせる。それぞれの裁定者が別々に変色して安定して透明には一度もならず安定。対策がされた。
マナも枯渇した雰囲気に近かった。精霊に全て食わせた時とも違うが、云わば不活性となる。天秤が魔法を禁じるような法則を持ち込む奇跡に思われた。
エーテル鏃の矢を天秤持ちに放てば投石器持ちが名人芸にて撃墜。その巧みな様は無様に射抜かれた断頭剣持ちとは別格。分裂したその他もおそらく名人級。
裁定者の性格からおそらくは公平に、不平等に魔法が禁じられる。己の肉体のみに頼って決着をつけよとの呪いである
シャハズは今日の決闘に持ち込むまで研鑽を重ねた。並の修行ではなく、思考の変革に近かった。
呪術と精霊術の境は明確だったはず、だった。ドラゴンの術を煉獄で幾度と見て無いことも有ることも分かった。
有ると思えば有り、それはそれで有効。無いと思えば無く、それはそれで有効。
状況に応じて適宜切り替えればこそ貫けば通さない。
錬金術、精霊術、呪術に奇跡、全て魔法。認識上における複雑の程度はあれ同一。元を辿れば最小の一個、拡大すれば無限、限界は己の能力。
限界ではなく過ぎず足りる過不足無い丁度の良さ、その極限を求めて、今自分が出来る最高の一撃を引き出す。彼等との約束の呪文を唱えて具体的にする。繋がりが大切である。
『来い……』
かつて”宝石”が錬成したエーテル結晶をヴァシライエが鍛えた刃を杖から抜いて掲げた。今日出来る究極魔法の代償は、この数多の巨人の首を撥ねた魔剣タイタン殺し。
魔法を禁じる法則に逆らわず、奇跡を禁じない道理に同調。対抗術の応用。逆らわずに受け流すもの。精霊術に限定せずともエリクディスの教えは今日も有効。
『魔神号!』
魔天号が戦のタイタンが遺棄した武器を素材に修復改造された人型決戦兵器が天国に、
『見!』『参!』
魔法召喚成功。旧ロクサール、デーモン王、魔神号そして”精霊の卵巣”の実体は煉獄に在り、しかしこれは幻のようでいてこれもまた今は実体。真の魔法により一つが二つになった。有り得ないが想定出来るという極小の可能性を強引に掴んで成功させた。無理と思えば出来ず、出来ると思えばその世界の論理を組み立てる。
『轟!』『烈轟!』
魔神轟飛翔。
『必』『殺』
構え。
『『超天撃砕旋風裂土轟墜煉獄蹴りぃ!』』
回転止まらぬ跳び蹴りの直撃中央、超衝撃回転摩擦による螺旋反復。
気化土砂の爆心。
白光溶岩の高波。
赤熱粉塵の暴風。
液状黒土の津波。
天上大地の激震。
逆流水脈の噴泉。
シャハズは地異に対して残る二つ、エーテル鏃の一つを代償に防御結界を展開して裁定者を滅ぼし欠片も残さぬ必殺技の余波から逃れた。
そして破壊の光景に五感を埋め尽くされている中で最重要の一手。
『魔封じ』
最後の一つのエーテル鏃を己の手の平に突き立て、眼前に迫った”秩序の尖兵”の貫きの指先を寸で止めた。
旧神秩序より排除に値する怪物と化した魔女シャハズ、真の魔法で己の力を下げて死を免れた。
目前の”秩序の尖兵”、”抹殺者”が変じたものではなく間違いなく水晶の城の玉座に在った存在。手筈通りでは玉座で待機しているチッカが呪術ランプで動いた瞬間から力を捉えて何らかの制御方法を獲得する予定であった。今どのように作用しているかは友人を信頼するしかない。
<侵略者め>
時代と文化で言葉の意味は変わる。心臓に灼熱の手が触れたような言葉ではない言葉を受け取り、その印象で一番近いものはそれであった。
”秩序の尖兵”が幻であったかのように消えた。
魔神号も同様に消えた。
裁定者は、決闘状により天秤のみが滅びずに残って敗北を認めた。文章を考えた人物に手抜かり無し。
■■■
谷底と思われる位置にまでヒューネルと半ドラゴン三名は到達する。
底にはかつては川で、今は流れが停滞したような液体溜まりがあった。これは魔法の光で照らしても黒いままで、ヒューネルが試しに転がる白骨の先を漬けてみると煙を上げて消化しながら骨を伝って上って来るので手放す。付近の石ころで試しても同様で、これは底無しに溜まっているように思われた。
このようなところに、本当にサナンは囚われているのか? そもそも生きているのか、生きられるのか、壮大に騙されているのではないかという気分にもヒューネルはなってくる。傭兵の半ドラゴン達は積極的に動いて先へ先へと導いてくれるものの、経過の義務を果たすばかりで結果に責任を負う心算は無いと思えた。彼女の生死など彼等の興味の範囲ではないのだ。
”抹消”から俺の女を取り戻す。この気合が揺らぐ。
穴掘りの要領で足場を作る”金剛体”を先導にまずはこの黒い川の下流を目指した。上流にいる可能性は勿論あったが、何かを隠すのなら奥底であろうという見当が付けられた。この地に馴染みがあるかもしれない物言わぬ”抹殺者”は迷わず下流を目指すので間違いは少ないと思われる。
川の下流というのは扇状に広がる。流れの無い黒い川も同様で川幅が広がり、河岸段丘も足場作りが不要な幅広さとなって来る。
ここで動くものが現れる。関節、指に足の裏から肉が剥がれ落ちて骨が見えている人型、獣型の木乃伊がうろつき、川の中でさえ漕いで歩く。神々に罰せられ呪われたような姿であった。地面には歩き過ぎたか手足が削れて動けなくなった個体も見られる。何かを捕食するでもなく、腐らず意味も無く放浪する異形の、その存在する意味が理解出来ない。
木乃伊の異形は敵意のようなものは何も持たない。ただうろつき、こちらのことなど目にも入らず行く手を遮って来ることもある。
”金剛体”が試しに一体の異形へ投石を試みた。さして頑丈でもなく肩が砕けて腕が落ちて、叫び声も上げない。身体の均衡が崩れて倒れるだけ。あとは脚をもがれた虫のように地べたでのたうつのみ。歩けはするが這い回るという動作は知らないようだ。
意味が分からない。死神の地獄より更に酷い何かなのだろうか。このままここにいればあれになってしまうのかという恐怖が付き纏い始める。サナンがもうあれになっているのかという不安も出て来る。この不安が無ければもう逃げ出している。
音を出しても影響薄いと判断されればヒューネルが、サナンと声を上げ続ける。これで何かが襲ってくることも無かった。
更に進めば更に川幅が広がって支流が見られる。中洲が幾つも現れる。長く歩いて疲労してきて途中で休みを取る。
魔女から貰った陶片のように固いパンを削って食べる。”金剛体”など秘蔵の薬のようにマナ石を噛み砕いて食べ、やや似つかわしくないが魔法を操って水を生み出して皆で飲む。睡眠時は寝る必要が無いらしい”振動剣”が見張りにつく。
下流へ進み続けて行き止まる。黒い川が壁のように立ちはだかったかに見えたが、向こう側があるとすればそこがどれ程強く光で照らしても見えないだけ。埃の一つも立っていないので途中で何も反射しないので光が進んでいるか見えなかったのだ。崖下も同様。黒い川が流れ落ちるわけでもない。
「シロくん、君の親御さんかそれっぽいのはいそうかな?」
”振動剣”があえてヒューネルにも分かるように現代語を用いて、”抹殺者”は否と首を振る。
「さてさて。皆、耳を塞いで口を開いて」
”振動剣”が強い音への対策を指示。三名が対衝撃姿勢を取ったことを確認してから魔法で音を鳴らして広範囲へ反響測位が行われた。踏み込める足場からは直ぐに返ってきて、崖向こうやその底からは一向に返って来ない。この先本当に何も無いかもしれない。空気があるだけそうでもないかもしれなかったが。
ヒューネルはマナ術にて何か反応が無いか試みる。もしかしたら魔法で何か隠されているかもしれないからだ。
緑霧、黄風、橙火、赤光、白波と魔法や物体に干渉する、それぞれ広く遠くに効力を及ぼすものを発して、手応え無し。
いっそ黒い水が何か影響を及ぼしているかもと黒石、藍泥、青水で川に干渉するがこれも手応え無し。
一行は木乃伊にならずとも崖縁沿いを当ても無く歩き始める。
途中でドラゴンの彷徨う木乃伊に遭遇した時はいよいよ”抹消”と対面かと思われたが、ただ巨体である以外は何も他の個体と変わらなかった。
まるで当てが無い。来た道を戻って休んで物資を補給したら今度は上流、源流を目指そうかということになる。徒労。
食糧も無くなって来た。時間間隔が失われているが疲労も酷い。この中で一番弱いヒューネルの足が遅くなり、面倒だからと”金剛体”が担ぐ始末。いざとなれば”無限の心臓”で再生し続ける”抹殺者”を食うことも可能ではあったが、そんなものは友情の中で考慮されない。
道を戻り、谷を上がる道へ行く。乗り物のように担がれて移動するだけでも疲れるもので遂にヒューネルが限界に達する。安心感を感じられるような横穴を”金剛体”が掘って大休止を取る。これは一度仕切り直しが必要と半ドラゴン達の意見が一致。サナンの身だけが心配なヒューネルはうわ言で反論するも体力が足りない。
そうしてヒューネルは奇跡が、とのうわ言を最後に気力も失い、気を失うように眠り、夢で彼女に会えたような気がした。
目が落ちたような気がして、肩を揺さぶられて起きた時には”抹殺者”の顔が近かった。起きた顔に平手打ちが一撃入れられて目が完全に覚める。
妙に体が暖かいとヒューネルは感じて、体力が失われないように添い寝でもしてくれたのかと思いきや柔らか過ぎた。匂いも良く知る妻のサナンであった。
「分かんないけど”抹消”が返してくれたんじゃない?」
”振動剣”が妥当な答えを代弁。幾分力が戻ったヒューネルが妻の容態を見ると、多少痩せたかもしれない程度。血や汚物に汚れた様子も無く、寝息は可愛らしいもの。
こうなればこんな暗くて分からない場所に留まる必要も無く、帰りの道を急ぐ。足が遅い人間二人に合わせていられず、走る”金剛体”が先導、二人を担ぐ”抹殺者”が続く。
一行は”抹消”とはおそらく遭遇しなかった。あの月光伯ヴァシライエがもし同一存在ならば合点は行きそうだが、分からないものは分からない。
■■■
帝国大学士テレネーは旧都跡の発掘調査の陣頭指揮を執っている。目の中にいる”調伏の回虫”が珍しくはしゃいでいるので何かあるかと思ったのだ。
だが幾らゴーレム達に掘らせても何も出てこない。竈のタイタンの化身が消し飛ばしたのは都の地上構造と少しの地下のみであり、かつて父エリクディスが潜った遺跡の一部なりともあって不思議ではなかったが存在すらしない。空洞も無いのだ。天国の大地が形成される段階で揉み潰されて飲み込まれた可能性はあった。
皇帝が皇妃を連れ帰った不思議な冒険話から、何かこの世界に関する秘密が一つか二つでも暴くことがこの発掘で出来るのではと期待したが外れてしまった。アプサム師も認めた古代旧西帝国の錬金術の数々を学び、奪う機会が永久に失われたような気がした。
地下の煉獄では魔女先生と呼ばれているらしいシャハズに助力を乞おうとしたが、生徒達に勉強したことを教えなくてはいけませんと返されて失敗。冒険に同道した半ドラゴン達にあれこれ尋ねようにも喋れず、喋る気も無く煉獄に去ってしまった。真の魔法に開眼したらしいことから非常に頼りになりそうだったのだが。
決闘状のお礼くらいしてもいいんじゃない? との問いに対しては、シロから大フェアリーが引き抜いた金剛石の欠片が渡されたぐらいである。これも興味深い存在であるが、ガイセリオン帝が没する前から散々に観察してきた物体でもある。何なら匠のタイタンが武具として拵える課程に携わっていたこともあってありがたさも半分。
普段は空から眺めることぐらいしかしない”恒風”がテレネーの側に降り立つ。大風が舞う。
「髪に埃がつくから遠くで降りてくれない?」
「賢い心算のお前でも愚かなことはするらしいな」
「可能性を虱潰しにしていった先のものを求めるのが学者よ。分かり切った心算の浪漫の無い賢者なんかやってたらつまらないじゃない」
「それはそれは……」
■■■
第二部『英雄とドラゴンとタイタン殺し』終了
英雄とドラゴンとタイタン殺し さっと/sat_Buttoimars @sat_marunaka
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