白手袋に関する一考察 ~なぜ彼らは口で引っ張るのか~
井ノ下功
本論
1.はじめに
制服や軍服を着用する際、同時に、白い手袋を装着する姿は、多く見受けられることだろう。漫画や小説などの中では特に――主に男性キャラが。
白い手袋。それには多くの用途と意味がある。たとえば、事件現場で刑事が着用する時、それは現場に残されている証拠を迂闊に消さないためである。また、たとえば、公職選挙で政治家が身に着ける場合では、『クリーンハンド』すなわち清廉潔白であることを象徴している。他に、職務遂行の象徴であるとか、礼装時のマナーとしてとか、様々な意味合いを含んでいる。確か、芥川龍之介が何かの作中で、潔癖症の描写に白い靴下を用いた時、それの英訳には、白い手袋、と充てられていたと思った。(これは私の曖昧な記憶であり、定かでない。)ともかく、象徴にしろ、実務にしろ、白手袋というものは『清潔さ』を求めて着用されるとして間違いないだろう。
さて、ではなぜ、『清潔さ』を第一としているはずの白手袋をはめる際、口で引っ張る者がいるのだろうか。
実際がどうであるかは分からないが、少なくともフィクションの中では、白手袋を口で引っ張ってはめる、という仕草を描いた場面が多々見られる。
ところが、口内は衛生的とは言い難い場所である。口の中には、300~700種類の細菌が生息していると言われており、その中には、カンジダ菌、黄色ブドウ球菌、緑膿菌、肺炎桿菌、インフルエンザ菌なども含まれている。決して清潔とは言えないはずだ。だというのに、清潔さを保つために着用する白手袋を、どうしてわざわざ口で引っ張るのだろうか。
これから、2つの仮説をもとに検討していこうと思う。
2.仮説1:片手が塞がっていたため、仕方がなく口ではめた。
最も有力視されている仮説である。一見、かなり現実的な仮説だと思えるだろう。
しかし、よく考えてみてほしい。何か物を持ち上げる必要と、白手袋をはめる必要が、同時に訪れた場合、普通は白手袋をはめてから物を持ち上げるのではないだろうか。物を持ってから手袋をはめる、という手間をかける意味は無いはずである。
では、白手袋をはめている最中に、別の誰かから無理やり荷物を押し付けられたのだろうか。(※これは、片手で持てるような物とする。両手でしか持てないものの場合、手を口元にやることすら出来なくなるため。)だとしても少々無理があるように思える。小脇に抱えられる物だったら、上手く両手を使えるだろう。あるいは、一旦横に置く、足元に置く、近くの机上に置く、などの手段が取れるはずである。
つまり、この仮説で手袋をはめる場合、かなり状況が限定されることが分かる。すなわち、『白手袋を片方だけはめ終わり、もう片方をはめている最中に、片手で持てる物かつそこら辺に一旦置いておくことができない物を突然押し付けられ、しかし手袋ははめなくてはならず、仕方がなく口を使って着用した。』――ここまで状況が特定されてようやく納得できる。
より具体的に、物語風にしてみよう。――執事が白手袋を着用しているその時、突然、主人にお出しする紅茶を持たされてしまった。押し付けてきたメイドは、何があったのかかなり急いでいる様子で、もう視界から消えている。咄嗟に、すでに白手袋をしている方の手で受け取ったが、もう片方は完全にはまっていない。周辺にお茶を乗せたトレイを置けるような机などはなく、主人が飲まれるお茶を足元に置くなど言語道断。かといって、中途半端な身なりで主人の前に行くことも出来ない。・・・こうなっては仕方あるまい。そして執事は手袋の端を口でくわえた。――というような感じだろうか。
3.仮説2:お腹が空いたので、手袋を食べたくなった。
リアリティを求めるのであれば、なかなか受け入れがたいかもしれない。ところが、案外この仮説は良い線を行っているかもしれないのである。
何であったか忘れたがおそらく災害に見舞われ、食料が尽きた時、段ボールを噛み続けて生き残った、という人物がいるらしい。いつ、どこで聞いたかも分からない話だ。信憑性はほとんどない。しかし、咀嚼することが満腹中枢を刺激し、少なからず脳を騙すことができるのは確かである。
また、『お腹を満たす』ということではなく、『咀嚼する』ということに着目した場合、そこには大きなメリットが生じる。
咀嚼のメリットは歯を丈夫にすることだけではない。咀嚼には、脳内の血液量の増加、覚醒効果、リラックス効果、肥満・ぼけ・視力低下・虫歯・ガンなどの予防、精神安定、といったような作用がある。また、咬筋(下顎周辺の筋肉)が鍛えられることにより、輪郭がすっきりするとも言う。
見た目が最も重要視されるフィクションの中では、簡単に太ったり、虫歯になったりするわけにはいかない。そのくせ、設定上では『甘党』とされ、常に砂糖と仲良くしなければならなかったりする。そんな彼らが取れる手段とは何か――そう、手袋を咀嚼することである。
中には、物語上で窮地に陥った時に、手袋を咀嚼することで脳を活性化させ、状況を好転に導く、という業をやってのける者もいるかもしれない。手袋を噛んでいないと夜寝付けない、という者もいないとは言い切れないはずだ。
つまり、白手袋を口で引っ張るという仕草――それは、イメージを崩せない彼らにとっては唯一無二の、そして一石二鳥の、救世主的な打開策であるのだろう。
4.まとめ
さて、2つの仮説とともに『白手袋を口で引っ張る仕草』について考えてきた。しかし、まだ疑問は残っている。どうか皆様にも想起してほしい。白手袋を口で引っ張るキャラクター――彼らは、いつもどんな場面でその仕草をしていたか。
多くが、口絵や扉絵や表紙――すなわち、物語とは関係ない場所であったと思う。
と、いうことは、だ。彼らがどんな理由で手袋をくわえているのか、無限に想像できると同時に、状況を確定させることができない、ということである。
ではなぜ、その仕草が白手袋着用キャラクターたちの定番のポーズとして確立されているのか。
私が思うに、その理由は明確である。
『格好良い』あるいは『色っぽい』からだ。
制服や軍服は総じて長袖・長ズボン。物理的にも精神的にもガードは固めに作られているものである。しかし、この仕草をしようとすると、どうなるだろうか。手を口元に持っていくが故に、結果としてどうしても袖口は下がってしまう。ガードが緩んだ制服から、ちらりと覗く手首の筋。丸まりそうになる背中に気を付けると、自然と胸を張る体勢になり、肩から肩甲骨にかけての筋肉が強調される。顎を上げるパターンをとった場合、ガードの隙間から覗くのは首筋であり、反るか捻るかされた背中は綺麗なS字を描くことになろう。どちらにせよ、格好良く、かつ色っぽいことに変わりはない。
表紙や扉絵などのカラー絵では格好良さが第一であり、シチュエーションなど二の次である。この一枚でどれだけ多くの読者の目を惹くことができるか。心を掴むことができるか。漫画大国日本では、これが一つの生死を分ける戦場となるのだ。
今後も、彼ら白手袋キャラクターたちの健闘を祈り、レポートを締めくくる。
>参照サイト及び文献
・一般社団法人 日本訪問歯科協会
Copyright©Nihon Houmonshika Kyokai All Rights Reserved.
・ピクシブ百科事典 項目「白手袋」
・Wikipedia 項目「顎」
・人体デッサンのための美術解剖学ノート 著/ジョヴァンニ・チヴァルディ 訳/榊原直樹
白手袋に関する一考察 ~なぜ彼らは口で引っ張るのか~ 井ノ下功 @inosita-kou
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