プロフェッショナルですから

 躑躅つつじの美しい季節。

 こいのぼりの泳ぐ空はからりと晴れ渡り、萌える新緑はまばゆく映えわたる。梅雨入りはもう少し先であろうが、早くも緑の花を咲かせている紫陽花あじさいが雨を待ちわびているようである。


 そんな季節の小高い山の上。

 遠足の小学生たちが対面の山に向かい、例によって声を張り上げている。

「やっほー」

『やっほー』

 返ってくる声に、子どもたちは嬉しげに声をあげる。

「おおぉ……山びこ聞こえるー」

「スゲー」

「山びこスゲー」

 純粋な子どもたちの感動の声に、やまびこは密かに喜びを噛みしめている。

 こんな言葉を聞けるなら、オレぁいくらでも声を返すゼ、とやまびこはやる気をみなぎらせていた。

 どんと来い。なんでも来いっ!

 山びこは反対の山から息巻いている。

 そのうち子どもたちの発する言葉が少々風変わりなものにかわっていった。山びこ用のメジャーな単語から離れていくのである。

「あーのねー、太郎くんはねー、豆ご飯が嫌いなんだよー」

『あーのねー、太郎くんはねー、豆ご飯が嫌いなんだよー』

「隣の家に囲いができたんだってねー」

『……隣の家に囲いができたんだってねー』

「ブロック」

『ブ……ブロック』

 そこは「へー」じゃないのかよっ、とやまびこは人知れずツッコミをいれる。

「生麦生米生卵ー」

『生麦生米生卵ー』

「ぼーずがびょーぶにじょーずにぼーずのえをかいたー」

『ぼーずがびょーぶにじょーずにぼーずのえをかいたー』

「あかぱじゃまあおちゃじゃまぴぱじゃまっ」

『あかぱじゃまあおぱじゃまきぱじゃまっ』

 やびこはハァハァと息を切らせながら児童たちの声を返した。


 ーcafeSeisuiのカウンターにてー

「……なんてことがあったんだよぉ、マスター」

 ぐじぐじといじけるようにうつむいたやまびこは、グラスのお冷やをぐいっとあおる。カランと氷の滑る音がすると同時に唇からグラスを離すと、少々乱暴にテーブルの上にグラスを置いた。

「なあ、マスター聞いてるかぁ? オレの話をよぉ」

「はいはい、聞いていますよ。子どもたちはやまびこさんの木霊に感動していたんですね。純粋ないい子たちじゃないですか。それでどうしたんですか?」

 店長は慣れた手つきでコーヒーを落としながら時計にちらりと目を遣る。

「悪かぁねえんだ。だけどよう」

 店長は静かな笑みを浮かべて、やさぐれた様子のやまびこにうなずいてみせる。

「オレぁよう、やまびこ辞めようかと思ってるんだ」

「おや……なぜです?」

 店長はコーヒーを落とす手を思わず止めて、顔をあげた。

「オレぁよう、これまでやまびこであることにに誇りを持ってやってきていたんだ。プロとしてよぅ、山の向こうからかけられる声に間違いなく返していたんだ。返すタイミングもきちんと時間差まで計算してな。今回みたいな長ったらしいやつにだって、数拍置いて返したさ」

 そう言うとやまびこは、フンと鼻を鳴らした。

 前回前々回の、謝ってみたりやまびこを返さなかったのは、なかったことにしているのか。聞いてみたい気もするが、ここはひとつガマンする。

「そうですか」

 店長は静かにうなずいてみせる。

「だけどよう、今回はよう、オレぁやまびこのプロ失格の大失敗をやらかしちまったんだ」

 やまびこを返さないだとか、全然違うことを返す以外の大失敗とは何なのか。思いつめた様子のやまびこを、店長は気遣わしげに見守る。

「あいつさぁ、子どもがよぅ、早口言葉で言い間違いをしたってぇのに、オレぁつい勢いで間違いなく返しちまったんだよ」

 やまびこは神妙な面持ちで深々とため息をついた。

「な、マスター。やっぱりやまびこ失格だよなあ……」

「……そんなことありませんよ。ほんの些細な間違いじゃないですか。誰にだってスランプはありますから。あ、これサービスです。メニューの品ではないんですけどね、きょうだいの好物でとってもおいしいんですよ。どうぞ召し上がってください」

 冷蔵庫から取り出した蒸し羊羹をひと切れ小皿に移し、やまびこの前に出す。

「うう……人情が身に染みらぁ」

 人ではないやまびこは今日もまた、聞き上手な店長相手に、アイスコーヒーとお冷やで午後11時の閉店時間まで、カウンターに居座り続けたのだった。


終わり。

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やびこのため息 なゆた黎 @yuukiichiro

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