アルファツイッタラーの死

シメ

ある女性の話

 満月の光が道を照らす夜、私は好きな人を突き刺した。


 *


 好きな人といっても、一度も現実世界で会ったことはなかった。私がインターネット上で一方的に彼のファンをやっていただけだ。

 彼はいわゆる「アルファツイッタラー」と呼ばれる人だった。アルファツイッタラーとはツイッターでのフォロワー数やRT数が四桁五桁を軽く超えるツイッター上の有名人のこと。彼らの一挙一動で物が売れたり流行ったりする。

 私はTLに偶然流れてきた彼のツイートに心を奪われて、気がつけばいいねやRTだけじゃなくてフォローまでしていた。

 彼は斜に構えたツイートをよくしていた。そして自虐的に好きなものへの愛も語っていた。そんなシニカルでコミカルなツイートは定期的にバズり、それをまとめた本も出版されていた。もちろん私はその本を買っている。発売記念のサイン本プレゼント企画の抽選には外れた。

 しかし、彼はよくいるアルファツイッタラーのようなグッズ展開だとか動画コンテンツに参入とか、そういった商業的なことはまったくやっていなかった。彼はひたすら自分の世界のことをツイートするのが好きなだけの人だった。ように私には見えていた。

 そんな彼なのであまりリアルの世界に露出することはなく、基本的にはインターネット上で活動していた。取材などで写真に写ったとしても、顔はデジタル加工や安っぽいマスクなど何かしらで隠されていた。しかしいつも着ているのは黒チェックのネルシャツ。私はそんなミステリアスな彼にどんどん惹かれていった。

 ある日、彼はお昼ご飯の写真をツイートした。「うまし」という棒にもかからない文字を添えていた。よくやっているツイートだ。しかし普段なら流し見する程度の内容のはずなのに、急にデジャブを感じてしまった。

 何故か写真から目が離せなくなった。よく見てみると、私の記憶の中にある料理にうつわだった。

 自分のスマホのアルバムの料理フォルダを漁ると、彼の食べたものとほぼ同じものが見つかった。三ヶ月前に友達とランチを食べに行った時の写真だった。確かこのお店は代々木の――。

 自分が行ったことのある場所へ彼も行った。ただそれだけなのに、私が彼に侵食されていくように思えた。遠くの人から、手の届く人に思えるようになった。不思議な嬉しさに口元が緩んだ。

 しかし、これだけなら単に彼が現実に存在していることを改めて認識できただけだ。私が彼を勝手にネットのペルソナ的な存在と思ってただけ、ただそれだけの話。

 我に返った私は料理のツイートにいいねだけした。

 だが、それから数週間経っても私は彼のツイートの一つ一つがやたらと気になってしまった。今どこにいるのか。今何をしているのか。それを知りたくてツイートをいつもチェックしていた。念のためにとツイートされるたびに通知が出るようにも設定した。スマホが手放せなくなってしまった。

 改めて彼のツイートを観察すると、今いる場所、よくいる場所にまつわる情報を平気でツイートに載せていることに気がついた。例えば居酒屋なら店名の書いてあるメニューの写真。職場の近くにある飲食店の名前、しかも複数。よく遊びに行く場所の付近の有名スポットの名前。そして自室から見える風景の写真。とても不用心だ。

 最後の写真をじっと見ていると、写りこんだマンションやビルなどから大体の位置が特定できると思ってしまった。

 そこから私は彼の居住地を知ることに執着し始めた。大変な作業になるかと思ったが、一週間もあればすぐに部屋番号まで特定できた。やはり自室から写した風景がとても役に立った。マンションもビルもすぐにどこの何て建物かわかっちゃったし。

 かと言っても、私はそれから何かをしたわけでもなかった。過激なファンのつもりで彼の家にいきなり突撃するとか、荷物を送りつけるとか、そんなことはする気になれなかった。そんなのは彼に対して誠意がなさすぎる。フーリガンだ。

 でも、このままじゃ有名人とファンの関係のまま。

 それは、嫌だ。


 *


 届かないぐらいなら、私だけの物にしてしまおうと思った。そう思ったときには、彼の背中に包丁が突き刺さっていた。

 彼が声にならない声をあげる。唾液と一緒に血が口からあふれ、膝からうつ伏せに崩れ落ちる。いつも着ているチェックのネルシャツが赤く染まる。

 この道は周りに家がなくて、夜になると人気もなくなる。そのおかげで私と彼は二人きりだった。

 満月と外灯がそんな様子を照らしていた。この光景を見ていると、私はふんわりとした幸福感に包まれた。私の着ているタータンチェックのジャンパースカートやクリーム色のパンプスにも血がついた。きれいだ。

 誰がやったのか確かめるためにか、彼は何か声を出しながら体を起こそうと腕に力を入れようとする。しかし出血のせいで思うように力が入らないのか、ずるりと倒れ込んでしまう。ぐふ、と痛そうな声を出す。痛かったね。

 可哀想に思った私はうつ伏せの背中に刺さった包丁を右足で強く踏む。そして何度もストンピングして押し込んでいく。音ゲーみたいに彼はうめき声をあげる。ふいに彼が書いた音ゲーのツイートを思い出してより足に力が入る。あのツイートは面白かったね。どれだけエモいストーリーが描かれているかを熱弁する文章は素敵だった。

 でも、それを書いたあなたは今私の下で死にかけている。どんなにエモくてもいつかは死に絶える。スマホゲーだってサービスは終了する。けど記憶の中には残る。

 たぶん長い時間、私は踏みつけることをやめなかった。包丁をうまく踏めずに彼自身を踏んでしまうこともあった。その時は彼はヒキガエルのような声で呻いた。きっと彼のこんな声を聞いたのは私だけだ。

 だんだん彼の動きや反応が鈍くなっていく。それでも私は足で包丁をグリグリとより深く押し込んだ。アスファルトに広がった血は赤を越えて黒くなっていた。クリーム色のパンプスはまだらな赤になっていた。いい感じの模様になってきている。

 さすがに疲れてきたので、倒れてる彼の横にぺたりと座り込んだ。

「こんなことしてごめんね」

 目の前の彼はうつぶせのまま何も言わない。

「あなたが私じゃない人にリプライ飛ばしたり会ったりするのを見てると辛くなっちゃった」

 彼の服は全部血に染まっていた。ネルシャツは血染めになっていた。

「きっとお嫁さんにも恋人にもセフレにもなれないから、こうするしかなかったの」

 私の服も血に染まっていた。

「全部は持って帰れないから、ちょっとだけ連れて帰るね」

 私は彼の左手を手に取り、準備していた別の包丁で薬指をゴリゴリと切り取った。骨の硬さに少し手間取ったが、どうにか切り離すことができた。使った包丁はもういらないので地面に置いた。

「いつまでも一緒にいようね」

 切り取った薬指をほほにくっつけるととても愛おしく感じた。私の指と比べるとやっぱり一回り大きかった。

 そのあとは薬指を丁寧にハンカチで包み、スカートのポケットにしまい込んだ。ポケットの中で彼が生きている気がした。

 そういえば彼の顔をまだ見ていない。うつぶせのまま隠れている彼の顔。最後だし見てみようかなと思ったけど、憧れの気持ちが壊れる予感がしてやめた。夢は夢のままでいい。

 やることをやった私はゆっくりと立ち上がり、血まみれのジャンパースカートで夜道を歩き出した。きっと彼の抜け殻はそのうち誰かが見つけてくれるだろう。

 ポケットの中に手を入れて、ハンカチ越しに彼を指で抱きしめる。独り占めできる喜びを初めて知った気がした。

 遠くでサイレンが鳴った。

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