通学路の冷蔵庫
キロール
通学路に佇む冷蔵庫
じゃあ、僕の番ね。これは友人だったN君と一緒に体験した話。
昼ごはんの時間、一緒に弁当を広げていたN君が通学途中で見つけた冷蔵庫について話し始めたのは、確か10月の終わり頃だ。
「通学路の脇にさ、古い冷蔵庫が置いてあんの。誰が捨てたんだろうな」
そう言って肩を竦めていたことは思い出せるが、多分その時はそれ以上の話をしなかった。誰か道端に不法投棄しただけだろうと僕は思ったし、N君もそう思っていたんだろう。
そんな訳で大して興味もなかったから、11月の初め頃N君が再び冷蔵庫の話を始めた時は、まだあるんだと思ったくらいだ。
「捨てるな! って張り紙とかされてるけど、全然撤去される様子もないんだ。まあ、それだけならどうでも良いんだけど……」
「何かあんの?」
「冷蔵庫の脇を通るとさ、なんか聞こえんのよ。キュルキュルって感じの音が小さく」
N君は結構細かいところを気にする性格で、少し不安そうにメガネの位置を指先で直しながら告げた。
「ああ、それね。僕んちの冷蔵庫も冷やすガスだかの関係で鳴るよ。他には背面の埃が原因かもってのもネットで見たけど」
「……電源の入ってない冷蔵庫が?」
気にするなよと、うちの家電事情を伝えたが、うちとは根本的な違いがあった。道端の冷蔵庫は捨ててあるんだから電源は入っていない。ならば、冷やすガスも動かないから音はならない筈。確かに不気味だ。……ん、捨ててある?
「捨てられてるくらいだから、ガス管のどこかから抜けてるんじゃない? ガスが」
「ああ、それでガスが動いてキュルキュルか。良かった、夕方とか傍を通る時には気味悪くてさ……」
「まったく、相変わらず繊細と言うか……」
「誰だって街灯が付くか付かないかの夕闇の中で聞くとビクッてするよ」
僕の一言に少しむっとしたように唇を尖らしてN君は言ったが、ともあれ、これで怖くはないとほっとした様子だった。それを見て、僕も少し安堵したことを覚えている。
それからN君と話をすると、数日おきに冷蔵庫の話題が出てきた。ホスト風の金髪の男が、冷蔵庫の傍で何やらぶつぶつ言っているのを見たとか……色々だ。僕は電話でもしてたんじゃないのと言うと、N君は頭を左右に振って言った。
「両手で冷蔵庫の扉を開けて、中を覗きながら楽しそうに話していたよ」
……夕暮れ時にそんな光景は見たくないと思った。いや、朝でも嫌だけど。
他にも捨てるなの張り紙のほかに、お札みたいなのが張られるようになっているとか、おばさんが塩をまいていたとか、色々と聞いた。なんだか薄気味悪い冷蔵庫だ。N君はそう言ってはいたが、それ以上の実害は何もないらしく、もうすぐ撤去されるさと肩を竦めていた。遠回りすると20分は学校に来るのが遅れるから、無理やりそう思い込んでいたんだろうと、今ならば思う。
でも、数日後にN君と僕はとんでもない目にあったのだ。
※ ※ ※
その日、N君に貸していた本が急に読みたくなった僕は、N君と共に彼の家に向かった。人通りの少ない、車が1台通れるかと言う細い路地を他愛もない話をしながら進む。太陽は傾き、背中から僕らを照らす夕日がアスファルトに長い影を伸ばしていた。
しばらく進むと電柱の脇に例の冷蔵庫が姿を現した。色は緑色で赤いさびが浮かんだ古い2ドアの冷蔵庫は、そこまで高さはないけれど、この道には不釣り合いな代物だった。破れかけた捨てるなの張り紙、お経? みたいなのが書いてあるお札が張られて薄気味悪い。大体、なんでこんな目立つところに捨てていったのか? 首をかしげながら僕はN君に冷蔵庫を示しながら告げる。
「いい加減役所とかで持っていかないのかい?」
「まださ。張り紙した人が苦情は入れているんだろうけどね」
いっそ、威圧的ともいえる存在感を放つ冷蔵庫。路地裏にポツンとたたずむ光景はシュールとも言えて、僕らは肩を竦めてその脇を通る。ドアを通学路側に向けて佇むその冷蔵庫が、不意にキュルキュルと甲高い音を響かせた。それは家で聞く冷蔵庫のガスの音と違い、誰かが適当な抑揚で喋っている声のように思えた。
「……気持ち悪い」
「だろう?」
僕の言葉にN君は頷きを返し、更に何かをしゃべろうとして……足をぴたりと止めてしまった。
「どうし……」
僕の問いかけは彼の視線の先を見て止まる。視線の先のアスファルトには僕とN君の影が伸びている。そればかりではなくて、冷蔵庫の影も。その冷蔵庫の影が動いている。ゆっくり、ゆっくりと上のドア……冷凍庫部分のドアが開いていく。そして、中から腕がにゅっと伸びて、周囲をまさぐるように蠢く。
「きゅるきゅるきゅるきゅるきゅるっきゅるきゅるきゅる」
背後から甲高い声が響く。それは無理して裏声を出しているような声で、聴いた瞬間から背中や額に冷や汗が浮かび流れ落ちるのが分かった。心臓がどくどくと鳴り響き、めまいすら感じ始めた。空気が重くなり、体が凍り付いたように動きを止めた。
何だあれ? 変質者が潜んでた? でも、狭い冷凍庫の方に? 人間が入るはずがない……。じゃあ、扉を開けている奴は何? まさか……人間じゃ、ない?
若干パニックに陥りながらそこまで考えたら、急にパタンッ! と背後で音が響く。扉が閉じた音? 冷蔵庫の影はいつの間にか消えており、僕たちの影も短くなっていた。街灯が灯るまで僕達は固まっていたようだ。それに気づくと何だか空気が軽くなり、指先に力を籠めれば動くことが分かった。
「い、今の……」
「……き、気のせいだ」
僕の確認の言葉に首を振りながらそう言ったN君も、額に汗を浮かべて少し震えていた。今の出来事を確かめようと振り返えると、そこには明るいLED街灯の光を浴びて冷蔵庫がぽつねんと佇んでいる。ただ表面に浮かぶ赤さびが、一層赤黒く見えて、まるで血に染まったように思えた。
「い、行こうぜ」
N君は前を向いたまま絞り出すように告げた。僕は頷き前を向くが、不意にあることに気付き、愕然とした。
「……え、ちょっと待って? 僕、ここを一人で帰るの?」
「……だいぶ遠回りになるけど、国道使うのが良いんじゃないか?」
N君の家から僕んちに向かうのに、道は何も一本だけじゃない。その事実を思い出してほっとした。さあ、いつまでもこんな所で立ってないで急がないと。そう告げて一歩足を踏み出した。その瞬間に空気がまた嫌な空気に変わった。重く、ねばつくようなそれに。そして……。
パタンッ! パタンッ! パタンッ! パタンッ! パタンッ! パタンッ! パタンッ!
背後で音がする。
もう影で何が起きているのか見ることもできない。半ばパニック状態になった僕は恐怖を怒りに変えて、何なんだよと叫びながら背後を振り返った。振り向きざまに最初に感じたのは生臭さだった。
夕日が沈み闇が迫る中、電柱の上に付いた街灯に照らされた冷蔵庫。その二つのドアが交互に開いては閉じを繰り返している。開いた冷蔵庫の中身は暗かったが、そこから腕や長い黒髪が意志を持つかのように零れ落ち、揺れ動いていた。そして……LEDが明滅を繰り返し始める。
ちかちかと街灯が明滅するたびに、冷蔵庫の中身が外に出てくる。足首が、赤黒く汚れたジーンズが、一部が茶色く変色した白いTシャツが冷蔵室から徐々に出てきた。冷凍庫からは長い黒髪の女の頭がごろりと転がり落ちる。転がり落ちた首は僕を見てにやりと笑いながら。
「きゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅるきゅ!」
そう叫んだ。
何、あれ? 僕は恐怖と共に意味不明さを覚えて、頭が真っ白になった。冷蔵室から出てきた体が倒れこんだと思いきや、這いつくばるように手足を動かし、僕たちの方へとのそりと迫った。足の一部や指先が腐っているのか白い骨が垣間見える。
「に、逃げるぞ!」
上ずった声で僕の手を取りN君が走る。釣られて僕は走り、怒鳴った。
「何だよアレ! 何だよアレ!」
「うるさい! 黙って走れ!」
ガタガタ震えながら僕とN君は走る。振り返ると、奴はまだ追ってくる! それも速度を上げて! 首のない四つん這いの女の死体が僕たちを捕まえるためかすごい速度で迫って来る。背後には黒髪を振り乱して転がる女の首!
「む、無理だよ……逃げられない」
「諦めるな! 前だけ見ろ! もうすぐなんだ!」
そうN君に叱咤されながら何とか走り続ける。息が乱れ、目が回りそうになりながらもすすむけど、すぐ後ろからぺたっ!ぺたっ! とすごい速度で迫る物音が響いていた。
不意にN君に引っ張られて道の脇にある鳥居をくぐり神社に逃げ込んだ。途端に空気が変わった。重苦しい張り詰めていたそれが消えて、普段通りの空気に戻った気がした。気が抜けてしまったせいか神社の境内でつまづいて絡まるように倒れこんだ僕らは、揃って街灯に照らされている道を見た。
そこはすでに普段の通学路へと戻っていた。変なものは何処にも存在していなかった。
※ ※ ※
結局、あれが何だったのかは分からずじまいだ。誰が捨てたか分からない冷蔵庫だからね、
N君? もちろん今でも付き合っている。友人としてではなく恋人としてだけど。あんだけ男らしい所を見せられるとね、まあ……。ほら、怪談とかだと男が先に逃げたりするけど、彼は僕を見捨てず引っ張ってくれたし。何だよ、そっちが聞いてきたのに……! ……ただ、N君と一緒だと結構怖い思いをするのが難点かなぁ。怖い話これ以外にもあるけど、聞きたい?
<了>
通学路の冷蔵庫 キロール @kiloul
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