〈3〉

 一年前、突然青傘に赴任されてきた新米教導師。

 フィズィ・アラン。なんだか偽名くさい名前だというのが二番目の印象、第一印象は正直「顔」しかなかった。

 たぐいまれなる美貌。世間一般にはそう評されるだろうけれど、でもそのぶん嘘くさい顔だなと僕は思った。美しいものはどうしても作り物めいて見える。つまり僕の穿った性格のせいでもあるのだけれど、でもこの男の場合はまずそれ以上だった。

 スッと通った鼻筋に形のいい顎、切れ長の目は深く濁った不思議な色をしていて、でもなにより目を引いたのはその長髪だ。だいたい胸元かもう少し下くらいまでの長さの、キラキラと眩しい白銀しろがねの髪。

 これだけだとなんだか妖精のような姿を想像するだろうから補足しておくと、この男は相当な長身だ。それに肩幅も広いしあと首だって長くて、おかげで黒い教導服が不気味なほど似合った。嘘くさい。こんなんでどうしてあだ名が〝坊や〟なのかと、その謎は程なく解けることになるのだけれど、でもこの際そんなことはどうだっていい。

 赴任早々、彼と最初に引き合わされたのがこの僕だ。

 これは青傘の習慣で、不慣れな新任にはしばらくの間、天使が案内役としてはべるという決まりがある。理由はいろいろとあるけれど、一番は彼自身の安全確保、ここは必ずしも安全とはいえない場所で——。

「だからひとりで勝手に歩き回るなって、僕は何度もそう教えたはずだけれど?」

 それは彼の着任から、つまり出会ってからだいたい一週間くらいのこと。


 薄々予想はしていたのだけれど、このフィズィ・アランというのは本当に〝坊や〟だった。

 図体ばかりデカくて全然いうことを聞かない。しかも根っからの都会育ちなのか、どうでもいいことにいちいち興味を示しては、都度フラフラとそれを追いかけてしまう。再び出会ったときには大抵手遅れというか、決まって変わり果てた姿で発見されるのだ。

「もう嫌だ……なんなんですかここの悪魔たちは……」

 濁りきった瞳で呟くフィズィ・アラン。教導師が生徒を悪魔呼ばわりはどうかと思うのだけれど、でも個人的な感想としては全面的に同意だ。あいつらは悪魔で、だから勝手に出歩くなと言っているのに。

 ここ青傘の生徒たちは、一見お行儀の良いお人形さんみたいな連中だけれど、でも人間だ。人前では常に礼儀正しくあるよう強制された、しかし思春期かつ成長期の生きた少年たちだ。この世でもっとも邪悪な一族、有り余るエネルギーとイタズラ心の具現化そのもの。綺麗なお澄まし顔の下にはいつもギラギラした暴力性がたぎっていて、そんな危険生物がそこらにうじゃうじゃ徘徊する中、こんなよそ者丸出しの『にわかお父様』がひとりでうろうろしてみろ。ほれ見たことかというか言わんこっちゃないというか、その日は中庭の大きな聖母像の上から、なぜか全身ずぶ濡れにされて縄で吊るされていた。

「こんなの絶対おかしいよ……ねえカナタ、ただのイタズラでここまでします?」

 吊されたまま僕を呼ぶフィズィ・アラン。不思議だった。こいつも教導師なら、きっと似たような経験はあるはずだと思うのだけれど。

「逆に聞くけど、フィズィはしなかったわけ? 学生の頃」

「しませんよ! だいたいなんの得があるんですか、こんなこと!」

 私が何かしましたか——なんて。そりゃ新参者はただ居るだけで十分〝何か〟なわけで、でもそれを言うのはもうやめにした。無駄だ。この育ちのいい〝坊や〟には一生理解できない。

 ため息をひとつ、僕は聖母像から彼を下ろしてやった。こいつがイタズラのまとになるのは仕方がない。こんな〝なんにもわかってないやつ〟がめちゃめちゃにいじめられないはずもなくて、だからノイローゼでも人間不信でも好きにかかればいいと思うのだけれど、でも困るのはそれが他人事でないこと——つまり僕の評判や体面にまで響いてしまうことだ。

「ねえフィズィ、ひとつだけ覚えて。『僕のそばから離れない』——前にも言ったと思うけど、ここじゃ天使の威光はそれなりなんだ。僕と一緒にいる限りはこんな目に遭わなくて済むって、そんな赤ん坊でもわかるくらいの簡単な理屈が、どうしてお前には理解できない……?」

 やはり必要か? 教育が——そう腰に手をやる僕に、でもフィズィ・アランは相変わらずだった。助かったあ、と呑気なため息、それから「ありがとうございます、カナタ」とバカ丁寧なお礼、さらには「ですが呼び捨てはやめてくださいよ」と上から目線のお説教。曰く「なにしろ私は貴方のせんせいなのですからね」と、そんな天使を案内役としてつける上での建前をまたバカ正直に信じて、それで自慢げに目上ぶるのはせめて校内をひとりで歩き回れるようになってからにしろやこのボンが、と、そう遠回しに優しく伝えるつもりがでも「召されては?しねばいいのに」になった。

「そんな。ああそうだ、じゃあどうです? せめて『さん』付けにするというのは」

「よくもそんなことを。お前の尻を舐めさせられる『さん』の気持ちになってみては?」

 この調子だ。一事が万事、この男が来てからというもの、やることなすこと何もかも。こんなはずじゃなかった、というのが正直なところで、つまり僕はもっとうまくやれるはずだったのだ。

 自信はあったし、事実これまではずっとそうしてきた。僕はこの青傘では一番の天使で、だからお父様たちはみな僕の味方だったし、兄弟だって目立つ連中はほとんど押さえていたつもりだ。やれていたのだ。青傘の中に限れば、何もかもうまく。

 唯一の、そして初めての例外がこの男だ。〝坊や〟フィズィ・アラン。『さん』をつけてやるのもしゃくな男。僕にとっては未知の存在で、でも手綱はあくまで僕の手の中にあった。時間さえかければいずれ乗りこなせるはずだし、もし手綱で足りなきゃくつわや鞭だって——と、その頃はまだそうたか﹅﹅を括っていた。甘い考えってのはまさにこのことだと、すべてが燃えてしまった今ならわかる。

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