温泉鬼行:温泉
「アジフさん、そっちだ!」
「おぅ! まかせとけっ!」
太陽の下に刃がきらめく。ノコギリの。
木工スキルが木材を加工する。
源泉を引き込む作業は、翌日から早速行われた。いや、二日酔いの男どもに『
まずは村長に選んでもらった村人を引き連れて現地の視察を行い、それぞれのスキルや職業から担当を割り振る。村に戻って資材の手配を行う班と、現地で作業にとりかかる班に分かれ、現地でまず行ったのは現場事務所の建設だ。
本気だ。今回は遠慮はしない。
仮設とはいえ、現場事務所の周囲には逆茂木や鳴子を配置して、現地での寝泊まりを可能とした。将来は炭焼き小屋の建設を視野に入れて場所を選定している。
水平器で高低差を測り、測定結果から設計を行う。決定したルートの縄張りを行い、伐採と地ならしをしてから、
計画したのは、源泉の湯量を確保する湯元設備と、埋設配管による源泉供給。そして湯船及び塩釜の建設。
湯船は、後日村人も使えるようにと、川の増水をかわす位置に決めた。それによって水を引き込む設備が必要になったが、谷川への流れ込む支流の流れを変えて水を確保する。
埋設配管は、
湯船は高低差を利用した半埋設。こちらは、人が不在時の魔物対策に不安が残るが、排水の勾配をつける為に仕方がなかった。屋根のない完全露天風呂で、使わない時は湯を止めて蓋をしてしまう構造にした。
脱衣所はもし入浴中魔物が襲ってきても、立てこもれるよう頑丈な造りにした。狭間を設けて、中からの反撃も可能だ。
もちろん、源泉の流れを一部変えて、動物たちの塩場も確保している。環境への配慮というだけではない。塩を求めて設備に侵入されないようにする為でもある。
作業にあたっては、村の為にもなる設備なんだと村人を集めて
そうして、温泉の設備がとりあえずの完成をみたのは、わずか一週間後の事だった。
湯船に張られた湯は、少し茶色く濁りが入っているが概ね透明だった。
逸る心を押さえて身体を洗い、湯加減を確かめてから足を入れる。片足でも入りやすいようにと組まれた石が親切設計だ。
湯につけた足元から、じんわりと熱が伝わる。
「くはぁ~」
肩まで浸かると、思わず声が出た。リバースエイジ、仕事してるか?
少し熱めの湯が、体表から熱を染みこませてくれる。目を閉じると風が頬を冷やす。温泉…… 何年振りだろう。前回温泉に浸かった時には、まさか次が異世界になるとは想像もつかなかった。
かつて村の自宅に作った風呂は、水汲みや湯沸かしの都合上、身体がなんとか収まる程度の小さな物だった。
四肢を伸ばして湯に浸かる。温泉の熱と入れ替わりに、訓練と戦いに明け暮れた日々の疲れが湯に溶け出していくようだ。たまらん、いつまでも入っていられる。
手にすくった湯を見つめ、そのままぱしゃりと顔にかける。
「アジフさんは、大工かなんかだったんですかい?」
身体を洗い終えて入ってきたメットが声をかけてきた。一番風呂は建設に携わった者の特権だ。
「村暮らしが長くてね。家だって建てた事があるんだ」
「へぇ~、若いのにいろいろやってるんですねぇ」
おっと、そうだった。25歳だった。我ながら不自然極まりない。家くらいならごまかしも利くが、今回はいろいろやらかしてしまっている。仕方がなかったんだ。少々地球の知識も漏れたが、しょせんは素人の浅知恵。温泉の前では些細な問題だ。
「いやぁ、外で湯につかるなんて、貴族様でもできない贅沢ですが、こりゃぁいいですなぁ」
「そうだろう、そうだろう」
「「ふぃ~」」
二人揃って、黙って谷を見下ろす。森の端にある高低差に作られた湯船は、もともとは見晴らしも悪かった。周囲の木を伐採して見通しを確保しているのは、景観の為だけではない。接近する魔物への警戒でもある。
女性は今のところ湯浴み着を着てもらうつもりだ。将来はもう一つ湯船を造って、男湯と女湯を定期的に入れ替える計画をしている。
「そう言えば、アジフさん」
「ん~、なんだ~」
ぼんやりと湯につかりながら、メットが話かけてきた。
「この温泉の名前なんすけど」
「名前かぁ。何がいいだろうなぁ」
やっぱりオーガに関する名前かな。オーガと言えば鬼。日本にも多くの温泉に鬼にまつわる伝説があった。とはいえ、こちらの鬼は地獄と関係が無い。『魔界谷温泉』もないだろう。
「村長が『アジフ温泉』にしようって言ってましたぜ」
「…………はぁぁぁ!?」
考えていたところへ、メットの言葉が衝撃の事実を伝えた。冗談じゃない、勘弁してくれ。そんなこんがりほくほくと揚がりそうな名前にされてたまるか!
「い、いやいやいや、いくらなんでもそれはないだろう。それはひどい。アジフ温泉はない」
「そうですかね? いい名前だと思いますが。村の衆も乗り気でしたぜ」
なんて事だ。現場事務所で寝泊まりしているうちに、村でそんな話になっていたなんて。こうしてはいられない、大至急村に行かなければ。
「村に行ってくる!」
「え、ちょ、アジフさん!?」
湯船から<ざばっ>と立ち上がり、それだけを言い残す。手早く身支度を整えると、ムルゼに馬具を取り付けて騎乗した。
「せやっ! はっ!」
ジデルル谷から村までの間の山道は、多くの人と資材が行き交ううちに自然と整備され、馬での往来が可能となっていた。
以前は半日近くかかっていた道のりも、今では馬で駆ければ二時間もかからない。
温泉で暖まった身体が風で冷やされ、馬で駆けるうちに再び汗がにじむ。風邪をひいてしまいそうだ。
「どいてくれー!」
「おわっ」
すれ違う村人に謝りながらも、村の門をくぐる。馬を厩舎へと預けると、足早に村長の家を訪れた。
「村長!」
「おお、アジフさん。湯は張れましたかな」
家に駆け込むと、すぐに村長が出迎えてくれた。
「ああ、最高でした…… って、違う! 温泉の名前を『アジフ温泉』にするって聞きましたが?」
「おお、もう聞きましたか。耳が早いですな」
「断固として反対する!」
机を<ドン>っと叩くと、村長は意外そうな顔を見せた。
「自分の名前が土地に付くのですよ? 最大級の感謝のつもりなのですが」
この世界では、人名と地名は密接につながっている事は多い。都市の名前は領主の家名であるのがほとんどだし、国でもそうだ。王政でなくとも、昔の聖人だとか功績のあった人物に由来する名前が多くある。村長の言い分は、この世界では極めて常識的だった。
「気持ちはありがたい。だが、もっとふさわしい名前があるはずだ。例えばオーガに関わるような」
言い分はわかるが、ここで折れれば新たな黒歴史を刻んでしまう。アジフ温泉だけはなんとしても阻止しなければならない。
「オーガの名など付けてしまえば、みんな怖がって来ないかもしれません」
「くっ」
地球上の鬼とオーガには、決定的な違いがある。それは現実にある脅威かどうかだ。オーガを恐れて二の足を踏むというのは十分にあるかもしれない。
「この村にオーガが現れた話は、半年も冒険者ギルドに依頼を出し続けて知れ渡っております。『アジフ』というのが、オーガを討伐した冒険者の名前と知れば、この村を訪れようとする人も安心するでしょうなぁ」
村長が、ちらっとこちらを見た。そんな目で見てもだめだから!
「村を訪れる行商人に塩を売り、温泉を味わってもらう。塩だけなら仕入れ先として秘密にされるかもしれないが、温泉を味わえば誰かに言わずにはいられないだろうと。行商人が訪れた街や同業者に温泉を伝え、それによってさらに多くの人が村を訪れる。そうすれば塩をただ売るよりも多くの利益を得られるはずだと、これはアジフさんの提案でしたな」
塩は山深い地域では重要な物資だ。その買い付けができるのなら、少々遠くても行商人は訪れるだろう。その塩を確保する為にと塩釜の設置を提案したのは自分だった。こんなところで
「もし、またオーガが現れてもいいように村の収入を増やしておくべき。そう語ったアジフさんの演説に、私を含め村の誰もが感銘を受けました。オーガを倒しただけではなく、村の将来をも救おうとして下さるのだと。アジフさんは間違いなく村の恩人です。その名声が温泉と共に広まるのを、私も村の者も望んでいるのですよ」
ぐぬぅ。温泉工事の人手を確保する為に張り切りすぎたか。だが、『アジフ温泉』は断じて受け入れられない。はっきり言おう。恥ずかしい。
「私自身は名声を求めていません。温泉も多くの方々に手伝ってもらいました。追加の報酬としては多すぎるほどです。オーガがすでに討伐されたという話は、私がデロスロで責任を持って行商人に伝えましょう」
ずいっと村長に迫る。村長はその圧に後ずさった。
「アジフさん…… ひょっとして、嫌がってます?」
「い・や・で・す!」
村長にも村人にも悪気が無いのはわかっている。それどころか感謝を示そうとしているのだと。だが、ここははっきりしておかなければならない。
『アジフ温泉』が却下されたので、その日の夜に村を集めて話し合いが行われた。
その結果、温泉の名前は無難に『ジデルル谷温泉』となった。それでも、なんとかアジフの名を村に残してくれないかという意見が思いの外多くあった。村には温泉の工事に協力してもらい感謝している。そこで村の意をくみ取り、建設予定のもう一つの湯を『オーガの湯』今の湯を『アジフの湯』と呼称する事になった。
湯の名前くらいなら、温泉の名前と違い村の外で噂になったりはしないだろう。
そうして、事態は一応の決着をみたのだった。
おっさん冒険者の地道な異世界旅 なまず太郎 @namazutarou
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