ぽんぽんさん
佐渡 寛臣
ぽんぽんさん
――『ぽんぽんさん』って知ってる?
ゆっこが突然そんなことを言い出して私は思わず眉をひそめた。
「何よそれ。タヌキの仲間?」
「違う違う、『ぽんぽんさん』って話」
「知らない。本のタイトル?」
ゆっこはにやりと似合わない笑みを浮かべて、こそっと私に耳打ちした。
「あのね……」
放課後の教室はもちろん私とゆっこだけなので、そんなにこそこそ、しなくていいとのに思ったが、ふと私の頭の中で嫌な予感がした。
「ちょっと待って。それってまさか怖い系な話じゃないよね」
「違う違う。怖い事なんてなーんにもないよ」
笑うゆっこ。まるっきり信じられない。だって目が私をハメてやろうって感じなんだもん。
「ほんとに?」
「ほーんと。何よカナちゃん怖い話ダメなの?」
「――ダメ……じゃないけど」
ダメじゃない。ほんとはそういうの大好き。ただ、ゆっこにビビらされるのが嫌なのだ。
一人で怖い話のテレビ見て、一人でびくびくするのはいい。だって恥ずかしくないじゃないか。
だけどこうやって友達から聞かされて、そしてビビる姿を見られるのが堪らなく嫌なのだ。今まで私が築き上げてきたクールイメージが台無しになっちゃうしね。
「『ぽんぽんさん』っていうのはねぇー、どっちかって言うと泣ける話なのよ」
そういう割りにゆっこは随分楽しそうじゃないか。私は怪しく笑うゆっこを疑わしく見つめた。
しかし、ゆっこのこの雰囲気から怖い話をされたところで、テレビで見るほどビビるとは思えない。
それに本当にゆっこの言うとおり『泣ける話』だったら尚更聞きたい。そっち系の話も実は大歓迎だ。
「どうする? 聞く? 聞かない?」
私は、う、と息をつめた。巡る思考に、ゆっこの怪しい笑み。ふと、私は気付く。この質問がすでに聞かない、という選択を奪っているということに。
聞かない、なんて答えたときには、それこそビビリのカナという異名を手に入れかねない。むぅ、馬鹿そうに見えてなかなかやるじゃないかゆっこ。
「き、聞くわよ」
「――ふふふ、じゃあ始めるわね」
ゆっこの言葉に合わせるようにチャイムが鳴った。スピーカーから流れるチャイムの音にゆっこは振り向きもせずに私を見つめた。
――う、意外と雰囲気を出すじゃないか。ゆっこ。
「――その子はね、私たちと同じ高校二年生だったのね」
ゆっこは笑みを消し、静かに話し始めた。うげ、さっきまでの怪しい笑みはどうしたのよゆっこ。意外と話し上手なのかゆっこ。
「その子はよく遅刻する子で……そう、カナちゃんみたいな子でね。いつもすました雰囲気で、堂々と遅刻する子だったのね」
「ちょ、私別にすましてるわけじゃ……」
単に遅刻如きでじたばたしたくないだけ……って私ってそんなイメージだったの?
「それである日、その子が道端で定期入れを落としちゃったのよ。電車通学だったその子は困っちゃってね。一人で学校と駅の周りをうろうろしてたわけ」
きっと定期買ったばかりだったんだろうなぁ、と私はどうでもいいことを考えてゆっこの話に心の中で突っ込みを入れた。
もはやゆっこの表情から、『ぽんぽんさん』が怖い話であることには間違いなく、私はどうすればこのゆっこの話を自分の中で笑い話に変換出来るかを模索していた。
「随分長いこと探していたせいで、外はもうすっかり暗くなっちゃっててね。その子も諦めようと思ったの。もしかしたら落し物として届けられてるかもしれないからってね」
――だったら始めから諦めて帰ればいいじゃないか。そもそもなんで暗くなってからなんだ。その時点で手遅れだし。
あ、でも案外その定期入れに見られたら恥ずかしい写真でも入っていたのかもしれない。例えば好きな人の写真とか……。
私は本当にどうでもいい考えを頭で展開していた。つまり、しっかりとゆっこの話を聞いていたわけだ。
「そしたら、後ろから『私も探しましょうか?』って声が聞こえたの。顔を上げるとそこには女の人がいたの」
来た。と思った。来た来た。これ。こういうのがダメなの。はいはい、断っちゃえ。もう帰るんだからね。ほら、諦めたんでしょソノコ。
「暗くて顔はよくわからなかったけど、本当は諦め切れなかったその子は、その人にお願いしますって言ったの」
――前言撤回早いなソノコ。大体顔も分からないくらい暗いんだったら、定期入れを見つけるなんて絶望的じゃないか。
「そしたらその女の人はこう答えたの」
き、来た。来たよ。怪談特有の幽霊からの交換条件。定番でしょ、鉄板でしょ。
「『――それじゃ、私がそれを見つけたら、今度はあなたが私の探しものを見つけてね』って……」
ほらね。来た来た。ふふふ、長年怪談番組見続けた私のキャリアをお舐めでないよって感じ。
そこから私はその話のオチを考え始めた。オチさえ先にわかってしまえば、怖いものも怖くなくなる。むしろその話の終わりには私の中で勝利感すら与えてくれることだろう。
にやり、と心でほくそ笑んで、私をビビらそうとするゆっこの声に耳を集中させた。
「それからその子は、その人と別れて一人で探し始めたの。やっぱり暗くって、全然分からなくってね。その子は適当にあの人にお礼言って帰ろうかって考え始めたの」
――う、オチに走り始めてる。全然わかんない。とりあえずその子は死ぬってことでいいかしら? ねぇ、ゆっこ。
「そしたら、パサって音がしたの。急に、ほんの二歩前くらいで何の前触れもなくね」
ケ、ケタ。じゃなくってキタ。これはもうあれでしょ。あぁなんでしょゆっこ。
「――見てみるとそれは探していた自分の定期でね。その子がホッと息をついたら、ぽんぽん、って肩を叩かれたの」
う、うひ、ちょ、その間は上手すぎるよゆっこ。
「振り返ると、そこには誰もいなくて、足元にもうひとつ定期入れが落ちてたの。拾い上げてみるとそれは血に染まった定期入れで……そしてすぐ耳元で声がしたの」
そこでちらり、とゆっこが教室の窓を一瞥した。私はつられて顔をそちらに向けると、ゆっこが耳元で言った。
「――それじゃあ、今度は私の探し物を見つけてね……って」
そしてフッと私の耳に息を吹きかけた。
「う、うひゃあっ!」
「――ぷっ」
ゆっこが口を押さえて、笑いを堪えていた。私の体がびくりと跳ねたのが、大変ゆっこのお気に召したのだろう。
「ゆっこ!」
「あははは、ごめんごめん。この話の基本だからさぁ~、でもビクってなってたよカナちゃん」
「は、反則だよアレは……息吹きかけるとかマジでさぁ~」
「ふふふ~」
ゆっこは満足げに笑った。
「――それで、その子どうなったの?」
「うん? 話の続き?」
「うん。ちょっと気になるし」
ゆっこは視線を上に向けて思い出すようにして、それから答えた。
「――その子、それから必死になって探したんだけど見つからないのよ。なんせ何が探し物かもわかんなくてさ」
「そりゃそうだよね」
「それで夜が来る度に、ぽんぽんって肩叩かれて、まだなの?って聞かれるの」
もう話の中心が過ぎたためか、私のビビル姿を堪能できたためか、ゆっこは普段の話し方で、『ぽんぽんさん』の続きを話した。
「それで、一週間して、その子は死んじゃったの。いきなり電車に飛び込んじゃってさ。制服の背中には真っ赤な血の手形が残っててさ」
――うげ、こわ。ゆっこの話し方は全然怖いものではなかったが、淡々としていたせいか、私の想像力はより強くその場面を浮かべさせた。
「それで、現場には血まみれの定期入れが残ってたってわけ」
「ふ、ふーん」
適当に私は相槌を打って頷いた。聞くんじゃなかったなぁ、と内心後悔しながら、ため息をついた。
外は徐々に暗くなり始めていた。随分と長く話し込んでいたせいで、座りつかれたお尻がちょっと痛い。
「じゃあ、そろそろ帰ろうっか」
私がそういうとゆっこは頷き、鞄を肩にかけた。
学校近くに住んでいるゆっこと途中で別れ、私は一人駅へと向かって歩いていた。
「――うぅ、ヤナ話だったなぁ」
一人呟き、すっかり暗くなった空を見上げた。
九月になり、もう夜は随分涼しくなっていた。
「『ぽんぽんさん』かぁ……定期入れ落としたら終わりじゃんねぇ~」
帰り道、私は結構独り言の多い人だった。治そうとは思っているけど、こんな夜くらいはいいじゃないか。頭の中で考えたら、かなりビビッてしまうからね。
そして私はふと気になった。ゆっこの怪談におもいっきり流されているようで嫌だったけど、私は鞄をもう一度漁った。
「――え?」
ごそごそ、ともう一度鞄の底までひっくり返してみてみる。暗かったせいでしょ、と自分に言い聞かせて、街灯の下まで走って、頼りない光の下で、もう一度だけ鞄の中を検めた。
「――ない……」
鞄のどこを探しても、定期入れが見当たらなかった。
心臓が、急に痛くなった。息が無性に荒くなり、どくどく、血流が早くなるのが自分でもわかった。
――なんで? 落とす事なんて絶対無いのに。学校出る直前に、ゆっこと二人で確認したんだから。
――なのに何で?
そう思ったときだった。
――ぽんぽん。
心臓が、びくりと止まったかと思った。
私はごくりとツバを飲み込んだ。走り出そうと思ったが、足に上手く力が入らない。
そして、耳元で声がした。
「――私も一緒に探しましょうか?」
それは想像よりもずっと澄んだ声だった。
私は泣きたい気持ちでいっぱいだった。どうして私なの。私、何もしてないのに。ただ、あの話を聞いただけじゃない。
答えられず、私は不覚にもぽろぽろと涙を流してしまった。どうやったら逃れられるの。たくさん見た怪談を思い出しながら、ぽろぽろ落ちる涙も拭わずにその場に座り込んだ。
――許して、と思った。何に対して許されようというのかも考えられなかった。
すると、背後の気配が近づくのが分かった。
「――大丈夫?」
ふっと、肩に何かが触れる気配がした。視線を向けると、そこには薄っすらと透けた細い腕があった。
白い、細い腕。体温も何も無い、ただ気配があっただけだった。
「――怖いの?」
心配そうな、その声はどこか温かみすらあった。私が恐る恐る振り返ると、そこには肌の白い、綺麗な女性がいた。
ただひとつ違うことは、その人が透けているということだけだった。
「――私、そんなに怖いかなぁ」
小首を傾げて、どこか悲しそうに彼女が言った。私は答えられず、ただその綺麗な女性を見つめていた。
「あ、でも私も高校生の頃、幽霊怖かったかも。――びっくりさせちゃったね。ごめんね」
笑ってその人はまた小首を傾げた。
私の鼓動はいつの間にか、落ち着いていた。頭の混乱も収まり、ただじっとその彼女を見つめていた。
「――困ってるのかなぁって思ったんだけど……ごめん、幽霊じゃお役に立てないね」
てへ、と彼女は自分の頭をごっちんと叩いて笑った。
「――ぽんぽんさん……」
「ん?」
ふと呟いた私に、嬉しそうに彼女は小首を傾げた。癖なのかな、と私はもうすっかり落ち着いて、そんなことを思った。
「ぽんぽんさんじゃないの?」
「何それ。可愛い名前だね」
言われてふと、確かに可愛い名前ではあるな、と思った。
「探し物するかわりに、自分の探し物もしろっていう幽霊。見つけられなかったら電車に突き落とされるの」
「あー」
私の言葉に彼女は思い出したように宙を仰いで笑った。
「私を突き飛ばした人だ」
「えっ!?」
「酷いよねー。ノーヒントでさぁ、本気で探したけど全然見つからなくってさー。毎晩毎晩、ぽんぽんぽんぽん……」
「あなた『ぽんぽんさん』の被害者なの!?」
「ちょっと待って、あれ今そんな名前なの? そんな可愛い名前だなんて私納得できない~」
いぃー、と彼女は歯を噛み締めて地団太を踏んだ。そこでようやく幽霊のくせに足があるのか、と気付く。
「何度聞いてもさー、私の探しもの見つけてね、なんてさー。なに探してるかくらい教えろって感じでさー。同じ言葉しかいえないんだからあんなやつ『ちゃちなテープレコーダーさん』で十分よ!」
その名前は長いだろう、というよりもはや何をする幽霊かすらわからない。
「――あっとごめんね、一人で話しちゃって」
「い、いえ、別に……」
「あいつはもうとっくに成仏しちゃったんだぁー。ずるいよねー一人で逝くなんてさー」
確かに。電車に突き落とされたこの人からしたら自分勝手もいいところだ。
「じゃあ、どうしてあなたここに留まってるの?」
「――わかんないのよねぇ。何か成仏出来ないのよ。葬式もしたしー、別に未練らしい未練もないしー。その上退屈で退屈でしかたないのよー」
困ったわー、とちっとも困った様子を見せずに彼女は小首を傾げた。
「まぁ、それでふわふわしてたら、あなたが私と同じように探し物してたから、退屈しのぎに話しかけてみたってわけ」
――退屈しのぎに泣かされた私は一体……。とふと悲しくなり、私はため息をついた。
「――そうそう、定期入れ落としたんでしょ? 私も探してあげようか? 夜目が利くからすぐ見つけられると思うけど……どう?」
「こ、交換条件禁止ですよ」
私が言うと、彼女はにっこりと笑って、敬礼のポーズを取って言った。
「欲しがりません、逝くまでは☆」
「勝つまでは、でしょ。それ」
「いいじゃない。合ってるんだし」
ふふふ、と彼女が笑い、私もつられて少し笑みを浮かべた。
「じゃあ、お願いしようかな。帰りの切符買うお金もないからさ」
「はい、かしこまりました」
スカートの裾をちょいっと上げて礼をしてふいっと彼女は宙に浮かんだ。
街灯の下、私は浮かび上がる彼女を見上げながら、どうやったら彼女を成仏させてあげられるのかなぁ、と考え始めていた。
それからしばらくして、彼女は見事、学校前に落ちていた私の定期入れを見つけてくれた。約束通り、彼女は何も条件をつけず、私に定期入れを渡してくれた。
それから毎晩、帰り道に彼女と出会うようになり、しばらくして、ひょんなことから彼女と生活を共にするようになるのだが、それはまた別のお話。
ぽんぽんさん 佐渡 寛臣 @wanco168
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