第4話 電車を降りる

「随分長い話で疲れさせてしまいましたね。こんな思い出話につき合わせてしまって。話が長いってよく言われるんですよ。二言三言で終わる話がやたら長話になるって」


「いいえ。これでさっきの歌にタイトルはないと仰った理由が分かったわ。結局、私がどこで歌を聞いたのかはやはり思い出せなかったけど」


「そうですか? 十年以上前に学生祭か何かに行った事はないのですか? ライブハウスなんかはないですよね?」


「それが思い当たるふしはないの。現在そのお友達とは本当に音信不通なの?」


「はい。音信不通です。僕は今日は出張先から帰るのにたまたまこの電車に乗っていますが、現在はこの線からさらに乗り換えた線の終点の、新幹線の発着駅がある市街地に住んでいます。大学を卒業してからずっとです。故郷に帰っても、もう瞬の家自体ありません。元々、彼の父親が公務員でその転勤のために引っ越してきただけですから。いずれはまた転勤で他の土地へ行くんだとはいつも言っていました。それに瞬の母親が名家の出で、そちらに跡継ぎがいないので瞬が養子に入らないといけないって、そんな話を高校時代からしていました。

 もし連絡先でも分かっていれば、ちょっと勇気を振るい起こせた時、電話でもできたんだけど、当時はガラケーで、それをスマホに変えた際に誤って昔の電話番号の記録を消しちゃったんですよね。


 彼がどうしているかは分かりませんが、一度だけ高校時代の友人から、国立大の理工学部を卒業した後、さらなる勉強のため他の大学に入り直したと聞きました。大学院の事かもしれません。彼らしい気がします。今は一流企業で活躍しているでしょうね。たぶん研究者とか」


「貴方はもう音楽活動から離れていらっしゃるの? 未練もなく…」


「元々そんなに才能はなかったんです。歌が好きなだけで。今でも職場の飲み会の二次会なんかでカラオケに行くと、『オマエ上手いな』位は言われますよ。今でも寝てて、ステージで歌っている夢を見たりはしますけどね。妻はびっくりしてますよ。いきなり歌い出すから」


「でも、そのお友達の方は音楽活動を続けられた可能性はないのかしら。数々の歌を作曲していたのでしょう?」


「僕もそれは考えましたよ。だからたまに鼻歌アプリで試すんです。メロディーを歌うといくつかの歌の候補があがるという。でもそれで思いつく限りの歌を試してもヒットしませんでした。さっきの歌も。彼の名前で検索しても何も情報は出て来ません。もちろん母方の姓を継いだなら、一ノ瀬瞬で検索してもムダですよね」


「やはり貴方には思い入れがあるのね。そうやって調べてらっしゃるのですもの。

 私、さっき、貴方が何故あの歌を歌ったのか考えていたの。貴方にとっては青春時代の苦い思い出の歌でしょう? だから普通なら歌わない。きっと心に残っているのよね。貴方にはもう彼へのわだかまりはないのね」


「心に残っている…か。心に何かくすぶっているのは確か。でもわだかまりとか恨みとか…そういうのではないんです。正直、あの若かった頃、彼と喧嘩別れしたての頃は、こう思う事がありました。『もしあの時、瞬がもっと違う、ヒット狙いな新曲を用意していれば、どうなっただろうか』って。運が良ければ上位にくい込んでデビューできて日の目を見られたかもしれない。でもそれは結局親友に自分の意に沿わない曲を作らせてイヤな思いをさせるだけだったんだなってね。もしそうなったら僕は早々にそんな音楽の世界から脱してたと思う」


「偉いのね。普通は、人ってそんなに謙虚になれないわ」


「いや、謙虚じゃないから、十代を共にした親友と喧嘩別れしてしまったんで。実は彼と喧嘩した次の年、大学最後の年にも、その例のコンテストが第二回と称してあって、僕はそれに独りで応募したんてす。自分でも曲作りを始めてたので。結果は予選落ちでした。痛い思いして、自分の実力を知ったんです。そして他人ひとと違うものを造り出す事の難しさも…」


「年齢を重ねて思うの。結局、人は自分の思い通りの生き方をするものよ。年をとってから音楽や美術の道に入る人もいるわ。貴方もお友達もまだこれからどんな人生になるのか分からないわ。さっきの歌が貴方の答えなのよね」


「いや、そんな事を考えて歌ってたわけではないですけどね。


 ただ最近、困った時、辛い時、綺麗なものを見た時、彼の作った曲をつい口ずさんでしまうんです。やっぱり名曲なんだな、と。あの時彼をあれだけ怒らせる程傷つけた事を後悔しています。それを『答え』と言うのなら…」


 向かいの席の老人がまた妻のバッグを軽く手で叩いていた。

「またクッキーなの? 仕様がないわね」


 その時、車内アナウンスが流れた。


「本日は運転停止により大変ご迷惑をおかけしました。線路の整備が完了しました。ただ今より運転を再開致します」


 そして電車はゆっくりと動き始めた。

「あ、電車が動き始めました。二時間半と言っていたのに、一時間で。これなら会社に今日中に戻れます」


「終点に到着してもまだ仕事なのね。大変ですね」


「社訓は『時間を無駄にするな』なんですよ」


「ところで、あなたとお友達のグループ、いえデュオ名って『風の子』と言っていたかしら?」


「ああ、初めは学校の先生が付けてくれた『風の子』。でも高校生になってもっとカッコいいのにしようってなって、『風』を残して『ザ・ウィンド・ブロウズ』としたんです。風が吹くって意味です。これは瞬がつけたんです」


 老夫婦は顔を見合わせた。老人がもう一度、婦人のバッグを今度は一回だけ軽く叩いた。

 婦人は言った。

「あら、私、あの歌を何処で聞いたのか、今、思い出したわ!」

 それと同時にバッグの中から何かを一生懸命探し始めた。


「え!? 思い出したんですか? どこですか?」


「昨日、訪れた山の上の小学校で開かれたお楽しみ会よ。ほら、ここにパンフレットがあるの。この人ったら、さっきからそれを私に知らせようとしていたのね」


 隣の席の夫は少し胸を張るように、どうだと言わんばかりにうなずき、自分の胸に手を当てていた。


「娘夫婦がそこに住んでいてね、孫の通っている小学校なのよ。山の上で景色が良くって、昨日は晴れていたから、校庭にテーブルを出して、ティーパーティーも行われたのよ」


「あの、それで歌は誰が? いつ?…ですか」


「校舎は木造で、白く塗られていて外国の教会みたいよ。そして晴れた日の田舎の美しさときたら…」


「あの、まだ、見つからないんですか? 話、長いですよー!」


「ほら、あった! 小学校の音楽の先生、男の先生が歌ったのよ。『ザ・ウィンド・ブロウズ』の新曲だって紹介して、オルガンを弾きながら歌ったの」


 婦人の取り出した二つ折りのパンフレットには表紙に「山の上小学校 秋のお楽しみ会」と書いてあった。

 中を開くと、真中より少し下に「音楽教諭によるオルガン演奏と歌唱」とあり、「無題(ザ・ウィンド・ブロウズの曲)/君塚瞬」とあった。


 ――まだ無題なんだ――



「ねえ、この名前でなかったら私、思い出せなかったわ。『ザ・ウインド・ブロウズ』はマンスフィールドの短編小説のタイトルと同じなのよ。夫と私の思い出のある小説なの」


「その話はまた聞きますね。僕、次の駅で降りないと」


 電車はもうスピードを緩め、停車のモードに入っていた。


「あら、終点まで行くんじゃなかったの? せっかく電車が動き出したのに」


 婦人の引き止めようと伸ばした手を夫が制した。


「次の駅で降りて、引き返すんです。山の上の小学校のある駅まで」


「引き返すの? 気を付けて、まだ日は暮れてないから」


「はい、ありがとうございます!」


 電車は停まり、青年は電車を飛び出した。ちらっと振り返り、「お二人も気を付けて」と言うのを忘れなかった。そして秋の昼下がりの陽射しの中で、反対のホームへ続く歩道橋をかけ登った。まるで子どもの頃、野山を駆け上っていった時のように。


 ――いや、引き返す訳じゃない。先に進むだけだ。――

そうつぶやきながら。



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サヨナラ、小さな罪/その曲の名は… 秋色 @autumn-hue

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