情熱のかたち

綺嬋

情熱のかたち

「おはようございます」


 部下たちの挨拶に、おはようと一言だけ返す。オフィスの一番奥の席に飲み終えたコーヒーの缶を置いて見回すと、高性能車スポーツカー開発部門には今日も湿気た空気に満ちていた。

 それもそうだ。売れ筋の開発に人材を持っていかれた状況での新型車の開発は思うように進まず、誰もが苛立ちを抱えている。

 だが、それは俺も同じだ。お前らは好き勝手に案を持ってくるが、今時売れない車の開発になんてコストをかけてはいられない。

 少ない人数と予算、使い回しの部品で、なんとなく見栄えのよさそうなものを作るだけだ。そこに情熱なんてものが介在する余地はないし、それが商品を作るってもんだろう。お前らもそのうち分かることだ。

 フロア全てに行き渡るように大きな溜め息をついて座ると、まだ作業着が板につかない平野がデスクの向かいに立った。


主査チーフ。デザインの修正案、見てもらえますか」


 右手で資料を要求して返事に代える。渡された紙には、先進的、それでいてクラシカルなエッセンスが落とし込まれた、ロングノーズショートデッキのスポーツカーのデザイン画。

 通常はイメージカラーになりにくい紫のカラーリングも、ボディの陰に年代物のワインともいえる風味を与える一方で、光の当たる部分には未来を感じさせてくれる。

 一目見ただけで平野のチームものと分かる個性が光っている。

 こんな若者に、ここまでの旧き良き車の新解釈ができるのかと感心せざるを得ない。

 しかし俺は、ただただそれをデスクの上に放った。


「商品としては0点だ。平野、前の案の時も言ったよな?こんなCピラー、どれだけコストがかかると思ってる」


 返事をしない平野ひらのに捲し立てる。


「他車種の窓をそのまま使い回せるデザインにしろ。パッと見で別物に見えりゃそれでいいんだよ。分からない奴には、どうせ分からないんだ」


 平野は何も言い返さない。真っ直ぐな、目で見てくる。

 自分の正しさを証明しようとする、俺の嫌いな眼差しだ。

 そのまましばらく立ちつくしていたが、内装チームのリーダーのつつみを呼ぶと舌打ちを残して戻っていった。


「堤、お前はできてるのか」

「はい。ご確認お願いします」


 最近ようやく作業着が板についてきた、真面目な男が資料を持ってくる。

 ディスプレイ、センターパネル、スピーカーに至るあらゆるものが運転手に向けて配置された、車との一対一の対話だけを考えられた内装。助手席のことなんて何一つ頭にない潔さだ。

 メタル、カーボン、スウェードを曲線と直線とで組み合わせたデザインは、ステアリングを握ることを想像しただけで手に汗握るよう。アクセントにあしらわれたウッドが、過去と未来を繋ぐような不思議な一体感をもたらしてくれている。

 真面目なようで、遊び心を持ち合わせた堤ならではの提案だ。

 それでも。


「お前もダメだ、堤。ダッシュボードやコンソールは既存車種のもので間に合わせろ。こんなにオリジナルの部品ばかりじゃコストがかかりすぎる。最初からやり直せ」

「⋯⋯すみません」


 肩を落として去っていく堤と入れ替わりに、パワートレイン担当のグループ長、三井を呼びつけた。

 どこか捉えどころのない飄々ひょうひょうとした男が、耳の上に挟んだペンを指示棒代わりに持った。


「エンジンは、日本車の黄金期を彩った直6の3000ccを復活させようと思うんですよね。製造ライン、部品ともに既存の直4の2000ccが流用できますし、今の技術ならエンジン長も短くできます。

 トランスミッションには、北米向け車種に開発された六速マニュアルを──」

「ダメだダメだ。今時ロマンとか『好きなやつは好き』みたいなのが売れるわけないだろ。販売比率とかちゃんと見てんのか?既存のセダンに積んでるV6エンジンを使え。トランスミッションもATオートマ一本だ」


 はいはい、と言いながら資料を集めて戻る三井の背中に、溜まっていた怒りが噴き出す。


「どうしてお前らは会社の方針を理解しない!いいか?お前ら。こだわりじゃ商品はできないんだよ!求められてんのはなぁ!安くて、簡単に開発できる、売れるもんなんだよ!」


 静まり返ったフロア。

 そこに刺さる、一つの声。


主査チーフ。俺たちって、何でここで仕事してるんすか」


 平野だ。先ほどの目で、俺を睨みつけてくる。


「車を作るためだろ」

「作る、って何なんすか。あるもんを継ぎはぎにしたつまんねぇもんを用意することなんすかね」


 皆の視線が集まった。

 出かかった「当たり前だ」を飲み込むが、喉に詰まってしまって、他の言葉も何一つ出せない。

 俺は。俺は正しいはずなんだ。これが商品としての、会社の方針なのだから──。


 ‡


「なぁ、希望のぞみ。俺って間違ったこと、してんのかな」


 遅めの夕食を取りながら、ダイニングで今日の出来事を妻に聞かせた。

 洗い物をしていた妻は、いつも座る向かい側ではなく、隣の椅子に腰かける。


「どうかな。ねぇ、その平野って子。昔のあなたみたいね」

「俺はあいつみたいに生意気じゃないぞ」


 どこか遠くを見つめた妻は、俺のグラスにビールを注ぎながら少しだけ意地悪そうに笑う。


「そっくりよ。あなたが就職した頃なんて、『俺は究極のエンジンを作りたいのに、馬鹿な上司が』なんて言っていたもの」

「⋯⋯俺、そんなこと言ってたか?」

「うん。今の、家庭を必死に守ってくれるあなたも好きだけど」


 学生時代に俺をからかっていた、少女の姿をそこに見た。


「昔の、情熱に燃えていたあなたは、それはそれは格好よかったのよ」


 ‡


 翌日、俺は長いこと着ていなかった作業着に袖を通してから、朝礼として部門の全員を一人残らず集めた。


「みんな、ごめん」


 これで誠意が届くかは分からないが、できるだけ深く、礼をする。

 平野は腕を組み、堤はディスプレイを見たままだ。三井は窓の外を眺めている。


「みんなに、話さないといけないことがある──」


 作業着のファスナーを開け、いつも結んでいた地味なダークレッドのネクタイを緩める。

 左手には、通勤用の鞄に入れっぱなしになっていた、熱工学の専門書を携えた。


 ──これは俺が、車を作りたいと思うようになったきっかけだ。

 子供の頃、親父に連れていってもらった富士スピードウェイ。

 レーシングカーが奏でる爆音と興奮。

 観客たちの歓声と悲鳴。

 勝利の感動と、敗北の苦悩。

 それら全てが俺を虜にした。

 でも、一番は。


「火、だ」


 そのあらゆる原動力。エンジン内で燃え上がる、火だ。

 どうしてその小さな爆発が鉄の塊を動かし、やがて人の心すら動かすのか。

 以来俺は、エンジンが作りたくて内燃機関を学び、機械工学科へと進んだ。そしてこの会社に入った。

 紆余曲折を経て今は主査チーフの立場にいるが、俺が本当に作りたかったのは最高の体験をもたらす、究極のエンジンだ。

 そして最高の体験を彩る、最高のスポーツカーだ。


 左手の本を、胸に重ねる。

 気付けば、部下たち全員の視線が集まっていた。


 ──エンジンを載せた車の終わりは、そう遠くないのかも知れない。

 排気ガスをめぐる規制はその締め付けをいよいよ強め、各社ともにハイブリッド車や電気自動車へと軸足を移しつつある。

 ましてや、カッコよくて速いだけの車。趣味の領域からは決して出ることのない、売れ筋とは程遠い存在だ。

 それでも、俺たちの作る車を心の底から待っている人がいて。

 その車が世界のどこかで人を、その楽しさや感動を乗せて走る。

 そしてそれを見たどこかの子どもの夢や憧れになり、次のを育ててくれる。

 やっと思い出したんだ。大切なことを。

 みんなには、本当に悪いことをしてしまった。俺も焦ってたが、そんなのは言い訳だと解っている。ごめん。

 もし、みんなが俺のことを許してくれるなら。いや、許してくれなくてもいい。

 ケツは俺が必ず持つ。

 だから、みんなの情熱と誇りを、ぶつけてほしい。

 俺たちが死んだって、未来永劫語り継がれる存在を──。


「作ろう。伝説の名車を」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

情熱のかたち 綺嬋 @Qichan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ