率直な感想をはじめに言うのですが、信仰というテーマを強力な右ストレートで顔面に叩き込んでくる作品でした。殉教と実際の歴史を軸にする重厚な内容で三千文字台。それも八十年戦争を経て独立するオランダが舞台。八十年戦争真っ只中の十六世紀。オランダ、個人的にかなり好きな国なんですよ……。その点でも参りましたね……どこを切り取っても本当にいい作品で参りました。
それぞれの信仰が複雑に絡んでいる、と私は読みました。たとえば老爺となった牢番が最後に語る自分は恩知らずだったと伝えて欲しいという願いなのですが、そう言った理由をずっと考えていました。こうやって真剣に考察解釈を始めてしまう時点でもう本当に素晴らしい作品ですね……以下深読み失礼致します。
もしも牢番がヴィレムスは本懐を遂げた殉教者だ、彼こそが信仰の要である、というようなことを言ってしまえば、それはヴィレムスの望んだところではないと解釈したのではないか。私はそう捉えました。牢番は当然再洗礼支持者ではありません。内情と事実を取っ払ってから、自分を引き上げてくれたヴィレムスを思い返し、キリストを思い出させる凄惨な最期を思い返し、彼の信念や矜持、揺るぎない信仰を深く感じたからこその、最後の台詞だったのかなと。簡単に言ってしまえば、隣人を愛し、敵を愛す、を解したからこそのひらめきの訪れだったように思います。
ここにもひとつの信仰が私には感じ取れました。殉教者というある種神性を帯びた、神に導かれるに足るヴィレムスという信徒への敬意とも言えるでしょうか。自分がヴィレムスの偉大さを吹聴することこそ、神への冒涜だと感じたように思います。
氷の池に落ちた牢番を引き上げるシーンは胸が詰まります。助ければ捕まって残酷な刑を受けるのは見えているためです。花と風車と水の国、現在の姿になるまでに本当にたくさんの犠牲があったということにも気付かされます。
余韻を残した後を引くような読後感が、作品全体が帯びる哀切で神聖な雰囲気を更に増幅しています。刺さった針のように物凄く胸に残る作品でした。
私はキリスト教に明るくはなく再洗礼も初めて知りました。それでも深く物語に入り込めたのは、本文がキャラクターがこちらに語りかけてくるように書かれているからかなと思いました。すばらしい手腕です。
信仰小説であり、歴史小説であり、人間ドラマでもあり……読めてよかったなと素直に思いました。あらゆる意味で本当にいい作品です。
偽であってもやはり教授であらせられるようで、その高度な知識はいわずもがな、あまつさえこうも巧妙な文体を堂々と執筆なさるその力量に感服いたしました。
とまあ、私もそれっぽい文体でレビューしようと思っていたのですが、いかんせん学が無いので早々に諦めます。──────すごかったです。陳腐な言葉になりますが、おもしろかったです。
同じ神さまを崇めているのに、ただ価値観の違いでこうもすれ違ってしまうとは、居た堪れない気持ちになりました。
ただ、主要人物の看守の男、再洗礼派の男、両者も「結果」として同様に「救い」を求めていることに何となく光が見えたように私は思います。
あと余談ですが、本作の構成で、第三の登場人物である懺悔を聞く神父の扱いがこれまた絶妙でした。この神父は登場人物でありながら、実は我々読者でもある。
読者が登場人物に感情移入することはままありますが、読者を登場人物に充てるなんて面白い構成だとおもいました。真似したくなるじゃないですか。