第43話 フルッフvsアリス姫
「――――――――ひ、め、様……?」
泣き喚いて、ディンゴを呼び戻してくれた、わけではなかった。
姫様は一滴たりとも涙を流していなかった。
悲しみではなく、感じられたのは、怒り。
「なに勝手に行こうとしてるの。私を置いて――そんなの許さない!」
傷口が開きっぱなしなのに、彼女は容赦なく傷口を叩いた。
「ッッ!?!?!?」
「起きなさい。そして私を守りなさい、このバカっ!」
「……酷いね、きみは」
フルッフが肩をすくめた。
「言っておくが、きみだって例外じゃないんだ」
ディンゴを斬り裂いた漆黒の剣が、今度はアリス姫に向けられた。
……負い目を感じない人間なんていないだろう。
少なかれ、誰しも罪悪感を感じているはずなのだ。
「きみを守ってくれる彼に、負い目を感じたことが一度でもないと、言い切れるか!?」
「――ひ、姫さッッ!?」
立ち上がれる傷ではない。
ディンゴが庇おうとするも間に合わず、
無抵抗で立ち尽くすアリス姫に、漆黒の剣が振り下ろされた。
だが、手応えがなく、入り過ぎた力のせいでフルッフの体がバランスを崩した。
刃は、アリス姫の体を透過した。
「………………え」
「負い目なんて、感じたことは一度もないよ。近衛騎士なんだから守るのは当たり前、私を庇って傷つくのは当然、苦労することだって想定済みでしょ。……私を誰だと思ってるの? 姫よ、王女よ、王様……、王族なんだから。負い目を感じるよりも、同情をするよりも、私はみんなに、私自身の安全を証明し、成長と笑顔を見せて満足を与える! 私を守って傷つくのは栄誉なことなのだから、ディンゴ……誇りなさい!!」
「姫様……あんた……」
聞いていたディンゴが、薄らと微笑んだ。
「……王族らしく、なったなあ……」
「――ふッッざけるなァ! これが王だと、上に立つ者だと!? 自分を守る者が傷つこうがなんとも思わないのか!? それを、守っているきみは許すのか!?」
もしも、フルッフがアリス姫を斬る時に、罪悪感を抱く相手をディンゴではない誰かに指定していれば、少なくとも傷を一つくらいならつけられただろう。
彼女が唯一、負い目を感じていなかったのが、ディンゴなのだから。
強い信頼の上で成立する関係だ。
負い目が一つもなかったところで、ディンゴはアリス姫を裏切ったりはしない。
「あなたはどうなの?」
直感なのか、アリス姫は抜き取った漆黒の剣が、フルッフが手に持つものと同じだと自覚はなかったが――実際に同じものだった。
「クロコに、罪悪感はあるの?」
強い信頼関係ゆえに、無傷であるというのなら。
「……やめろ」
フルッフは悟ってしまった。
「負い目を、感じているの?」
拙い手つきで、アリス姫が剣を振り回す。
金属音が鳴り響き、フルッフが少女の弱い力で振るわれた剣を受け止めたが――意味はない。
罪悪感の大きさで、傷口が変化する。
たとえ受け止めたところで、斬り傷は剣を越えてフルッフの体を傷つけ始める。
……勝てないはずだ。
全てにおいて上をいかれている。
信頼関係において、今日、心を許したばかりの彼とでは、とても敵わない……。
騎士にとっては守るのが生き様で、
姫にとっては守られて王の自覚に繋がる。
「今度こそは……、って」
真っ赤な鮮血が、フルッフの体から流れ出した。
力が抜ける。
あっという間に、彼女は意識を手放した。
……そっか。
……次は、ないんだっけ……?
フルッフが目を覚ました時、やけに眠りが深かったと感じた。
寝心地の良い枕である……柔らかさを確かめるために手で触れると、
「ひゃうっ!?」
と、真上からそんな声が聞こえた。
「え…………?」
「フルッフ、くすぐったい……!」
「あ、アル……ッ!」
反射的に体を起き上がらせようとしたが、刻まれた傷口が痛んで、すぐに頭がアルアミカの太ももの上へ……。
心配そうな表情を浮かべるアルアミカが、下からよく見える。
……どうして、そんな顔をするんだ……!
……きみは、ぼくを裏切っただろうが……!
恐る恐る、でなければ弱々しく持ち上がった、震えるフルッフの手が、アルアミカに掴まれた。
その手が、彼女の頬へ持っていかれる。
「傷が深いんだから、動かないで」
ぎこちない笑顔を浮かべるアルアミカも人のことは言えないが、傷の大きさで言えばフルッフの方が当然のように深い。
「……やっと、落ち着いて話せるね」
「ぼくには、話すことなんてないさ……」
「恐いから? 状況的に見て裏切られたとしか思えないけど、いざ聞いて、本当に裏切られていたとしたら、元に戻れる可能性がゼロになるから……聞きたくなかった?」
「ッ!」
「……じゃあ、聞いてくれる? フルッフ……」
アルアミカが言った。
「暗号を残したあの日……どうして待ち合わせ場所にこなかったの……?」
………………は?
と、フルッフの思考が止まった。
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