終
「夢を叶えようとすることが、俺の生きる意味だった。人生だった」
ぽつり、ぽつりと彼は独白する。
「どんなに辛くても、信じられる夢があったから生きてこれた」
自嘲するような表情で、彼らしくない弱々しい声で語った。
「だけど、成長するにつれて夢はいつか諦めなきゃいけないって気づいたんだ。夢をどこかで諦めなきゃ、生きていくことだって出来ない」
世間一般には彼の言葉は酷く社会をなめ腐ったものに思われるかもしれない。けれど、私達にとってコウタの夢と言うものは絶対に軽視してはならない物だった。否定することが、同じように自分たちをも否定することになってしまうから。
「でも、それが恐ろしかったんだ。気持ちが、悪かったんだ」
具体的な夢を持たない私以外、仲間たちはコウタと同じ薄暗い顔をしていた。
「それで逃げたんだ」
夢を叶えようと一番躍起になっていたコウタが自殺し、その幽霊が現実をぶつけてくるのだから、仕方がないのかもしれない。私は半ば他人事のように彼の台詞を聞いていた。
「恐ろしい未来から逃れようとしたんだ。約束を、忘れて」
「それは違う!」
けど、その言葉は許容できなかった。許容したくなかった。
「お前は確かに逃げたかもしれないが、約束を忘れたわけじゃないだろ」
夢を叶えるだなんて、信念を貫くだなんて約束を忘れているのならば夢がかなえられないと悟ったことで自殺など、するわけがない。忘れているような奴は、私のように、のうのうと何も考えず無意味に日常を過ごしているような奴だ。
「お前が約束を守ってないって言うんだったら、私はどうなるんだ」
だから、そんなこと言うコウタが許せなかった。屁理屈紛いだとは言え、彼は私に生きる意味を与えてくれた人間なのだ。
「夢なんてない、夢を見つける努力すらしない。生きる意味なんて、一番私がない」
気を抜けば、今でも生きていることを疑問に思うことがある。酔生夢死と言わずして何というのだろう。
「頼むから、お前が卑下するな。私が、惨めになる」
私の想いは酷く利己的だと思う。それでも私は彼を想って喋っていた。
「俺は馬鹿だから、お前が悲しまないと思ってた」
だから、まだまだ卑下する彼のことを見ていると、心苦しくなった。
「けど違った。特にお前を見てると、生きる事だけでも意味があると思う」
「……どうして」
その癖、彼は私に枷を掛ける。
「お前はまだ、自分のことを薄情だとかイタイ中学生みたいなこと考えてるのかもしれないけどな」
この後に及んで、ふざけたことを抜かすとは思わなかった。
「お前は十分成長してんだ。じゃなきゃ俺にそんな反論して来ないだろ」
そんな軽薄な笑みが、ズルかった。
「それと清水、俺はお前の素朴な顔と何も隠さない性格が好きだ。似合ってねえぞ」
「なっ!」
怒っているような台詞だったけど、清水は確かに笑っていた。
「お前ら、全員全員、出来れば俺の事を忘れないでほしい」
その言葉に、だれも口をはさむことなく頷いていた。
「それじゃあ、お前らの未来の姿を、俺は向こうで先に待ってるからな」
ちょうど腕時計から、カチリと音がした。
その瞬間、彼はもういなくなっていた。
時計はちょうど、零時を指していた。
「なんだったのよ、アイツ」
清水の台詞が、私たちの思いを代弁していた。
そうして動乱の八月が終わった。
夏が終わり、それはやはり気温では認識できないものの、かつて教室の中を騒がしく反射していた耳をつんざくような号哭の嵐はいつの間にかになくなった。山の方へ行けばもうコオロギの鳴き声が響き、近頃登校時に使っている道を歩いていてもトンボを見かけるようになった。世には秋の匂いが満ちてきた。
それでもいまだに私には、コウタを差し置いてのうのうと私が生きている理由が分からないのだ。夢もなく、夢を探すという漠然とした目標しか私にはない。望むことは安寧と快楽で、高尚なことなど何もない。
夢を探すことすら、私には何をすればいいか分からない。
高校二年生の秋。夏休みの前まではバカ騒ぎしていた連中は、現代文の授業で至極当然な顔をしながら真面目にノート作りを行っている。
コウタの葬式で久しぶりに出会った私達以外の中学の連中も、気付けば私よりも数倍は大人らしくなっていて現実を見据えて行動をしていた。
私達だけ幼さに囚われてしまっているようだった。
そう思うとコウタは幼さの消滅を目前にして、この世から去った。しかしそれは幼さの崩壊を逃れるタイミングとしてはギリギリで、けれど人生を最大限に楽しめる好機であったのかもしれない。幼さと共に殉ずる。とでも言うべきか。
アイツの所為で今までそんなことさえ考えずに、漫然と生きていたはずなのに気付けばこのまま大人になっていくことに不安を覚え、精神的に幼いままで、すでに大人らしさを身に着けた友と共に、大人になって行くのが怖くなってしまった。
夢もなかった私が、夢を得る機会を失うことを恐れてしまっている。
なんて置き土産をしてくれたのだろうか。
そうしてチャイムが鳴った。
それと同時に私は腕を伸ばす。
現代文の授業を五十分、ノートは代わりに私が書きだした文章が書き連ねられている。あの日以来、私は文章を書くことにした。夢が分からないなりのあがきとして、彼の記憶を残す、小説を書いてみることにしたのだ。
昔、私は良く、コウタにロマンチストだと馬鹿にされていた。よくポエム作るの大好きだろ、だなんて言葉さえ言われた。だからその意趣返しとして、コウタのことを出来得る限り気障っぽく、ロマンあふれる人物に仕立て上げようと決意した。
今日も一日が終わる。
夏が過ぎ去っていくさまに、時間が過ぎ去って行くさまに、慄くのは初めてで、夢に向かって邁進していこうとするこの思いも、どこかでは捨てなければいけないのではないかと思う度に胸が憂鬱になる。
だからこそ、コウタがとてもズルく思えてしまう。
奴の黒い腹の奥底で、一体何を企んでいたのかなど到底わかりもしないし、むしろ成仏する直前に意味深な枷を嵌めるような奴のことなんぞ、理解しようもない。
けれど、私の生きる目標が崩壊し、欠如した時、果たして私がコウタのようにならないと断言できるのだろうか。私に意味を見いだした時よりも前の、空虚な人生を再び味わいながら生きて行けるのだろうか。
あまり、夢を探すことなどできていなかったが、それでも案外楽しかったらしい。こうして不安に思えているのが、その感情を証明していた。
高校の中庭に蝉の亡骸が転がっていた。
彼らが死んだそんな日に。
彼らの死こそが、私たちの持っていた限りなく小さな純情の放棄のように思えて。純然たる夢の、生きる希望の忘却のように思えて。とても恐ろしかったのである。
夏とは、死の季節なのかもしれない。
蝉が死んだ、そんな日に 酸味 @nattou
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