斜め前の人
(※モブ女子視点)
席替えが行われて斜め前が朝陽くんになった。楽しくない高校の楽しくない授業はそれだけで楽しくなり、わたしは授業ごとに斜め前を眺めていた。
朝陽くんは格好良かったし、優しくて人気者だった。わたしのような地味を極めた背景にも、話す機会が出来たときには優しくしてくれた。頭も良かったから、彼の友達は勉強をよく教えてもらっていた。朝陽くんは嫌な顔もせずに、いい加減自分で勉強しろよなって笑いながら言って、英語の教科書を開いていた。
でも不思議なことがあって、それは彼女がいなさそうなことだった。
斜め前にいる彼の斜め後ろの横顔を見つめながら、なんでだろうなあなんて考えて過ごす時間が増えていった。
朝陽くんと同じクラスだったのは高校二年生の時だ。三年では離れてしまった。残念ではあったけど、廊下ですれ違うときなんかにはやっぱり目立って、正面から見る勇気はなかったけれど振り向いて追ったりはした。斜め前にいる朝陽くんを、斜め後ろから見るだけで充分なのだ、わたしには。
三年の間に一度だけ、朝陽くんと付き合い始めたという子と話をした。本当に、偶々だった。二学期のはじめに委員会が同じだった後輩が困っていたので声をかけ、業務内容の説明をしながら雑談をした時に、教えてくれた。教えてくれたというか、誰かに話したくて仕方がなかったけど話すとどうなるかわからなくて、その他に埋没される地味な先輩をちょうどいいと選んだ、が正しそうだった。その子は一年だった。三年で、人気者の先輩と付き合っていると言えない気持ちは、こんなわたしにもよくわかった。
はじめは嬉しそうに話してくれたけど、次第に表情が翳っていった。告白してOKをもらったけれど、なぜなのかわからなくてちょっと怖いと、呟くように漏らした。
その気持ちも、わかった。朝陽くんは今まで誰の告白も断っていたのだ。だから尚更、怖いのだろうと思った。
卒業式の日だ。式の後、わたしは特に意味もなく、校内の桜並木に沿って歩いていた。かすかな蕾はあっても咲くにはまだまだという風情だったけど、そのみじめさが好きで、名残惜しくて、歩いていた。
校舎の影に人がいた。いちばん人通りのない、正門も裏門も近くないところだった。覗きたかったわけではなく、これもやっぱり偶々だった。人は二人で、片方はすぐに走り去った。ひるがえったスカートの裾から、別れの気配が漏れていた。
思わず立ち止まった。わたしの斜め前に佇む人は、大きい溜め息を吐いてから、急に振り返った。
「あ、卒業おめでとう」
朝陽くんは何もなかったように笑いながら言った。
「どうしたんだ、親の迎え待ち?」
「え? あ、まあ……朝陽くんも?」
「いや、うちは来ねえよ」
彼は欠伸を漏らし、こちらに近付いてきた。つい後退る。彼を正面から見るのは初めてかも知れず、それで、気付いてしまった。
恐かった。なにがかはわからないし、朝陽くんはいつもどおりの気さくな雰囲気だったけど、恐かった。
「別れ話って、面倒だな」
朝陽くんはぽつりと言った。
「すぐ卒業だからいいかと思ったけど、卒業したあとも付き合ったままだと思われてたとは、考えなかった」
「え……」
「悪い、愚痴だ。じゃあな」
彼はわたしの横をすり抜けて歩いていった。その後ろ姿を立ち尽くしたまま見送って、卒業式は静かに終わった。
大学は違うし、連絡先も知らないので、朝陽くんに会う機会はなかった。でも時々思い出して、わたしが、いやわたしたちが一緒に高校生活を送った朝陽くんは、どのくらい本当だったのかなと、考えた。
卒業式の日に見た朝陽くんがいちばん、わたしの中では正しかった。面倒だなと言った朝陽くんの冷えた表情が、時折脳裏を過ぎった。
どんな人なら朝陽くんが面倒だなと言わないのだろう?
それは存在したとしてもほとんど空気で、意味なんてないんじゃないだろうか?
斜め後ろから眺めるのがやっとだった地味なわたしは、そんなことを考える。
記憶にある斜め前の朝陽くんの横顔はずっとずっと変わらない。
不能共~番外集~ 草森ゆき @kusakuitai
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