水溜まりのなか花を待つ

藤咲 沙久

俺の待つ花は



 ピチョン、ピチョン。

 俺の足元は今日も水溜まり。




『水溜まりのなか花を待つ』




 いただきます、と手を合わせた瞬間だった。

「お題が! 難しいにも! ほどがあるっ!」

 すでに食べ終えた菓子パンの袋を握りしめて、古い友人が唐突に吠えた。とはいえ大学の食堂なんて騒がしいのが常なので、周りは特に気にした様子もない。俺も構わず玉子焼きを箸で切った。うん、いい固さだ。

 ふと視線を感じて顔をあげる。返事を求められているのかと思いきや、どうやら和巳かずみは俺の弁当を凝視しているらしい。

「なに、別に物珍しいわけじゃないだろ。あと食べるの早すぎ」

「おまえ偉いよなぁ。毎日きちーんと弁当作ってきて……」

「ほとんど夕飯の残りと冷凍食品だよ」

 その夕飯だって基本的には作り置きだ。毎晩一食一人分作るなんて割に合わないし面倒くさい。それに、三年も続けてるんだからすっかり生活の一部だった。

 だから褒められるほどのものじゃない、と言いたいのに和巳がそれを遮ってくる。

「いやいやいや、いいか雛太ひなた。一人暮らししてて、家事は飯作るだけじゃないだろ?」

 ゆっくりと咀嚼そしゃくして飲み込む。俺としては実家暮らしをしていてそれに気が付く和巳も偉いと思う。でもやっぱり、他にもっとすごい人はいるわけだし、落ち着かない気分だ。

「……たいしたもの作れてないけど」

「おまえ、男子大学生だぞ。毎日朝昼晩と手作りの飯食ってんのすごいし、冷凍食品は弁当へ詰めるために開発されたんだから使って普通。おまえは十分偉い。嫁にほしい」

 ほうれん草に伸ばしていた箸が止まりそうになって、堪えた。自然に見えただろうか。

「和巳、お前ね。そういうとこだよ」

「どういうとこだよ」

 優しい褒め方とか、あと人の気も知らないとこだよ。

 なんて返すわけにもいかないから、お茶と一緒に言葉を飲み込む。食堂に備え付けられた給茶機は案外味がいい。コップも借りられるし、氷まで用意されている。

 まあそんなことはいいとして、深く突っ込まれないよう別の話を振ることにした。

「お題って部活のやつでしょ。なに、和巳まだ書けてないの? もう締め切り近いよ」

 うまく気を逸らせてくれたらしく、そうなんだよ! とまた力強く和巳は言った。単純で助かる。二人で所属する文芸部は中々活動が盛んで、毎月決められた言葉とジャンルで小説を書くのがルールだった。和巳がここまで苦戦しているのは正直珍しいけど。

 こんなに単純でシンプルな頭をしているくせして、和巳の書く文章は繊細だ。それは持ち前の気立ての良さからか、もしくは微妙に足りないデリカシーが逆に作用しているのか。少なくとも、俺は好きだと思う。

「今回は無理。だって“花を待つ”の意味がわからん。なんだっけ、桜が咲くのを待ってるっていう、季語? なんでお題が季語なんだよ。しかも恋愛モノでジャンル縛りとか、鬼か。雛太はどういうの書いたんだ?」

「西行の“花を待つ、心こそなほ昔なれ、春にはうとくなりにしものを”とか、その辺りの歌を使ったかな」

「あー……おう、サイギョウ。サイギョウな。あいつそんなの歌ってたっけ」

「ふふ、絶対わかってないだろ」

 和巳とは高校から一緒なんだから、古典が苦手だったことくらいよく知っている。それを承知で言ってみせた俺も意地が悪い。ちょっと困らせてみたかったんだ。

「オレさあ、それなりに色んなジャンル書いてきたと思うんだって。ホラーっぽいの、ミステリっぽいの、コメディっぽいの」

「全部ぽいだけどね」

「でもラブストーリーはダメだ……なんかこう、そういう、キラキラした青春みたいな? 嫌よ嫌よも好きのうちみたいな? 何書いていいかわかんねぇ」

「スパンコールでも貼っておけばキラキラするんじゃない?」

 先日キャンパス内で見かけた学生の、奇抜な服装を思い浮かべる。ライブ衣装か何かと思うほど光っていた。

「おまえ時々オレの扱い雑だよな。もうちょっとアドバイスくれよー」

 へにゃりと情けなく下がった目尻。そこに添えられた黒子を見つめながら、そうだなぁと考えるフリをした。どのくらいの間ならおかしくないだろうか。唐揚げひとつ食べるうちならいいかな。ああもう、やめろよその表情。

 払いきれない邪念を誤魔化したくて、机の下でこっそりと脚を組んだ。そろそろ何か言わないと変だな。

「例えばなんだけど。色の濃い服って、わけて洗わないと色移りするだろ」

「そうなんだ。さすが女子力高い、男子だけど」

「これはね和巳。生活力だよ」

「マジか。一人で生きてけねぇなオレ」

 どうせいつか本当に嫁いでくる女が面倒みてくれるよ。毒づく胸の内を悟られないように笑ってみせる。そのまま和巳の言葉を無視して、そんな風にさ、と俺は続けた。

「洗ったら色が出そうなくらい濃く、強く想ってるうちにさ。相手にその気持ちが移ればいいのにって。そうやって移った好きが、恋心が、自分に向けて花開くのを待ってるんだ」

 顎を引いて、一度目を伏せる。そのまま顔は動かさずに和巳を見た。和巳だけを視界に収めた。瞳がとろりと濡れたのが、自分でもわかった。まるで上目遣いでもしたみたいだ。でも今は恋物語を語っているんだから、それぐらいは許されるはずだと思う。

 ただの言い訳。わかってる。

「そういうのは、どう? ラブストーリーっぽくない?」

 アドバイスなんかじゃない、これはリクエスト。そういうネタを与えられた和巳がいったいどんなエンディングを描くのか知りたかった。綴る睦言を、傷つく役が誰なのかを、知ってみたかった。

(ねぇ、いい加減気付いてよ)

 この恋情も、色欲も、お前を染め上げても足りないくらい溢れて滴っているのに。心と身体の隙間を埋めてほしくて仕方がない。抉じ開けられたい、お前の形になりたい──……

 カラン、と。溶けた氷がコップの中で鳴った。その音でハッと我に返る。思わず和巳から視線を逸らした。彼が気付いたところで何だと言うのか。この感情が受け入れられる? そんなわけがないんだ。

「……雛太」

「……なあに」

 今の関係を壊したい。でも、壊した後には何も残らない。新しい何かなんて生まれない。それが俺の待つ花。一生待ちぼうけの、咲かない花だから。だから何も察しないで。

 和巳が何を言うのか恐くて少し身構える。目は背けたままでいた。

「洗うなよ、恋心。すげーロマンチックなこと言ってんのに、出だしが生活感ありすぎて集中できねぇだろ」

 いたく真面目な顔での苦情。洗濯機でゴウンゴウンと回されるハートマークという想像が一瞬で脳内を駆けた。ネットはいるかな。いや、痛みそうだし手洗いか。お洒落着用洗剤とか使う? 何言ってるんだろう俺。

 知らず開いてしまっていた口をいったん閉じて、わざとらしいくらいの大きなため息をついた。

「和巳、お前ね。そういうとこだよ」

「だから、どういうとこだよ」

 情緒が無いところとか、あと人の気も知らないとこだよ。

 乙女のように裏腹な気持ちにちょっと嫌気がさして、ブロッコリーにかけてあるマヨネーズを箸の先で混ぜた。乙女って言うか、表記するならヲトメ。そんな可愛いものじゃ無いみたいな感じだから。ただやったものの少し行儀が悪かったので、ちょっと後悔してから一気に頬張った。一口で食べるには少し大きかった。

 リスみてぇと和巳に笑われ恥ずかしくなりながらも飲み込む。

「はぁ……俺はインディゴ染料になりたい」

「オレは雛太のそーいう急な発想がわかんねぇよ」

(手強いくらい真っ白で、染まってくれないお前のせいだよ。……なんて言えるわけないだろ)

 ピチョン、ピチョン。足元は劣情の水溜まり。今日も無意味に花を待つ。不毛な恋に有りもしない花が開くのを、ただずっと。

 そんな心を隠しながら、静かに箸を置いた。

「ごちそうさまでした」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

水溜まりのなか花を待つ 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ