第42話 魔女フルッフの【罪悪感】

 いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!? と遠ざかる悲鳴が聞こえてきた。


 幹に腰と背中をくっつけながら、アルアミカが勝利の余韻に浸るでもなく、安堵の息を吐いた。

 安心を終えたら、切羽詰まっていたせいで忘れていた苦痛を体が思い出す。


 視線の先には、伸ばした手の平にくっつけた、小さな木の実があった。

 大樹が直立したことによって起こった振動により、落ちてきたのだろう。


 アルアミカの体は大樹にくっついたまま……そのため魔法自体を解除したわけではなく、木の実をくっつけたことで強制的に二つ前にくっついたものが解除されたのだ。


 木の実、大樹にくっつくアルアミカ……さて、その前は?


「アリス……ごめん……アタシも限界かも――」


 失った血の量が多く、彼女が意識を失った。

 ぺりぺり、と剥がれるように、彼女の体が幹から離れ、エナを追うように落下した。



「……っ!?」


 フルッフとアリス姫、両者が同時に、己の眷属の敗北を理解した。

 彼女たちを守っていた壁がなくなる……つまり。


「……形勢逆転か?」


 直立した幹の上、ではなく、途中で伸びていた枝に着地した二人。

 幹よりも足場は狭いが、比べたらの話で、舞台としては充分に広い。


「壁が機能しなくなれば、ぼくの手がきみの首に届くわけだ!!」



「なら、僕の剣も君の首に届くわけだな?」


 その声に、信じられないようなものを見る目で、フルッフが振り向いた。


「………………どうして、きみがいる……?」


 答えは分かっている。

 だけど、信じたくなかったのだ。


「クロコが……クロコが! 負けるはずがないッッ!!」

「でも、僕はここにいる。……腕一本、もっていかれたけどね」


 彼の左腕の肩から先がない。

 それだけ、壮絶な戦いだったと予想できた。


「クロコは絶対にぼくを守ると言ってくれた、離れないって、見捨てないって! 一体、どんな卑怯な手を使ったんだ!! クロコを……クロコを返せ!!」


「……あいつは確かに僕に負けたけど……騎士同士の戦いだ、互いに卑怯な手など使わなかったよ。真剣勝負だったんだ……それを、なにも知らないお前が、見てすらいないお前がッ! 俺たちの戦いを、馬鹿にするなよッ!?」


 彼の剣がフルッフに突きつけられた。


「……後は君だけだ。姫様を返してもらうぞ……」

「は、……はは。そ、っか…………ぼくには、もう――」


 敗北を悟ったのか、彼女が天を見上げた。

 ディンゴも、元々無抵抗な女の子を斬るつもりもなかった。

 彼女が天を見上げた時点で剣を下ろし、警戒を解いていた。


 だが、少し早かった。


「ぼくにはもう――生まれ持った魔法しか残っていないわけだ」


 上空から降り注ぐ漆黒の剣が、足場としている枝に連続で刺さっていく。

 まるで雨のように……、

 周囲一面に降り注ぐということは、アリス姫を貫く数本も存在している。


 駆け出したディンゴだったが、足場に刺さった剣が進行方向を遮ってしまっており……。

 視線の先で戸惑うアリス姫の姿が見えた。


 遠くからだから分かった……彼女の頭上に生まれた、漆黒の剣が落ちてきている。


「姫様ッ!!」


 剣を踏み台にして、彼女に飛びつき、足場となる枝の上に押し倒した。

 体を盾に、アリス姫だけでも守れれば……そう思っていたが、ディンゴの胸から突き出ていた漆黒の剣が、そのまま目の前に倒れているアリス姫の胸を貫き、地面に突き刺さっていた。


「なッ――」


 視界が一瞬で真っ赤になったが……急速に熱が冷めていくのが感じられた。

 ……痛みがない。


 刺さっていると思っていたが、自由に動ける。

 立ち上がれば、自分の体が剣を透き通っていた。

 姫様も同様に……まるで剣が実体化していないかのようだ。


「ぼくの魔法をアルアミカから聞いているかい?」


 誰もが習得できる基礎魔法ではなく、フルッフだけが持つ魔法……。

 周囲を埋め尽くす、まるで墓石のように突き刺さっている漆黒の剣こそが――。


「罪を司る魔法だ」


 剣は、彼女が操る罪が形となって出現したものだ。


「ただの罪じゃないさ、ぼくが意識しているのは、罪悪感……」


 言い方を変えれば、負い目だ。


「その子のためになるよう生きてきたとは言っても、多少の罪悪感はあるだろう?

 たとえば……忠誠を誓いながらも別の誰かを優先した時とか」


 突き刺さっていた剣を抜いて、フルッフが投擲する。

 ディンゴが剣で弾く以前に、漆黒の剣が向かい討とうとしたディンゴの剣ごと、体をすり抜けていった。


「ふーん。その子、一筋なわけか――なら、これは?」


 投擲された剣を、ディンゴが弾いた。

 ……弾いた。

 ――触れている!?


「当たりらしい」


 弾かれた剣を空中で掴み、フルッフが振り下ろす。

 剣は空振りしたが、しかし、威力の強弱は刃を向けられた者の罪悪感の大きさによって変化する。


「その子を守るために何度『嘘』を吐いたんだい?

 毎回のようにきみは、その子に負い目を感じていたみたいだね」


 ディンゴの体を斜めに分割するように、深く斬り傷が刻まれた。

 体内全ての血かと思える量が、一気に噴き出した。


「――ディンゴっっ!!」


 ディンゴを支えるアリス姫に、上空へ舞った血が降りかかる。

 全身を真っ赤に染め上げながら、アリス姫が、意識を朦朧とさせているディンゴに声をかけ続けた。



 国王の命令で、姫様には嘘を言う機会が多かった。

 それが結果的に姫様のためになるのだとしても、嫌がる姫様に勉強をさせたり、すぐに抜け出すから、と部屋に閉じ込めたり、無理やり縁談相手らしき人物に会わせたり……姫様の嫌がる表情を見る度に心を痛めていた。


 ディンゴはアリス姫の近衛騎士であると同時に、国という組織に属している。

 したくないことだって、しなくてはならない場合だってあった……。


 蓄積されていた四年間の負い目が、強大な一撃となって彼の体を斬り裂いた。

 それは、断頭台に吊されていた刃よりもさらに巨大な刃に、両断されたのと同じ。


 まだ意識があるのが奇跡だった。

 温かい水溜まりの上で、激しい睡魔に襲われ、目を閉じてしまえばすぐに眠れる。


 ……そっちは、とても気持ち良さそうだ。



「戻りなさいッ、ディンゴォ!!」

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