〈6〉
「——仕方ないよね? だってあの瞬間は本当に、みんな焼けてしまえばいいと思ったんだもの」
独りごちる僕の傍、フィズィ・アランが「んー、なんです?」と寝ぼけ眼を擦る。
ずっとひとりでほったらかしにされた午前中、というかもうほとんど昼前くらいの時間。こいつこんなに寝起き悪かったんだ、と、そう知って呆れたのも今は懐かしい。
あの夜からまだ一年は経たないけれど、でも半年以上は経っているはずだ。
十ヶ月くらい? 正直数えるのも面倒臭くて、なにしろそんな場合ではなくて、とにかく何から何まですべてが新鮮、あんなつまらない過去を振り返ってる暇はない。
「ねえフィズィ。この町ってなんて名前だっけ?」
思えば遠くに来たものだと、ふとそんなことを思うホテルの一室。
あれからふたりであちこち回って、この男がどういうつもりかまだわからないけれど、でもいま僕は彼の愛弟子だ。建前上はそうで、でも建前じゃない実態がどうなのかはちょっと不明で、それはこの男が何から何まで嘘ばかりなのがいけないのだけれど、でも少なくとももう、天使じゃない。ただの子供だ。ちょっと顔と頭と性格がいいだけの。それで十分。
「あー。なんでしたっけね。新聞に書いてませんか、紙名とか」
まだベッドの中でぼんやりしている彼。そのアドバイス通りに、僕は部屋にあった新聞を広げる。紙名は町というより地域一帯の名を冠していて、だからなんとなく目を通した記事の中、僕はふと懐かしいものを見つけた。
「ねえねえフィズィ。僕があそこを出た、あの日のことだけどさ」
これまでの日々、もう何度も繰り返してきたやりとり。だからフィズィもよくわかっていて、その答えは僕が言い終えるよりも早く返ってくる。
「燃やしましたよ。貴方のご希望の通り、何もかも」
「でも、火も煙も見えなかった」
「そりゃ、振り返りもしませんでしたからね、貴方」
「全然熱くもなかったし」
「ずいぶん離れてからでしたから、完全に焼け落ちたのは」
「音もしなかったけど」
「風の強い日だったでしょう? 聞こえませんよ、風の音で」
なるほど。
——じゃあこの記事の、この写真は?
とは、言わない。だってそれはもうあるはずのない学校、少なくとも二度と訪れることのない場所だ。
忌まわしき記憶はすべて白銀の炎に焼かれて、そして翡翠の目の天使はもういない。いようがいまいが、どうだっていい。傘の外、晴れ空の下の道はどこまでも続いていて、だから今の僕とフィズィ・アランには、もうそんなものを振り返っている暇はないのだ。
要は懺悔で、ひとりの天使の恥ずかしい失敗の記録。ベソかいて、泣きながら訴えた全部燃えてしまえという願い。もう要らないから、置いていこうと思う。これからの道行きに、その幸せな結末に、あの頃の僕はもう必要ないのだ。
「フィーズィー? いいかげんベッドから出ないと、また悪い子にめちゃくちゃに虐められちゃうよ?」
世界につまらないことなんてない。僕らの手にかかれば、空の青さだって。
〈教導師フィズィ・アランと青傘の天使 了〉
教導師フィズィ・アランと青傘の天使 和田島イサキ @wdzm
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