〈4〉

 出会ってからどれくらいのことだったろう?

 確か二ヶ月かそこら、夏の終わり頃のことだったと思う。正確な時期はもう曖昧だけれど、真夜中だったことだけは間違いない。

「ねえカナタ。貴方、私に隠し事をしているでしょう?」

 突然の質問。僕は困った。なんのこと、というかどれのことというか、むしろ「何お前」というのが素直な感想。

 何お前。もう出会ってずいぶん経つのに何を今更。この青傘に隠し事のない人間なんかいないし、ましてそれをよりにもよってお前のようなバカに打ち明けるマヌケはいない。つまり何ひとつ正解がない。そうか驚いたよ、君はまだわきまえてなかったんだね——そう微笑み革のベルトを引き抜く僕に、フィズィ・アランは「どうして貴方はいつもそうなの!?」と泣きそうな声をあげる。思わず笑顔になる僕。いい声だ。

「違います。そういうことではなくてですね。つまりその、私たちは似たもの同士だと言いたいんです」

 私にもありますから、貴方に隠していることが——そう、と僕は小さく頷く。そう。フィズィ・アランの隠し事。まさかだった。まさかそんなくだらないことのためにこんな真夜中、わざわざ僕をこんな場所まで呼びつけたのかと、そう革のベルトをしならせた瞬間「別に呼んではいないでしょう!?」と震える声。微笑む僕。その声大好き。

 そう、確かに呼んではいない。フィズィ・アランの個室を勝手に訪れたのは僕で、それは彼付きの天使として果たすべきお世話のひとつ。つまりいつも通り熱々に煮えたぎったお茶を運んできただけなのだけれど、でも帰ろうとしたところを無理矢理呼び止めたんだからそんなの呼んだのと一緒だ。つまりあがなうべき罪の重さは何ひとつ変わりはしないのだと、その僕の判決にでも「だから! 話を聞いて!」と悲痛な叫び。たまらない。

 革のベルトがバチンバチン音を立てる中、フィズィ・アランは肩を落としてため息をひとつ。それから——急に、はっきりした声で。

「本当に、呼び名の通り、天使のような顔をしていますよねえ、貴方は」

 その大きな掌を、不意に僕のっぺたに添えて。ベッドに腰掛けたままの彼は、でもその状態でちょうど立っている僕と目線の高さが合う。子供というのは不便だ。単に僕がチビだというせいもあるけれど。

 目の前に、あの濁った瞳。ほぼ毎日見てきたけれど、でも何度見ても慣れない。こんなに美しい顔をしているのに、ここまでヘドロのような印象を抱かせる男は他にいなかった。

 返すべき言葉に迷ううち、フィズィ・アランが先を続ける。

「知ってます? 『吸血種ヴァンプ』って。平たく言うなら異教徒で悪魔なんですけど、それです。私の隠し事」

 そいつを捜す特命を受けています。なんでもこの青傘に潜んでいるとかで——なるほど、と、突然の告白だけれどでも納得はできた。道理でこんな半端な時期にこんな妙な男が、理由もわからないまま赴任されてきたわけだ。

 こいつは都会でちゃんとした資格を取った本物の教導師で、つまり教会でも本来それなりの身分、そしてそういう連中の中には少なからずいる。悪魔祓い、と言っては大袈裟だけれど、でもその手の荒事を押し付けられる〝雑用係〟が。むしろこいつならうってつけだ、体格的にも性格的にも、真っ当な聖職者はまず向いていないから。

「そう。道理ですぐにいなくなると思った」

 僕は答える。彼の大きな手の甲に、自分の手をそっと添えるようにして。そのまま身動きが取れずにいるのは、そうした方が有利だと知っているから。さっきも言ったけど体が小さいというのは本当に不便で、取れる戦略はいつも搦手からめてばかりだ。周りくどいし面倒臭いし、ただそれでもそれなりにうまくやってきたから、今こうして慌てずにいられるのだけれど。

「ねえカナタ。私ね、しばらくここにいてわかったんですけど。貴方ってこう、なんというか——実質、この青傘の中心にいますよね?」

 フィズィ・アランの太い親指、その腹がくりくり僕の頬を撫でる。その感触と、そしてぼんやりした笑顔がくすぐったい。変な男だ。変な男だけれど、でも勘はいい。あるいは僕の自惚うぬぼれかというのが不安だったのだけれど、でも彼の見立てには僕も同意見だった。

 この青傘の連中はほとんど、特に大人たちに関しては、もう全員僕の味方と言っていい。

 だから、ちょっと驚いた。その先に続いた彼の言葉というか、一体何を考えてるのか全然わからないところに。

「そんな貴方から見て、こう、ありません? 思い当たる節というか、こいつが吸血種ヴァンプだ! みたいな」

 全然見つからないんですよ、それっぽい人——そう眉尻を下げてしょぼくれる、そのあまりに情けない姿を見て僕は思った。

 何こいつ、と。

 この男は今、僕に一体なにを言ったのかというと、「お仕事が全然うまくいかないから助けて」と、そう泣きついてきたわけだ。つまり事実上の丸投げを、よりにもよってこの僕に。

 何こいつ。お前今どれだけの下手を打ったかわかってるのかと、いやなんにもわかってないからこその「どうかお願いしますよお」なんだろうけど、でも困る。

 どうすればいい? 急に手元に転がり込んできたこのチャンス——と言っていいのか? どう呼ぶべきかわからないけれど、でもきっと僕ひとりでは一生手の届かなかった強い運命——を、しかし一体どう取り扱うのが正解なのか。

 判断がつかない。これまで地道な搦手からめてしか経験がなくて、逆説それは直接的な〝力〟を振るった経験がないってことだ。

 選んだ返事は——まあ、仕方ない。

「そんなの、急に言われても。怪しい奴っていうなら、僕以外全員ってことになるけど?」

 保留。見え見えの、それもいまいち僕らしくない、一番中途半端にすぎる答え。

 動揺している、という自覚は正直なところあって、でも「そんな」と泣きつくフィズィ・アランの、その泳ぎまくった泥の瞳の方が余程おたついて見えるのだからどうしようもない。

 本気かこいつ? ていうか正気? やっぱりこの男に『さん』はもったいないなと、その自分の先見の明を褒めてやりたくなった。フィズィ・アランはもうダメだ。こんな奴が教導師を、それも吸血種ヴァンプ狩りをやってる時点でこの国はもうおしまいだ。本当なら何を差し置いても排除すべき危険、最高のエリート人材をもってあたるべき任務を、こんな役立たずに押し付けて呑気してるのだから。

「ねえカナタ、本当にどんな些細なことでもというか、もうこのさい誰でもいいんです。一応考えておいてもらえませんか。時間はまだありますから」

 お願いします本当お願いします——そう何度も情けなく頭を下げる彼。こうして僕は彼の任務を人知れず手伝うことになって、そしてもう、疑いようもない。


 それが直接の原因だ。

 すべて燃えた。それから一週間くらい後のこと、僕の生まれ育った学舎は。


 僕からしてみればそれはそうあるべき結末で、だから悔いはない——なんて言ったら嘘になる。当たり前だ、だって最初に言った通りこれは懺悔で、つまり誰にも打ち明けることのできない罪の告白で、だから後悔がないわけがない。

 ——なんてことをするんだこのフィズィ・アランという男は。

 もちろん、僕だって馬鹿じゃない。彼のすべてを信じたわけじゃないし、なにより嘘くさい男という印象はずっと変わらず持っていたのだけれど。でもさすがに、まさかここまでの狂犬、いやまったく手のつけられない悪魔だったなんて——そんなこと。

 そんなの、余程深く交わりでもしない限り、絶対わかるわけがないじゃないか!

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