最終話 竜の行方

「い、行った、さ。ぼくは行ったんだ! 噴水は三つ止められていて、全部で十二で、近くには時計があった。

 だから示された通り、十二から三時間前の九時に、待ち合わせ場所に向かったぞ!!」


 彼女の遅刻だとしても、魔女セーラが捕食される時間まで待っていた。

 だけど十二時を越えても、アルアミカは現れなかった。

 セーラとアルアミカが密会してフルッフをはめたのだと思うだろう……、

 それに、セーラ自身がそう言っていたはずではないか!


「セーラとアタシが……? ううん、アタシもセーラに殺されかけて、必死に逃げたんだよ。身を潜めていないとすぐに見つかるからこそ、分かりにくい暗号を作ったんだし、堂々とは動けなかった。……あと、アタシが止めた噴水は二つだし、勘違いするのも仕方ないかもしれないけど……待ち合わせの時間に指定したのは、十二時から二時間後だよ……?」


 噴水の数が合わないのは、魔女セーラが暗号を見破り、フルッフを誘き出す細工をしたのだと推測できるが……二時間後?

 十二ある噴水から一部、水を止めれば、当然、引くものだと考えるはずだ。


 暗号は、噴水、時計、似顔絵、と道具で示したため具体的な解釈の仕方は話し合ってはいなかった……ゆえに間違う可能性もゼロではないが……。

 フルッフの中で、あれを足すという発想はなかった。


「だって、ばれないように身を隠しているのに、セーラが捕食される前に待ち合わせ場所で見つかって、襲撃されたら意味ない……と思って。……セーラが捕食された後なら、いつ待ち合わせても危険はないでしょ?」


 暗号に示された通り、ルールに則るのではなく、身の危険とフルッフの安全を考え、引くべきところを足した……ルールの外へ飛び出す暗号の解き方だった。


 そういう発想ができるかできないかで、きっと、今に繋がっていたのだ……。


「…………ぼくの、勘違い……?」


 自分で間違えて、勝手な思い込みで(セーラがフルッフを成長させようとした策略も悪い方へ働き)アルアミカの方が裏切ったのだと決めつけて。


 彼女の命を狙って、たくさんの人を犠牲にして……、

 危うく真実を知る前に大切な友人を殺してしまうところだった。


「なんだ……、なら、アルアミカ、は……」

「裏切ってなんかいないよ」


 最初から、ずっと、対立はしていたかもしれないけど……裏切ってはいなかった。


 ……よかっ、た……。

 なんて、安堵の息を吐ける立場にはいられない。


 全てが勘違いだったのなら、払った犠牲の元も、勘違いなのだ。

 ……どれだけの人が殺された? 

 まともな生活ができなくなった?

 未来を奪われた?


 ……勘違いだった、だからごめんなさい……で、済む話ではない。

 罪を司るフルッフだからこそ、誰よりも一番分かっている。


 重た過ぎる罪悪感だった。


「…………ぼくは、どれだけ眠っていた……?」

「……………………………………………………」


 沈黙するアルアミカの、悲痛に歪む表情で全てを悟った。


「そ、っか……」


 時間はもうない。

 すると――徐々に近づいてくる、羽ばたきの音があった。


 国を背負う竜と比べれば小さい。

 だが、誰もがまずは連想するだろう姿をした、鋭利な青い結晶の鱗を纏う竜だ。


 足下に溜まっている、灰色の重たい霧の中から飛び出し、上空へ。


 空気抵抗の少ない細い体をした竜がこちらを見下ろし、一瞬で、フルッフの目の前に着地する。

 いとも簡単に、外からは目隠しになっていた大樹を細長い口でへし折り、顔を潜り込ませ深い森の中にいたフルッフを見つけた。


 赤い眼光が人間の一挙一動を見逃さない――。


「待ってッ!」


 フルッフを抱き寄せるアルアミカが、言葉は通じないと分かっていながらも懇願する。


「フルッフを、連れていかないで……っ。

 もう少しだけ、だけで、いいから、待って……よぉ……っ!」


 言葉は通じない……それは人間から竜に限り、だ。

 竜は、人間の言葉を理解できる。

 それが魔女だろうが、等しく同じだ。


 アルアミカの想いを聞いたから、なのかは分からないが、フルッフをくわえる仕草は丁寧だった……。

 一口で飲み込むこともできた。

 だがその竜は、フルッフの服を器用につまんで、アルアミカの腕の中から取り出す。


「……あっ――」


 アルアミカが手を伸ばす……フルッフは、手を伸ばさなかった。


「ぼくを救おうとしてくれるのかい? でもさ――」


 フルッフがみっともなく助けを乞わなかったのは、目的のために無関係な人間を殺し過ぎたから……これが相応の報いなのだと納得したからだ。


 ……でも、ずるいかもしれない。


 もっと苦痛を感じて死ぬべきなのかもしれない。


 犯罪者が満足して死ぬなんて、被害者が聞いたら納得しないだろう。

 でも仕方ないだろう……、こんな自分にも、想ってくれる人がいるのだから。


 あの日。

 あの時。


 アルアミカが、傍に寄り添ってくれたから……もう、その時点でフルッフは――、


「救われていたんだよ……」


 フルッフをくわえていた竜が、頭を真上に振り上げ、彼女を高く投げた。

 落下するフルッフの体が、百八十度に開いた竜の口に、ばくんっ、と飲み込まれた。



「お前から、彼女を守れなかった」

「…………」


「だがな、竜からも守れなかったら、俺は自分を許せなくなる」

「……そうか」


「止めるか?」

「いいや」


「大切な者を失った先を生きられない奴の自殺と取るのか!?」

「そうは思わない」


 だって、


「きっと、僕も同じことをした」



 ディンゴの視線の先では、一人の男が大切な人を奪い去った竜の尾を掴むために、飛び出した姿が見えた。


 一歩間違えれば竜の巣窟である足下の世界へ落下するだろう……。

 それでも彼は迷いがなかった。

 失う以上の恐怖が、この世にあるのだろうか? とでも言いたげな背中だった。


「もしも、竜に攫われたのが私だったら……ディンゴはあそこまでしてくれた?」

「絶対にしない」


 クロコに助けられ、安全な場所まで運ばれていたエナが背後にいる。

 彼の勇気と旅立ちの全てを、ディンゴと共に見送っていた。


「そう、よね。あんたは、私のことを見てくれたことなんか――」

「エナ」


 ディンゴが振り向いた。



 視線が合う。

 ……こういう状況ならこれまで何度もあった。

 それでもディンゴはエナを見ているようで見ていない……何度も味わっていた、向き合っているのに一人でいるような虚しい気持ちが、なぜか今日だけは感じられなかった。


 ディンゴの感情が、流れてくるように、手に取るように分かった。


「ごめん」

「……え、へ……? は――、いッ!?」


 手に取るように分かるということは、どういう謝罪なのかも分かった。

 その答えに驚きはないが、なによりも、秘めていたそれがばれていることに、顔を覆いたくなったのだ。


「……どうして、知ってるの……?」


「これまでを振り返ってみれば、エナが僕を構うのは、まあ、つまりそういうことなんだろうって、思った……的外れだったら言ってよ、恥ずかしいのは僕の方だ」


「違わない! 私は、ずっと――」


 これまで積極的に、直接言いはしなかったが、行動と想いで示してきた。

 それは、相手にされていないから、と分かった上だったからこそ発揮できた積極性だったのかもしれない――。

 だって、いざこっちを見てくれるようなった状況で、気持ちを伝えようとすれば、こうも口が堅く開かないのだから。


「ず、っと……」


 ――これからも、あんたの傍に、いたかった。


「好きだった」

「…………そっか」


「答えは?」


 分かっているくせに、エナは聞いていた。

 既に彼から答えは貰っているというのに。


 だけど彼は答えた。

 さっきとは、別の返事である。


「認める。僕の負けだよ」


 彼は受け入れた。


「――エナは、最高のお姉ちゃんだ」

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