清瀬隆の誕生日
珍しく雪が降る、寒い日の夕方だった。保健室を出ようとしたところで同僚に呼び止められ、何かと思えば注意喚起だった。近頃、学区内に変質者が出るらしい。保護者会でも当然議題にあげるが、児童にも充分な注意をと、保健室に張り紙を設置するよう頼まれた。ポスターは用意してあるのか聞けば、作ってくれと更に言われた。
自慢ではないが、私にデザインセンスなどはない。誰かに頼もうにも小学校内に親しい教師はおらず、中々に困る。
ダメ元で、帰宅した朝陽に聞いてみた。めちゃくちゃに面倒だ、という顔を向けられた。
「作れないんですか? 朝陽さんの癖に……」
「お前俺のことなんでもできる超人だとでも思ってんのか?」
そういうわけではないが、朝陽にも作れないとなると、デザインセンスが皆無な世にもみすぼらしい手書きのポスターを保健室に設置しなくてはいけなくなる。
朝陽は溜め息をつき、一応やってくれようとしたのかパソコンを開く。
が、すぐに閉じた。
「ポスター作って注意喚起とか悠長なこと言うより、捕まえて警察に突き出す方が早いんじゃねえか?」
世にも物騒な話を始めるのでちょっと狼狽える。
「つ、捕まえてって……そっちのほうが大変やと思うんですが」
「大体の人相やら背恰好やら出没場所はわかってるんだろ? なら、捕まえては言い過ぎとしても、さっさと通報して巡回の強化やら警察側に対応をぶん投げた方が早いだろ」
「せやけど朝陽さん、その捜査網を掻い潜る姑息な変質者やっていてるやないですか。朝陽さんやって旦那がおる女に騙されてたこともあるんやし、犯罪者舐めたらあかんと思うんです」
「犯罪者が言うと説得力が違うな……」
などと犯罪者に言われて不服である。何にせよポスターを作ってくれる気はなさそうだ、煙草に火を着け始めた朝陽からは離れて夕飯の準備に取り掛かる。
卵が余っていたので親子丼を作り、味噌汁におひたしと朝陽の好きな和食で固めた。
いつも通りの食事を終えたあと、朝陽に肩を抱かれてソファーまで誘導されたので、風呂に入ってからのほうがと言ったが側頭部を叩かれた。
「痛い!」
「何もしねえよ、さっきの変質者の話をもうちょい詳しく聞こうとしただけだ」
「ポスター作ってくれるんですか?」
「いや、ちょっと気になることがある」
朝陽はソファーに座りながら煙草を吸い始める。送られた横目には早く話せと怒られた。仕方なく隣に腰掛け、同僚から聞いた目撃情報を詳しく伝えた。
現れるのは私の勤務する小学校付近で、出没時間は夕方から夜が多い。ステレオタイプとでも言うようなコートにマスクの出で立ちだが、背丈は然程高くはなく、遭遇した男性教員の話によれば、走って逃げれば追い掛けては来なかったという。
「変質者って言うからには変態行為をするんだろ?」
「あ、はい。局部を見せてくるそうです」
「お前にはできない変態行為だな」
「はい、そこは羨ましいです」
羨ましがるなよ……と言いながら朝陽は煙草の灰をとんとん落とす。
「それだけ聞けば、見せてくるだけの無害な裸族って感じだが」
「マゾなんでしょうか?」
「知るか、変質者の背景は興味ねえよ」
朝陽は溜め息をついてから、
「遭遇した教員の遭遇時間は?」
更に突っ込んで聞いてくる。
「えーと、十九時過ぎだったと思います」
「……他の目撃情報は?」
「野球のクラブ活動で遅くなってしまった六年生の児童数名が出会したのと……車で児童を迎えに来た親御さんが、小学校近くの路地を歩くコートにマスクの男を見たという情報があります」
朝陽は頷き、吸い切った煙草を潰した。それから私の腰を抱いてソファーから立たせた。
「あ、朝陽さん?」
「多分なんだが、運が悪かったらお前も遭遇すると思う」
「えっ?」
「チンコ見せてくるだけならまあ無害は無害だが、気持ち悪いには気持ち悪いし万が一襲われた時のために、多少防犯したほうがいい」
朝陽は私から手を離した。かと思えば股間部を狙うように蹴りを繰り出され、慌てて背を丸めて避けるが即座に髪を掴まれた。
痛い、と言う前に眼前に膝蹴りが迫った。反射で目を閉じるも、予想した衝撃は来なかった。
「清瀬、こんな感じで防犯すればいい」
手を離しながら言われた。ぽかんとして見つめると、もう一回やろうか? と普通の顔で聞かれて咄嗟に断った。
「いえ、あの、朝陽さん」
「なんだ?」
「その……もし万が一襲われたら、今みたいにこう……暴力を振るえと……?」
「変質者に襲われた状況なら正当防衛に出来る。下半身狙って体勢が低くなったところで、顔面蹴り付ければすぐに逃げられる。それか腎臓の位置を狙って蹴ればいい、保健医なんだからわかるだろ?」
わかりますと答えつつ、犯罪者が言うと説得力が違うわ……と納得する。一番治安悪いの朝陽さんやないですかとは言ってみたが、朝陽は何を納得したのか頷き、私の背中を労うように叩いた。
「一種類じゃ心配だな、他にも教える」
と言い出し、もし後ろから羽交い締めにされたなら爪先を踏めだの急に脱力して不意をつけだの、なんならそのまま背負投げしろだのと防犯のレクチャーを受け続けた。
突然暴力を振るわれたせいもあり、肝心なことが抜けていた。ポスター製作を一切行わなかったことと、朝陽がなぜ、私も遭遇することになると言ったかだ。
でもすぐにわかった。雪が溶け切らないまま二日経ち、仕方なく手書きの注意喚起ポスターを保健室に貼り付けた日の夜に、小学校を出て少し歩いたところで出会した。
人気がほとんどなかった。夜の暗闇の中では雪が青白く浮かび上がって、いつもより辺りは明るく見えた。二日経っていたこともあり雪は滑りやすかった。慎重に歩き、スーパーに寄るには遅くなったとスマートフォンを見て、朝陽に帰宅が遅れると連絡を入れた。その直後だった。
建物の影から現れた黒コートの男は気配がまるでなかった。いつの間にか目の前に来ており、私が反射で立ち止まると待ち兼ねていたようにコートを広げた。あまりにも流暢な動きで驚いた。コートの下はシャツは着ていたものの、下半身は剥き出しだった。
向き合ったまま数秒経ったと思う。はっと気が付き、股間部を蹴って顔面に膝蹴り……と思い浮かべたものの、ノーガードの局部にそのような無体を働くのは忍びなく、結局口を開くことにした。
「あの、寒くないですか……?」
私が聞いた直後に男は素早く身を翻した。待って、と声を掛けたが遅かった。彼は盛大に雪の上ですっ転び、電信柱に勢いよく頭をぶつけた。そして動かなくなった。
「え、……あ、あの……?」
そろそろと近寄り覗き込むが、脳震盪を起こしたらしく目を回して唸っていた。これはまずいと救急車を呼び、朝陽にも簡単な経緯をメッセージで送り、伸びている変質者の男性には応急処置を施した。
この人は一体何がしたかったんや……。コートの前を閉めてやりながら私は思った。
疑問は朝陽が解消してくれた。
他に人が居ないので、やってきた救急車に同乗して病院まで行った。帰っても良いだろうかと待合室で悩んでいると、スーツ姿の朝陽が病院に現れた。中学校からそのまま来てくれたようだったが、手には袋を二つほど持っていた。
「朝陽さん」
「お前は怪我はないのか?」
開口一番で心配されてちょっと嬉しい。ないと答えれば溜め息が返って来て、朝陽は私の隣に腰を下ろした。
「で、何がどうなってんだ?」
当然の疑問だったので、メッセージでは伝えきれなかった部分を話した。
朝陽は頷きながら聞いたあと、煙草を出しかけたけど舌打ちして引っ込めて、警察をついでに呼んだから、と待合室のソファーに凭れながら言った。
「あ、そうや、変質者の人ですもんね。なんや色々びっくりして、通報し損ねてました」
「そうだと思った」
「せやけどこんな寒い日の夜にまで露出しに来るとは、筋金入りの露出狂の方なんですね……」
しみじみと感想を呟くと、朝陽はなぜか否定を挟んだ。
「多分、お前狙いだぞ」
「えっ?」
「というか、その露出狂、男にしか露出してねえぞ。男の同僚に、野球クラブの児童だろ? 野球やってんのは大体男児だろうから、クラブの活動時間帯を狙った動きに思う」
そう言われて私もやっと気が付いた。確かにそうだ、そうだが、疑問はまだある。
「俺を狙ってた、って言うのは?」
聞いてみると、朝陽はただの予想だと前置きした。
「男の養護教諭って、そこそこ珍しいだろ。だからうちの中学校でもお前の小学校の話になると、男性の養護教諭さんがいるよな、って言う奴がちらほらいる。同じように変質者があの小学校の養護は男だって知ってたんなら、保健室の電気が点いてんのを見て、そのうち男が出てくると踏んで張ってた可能性は高いと思う。……まあ、本人に聞いてみねえとわからねえが、露出趣味の陰湿ゲイ野郎に付き合う暇は俺にはない」
朝陽が言い切ったすぐ後に警察がやってきた。当事者は私なので私が警察に説明をして、しかしただの被害者であり何の関係もないと主張して病院からは離れた。無言の朝陽の早く帰るぞオーラに押された。二人で並んで帰路につくと、朝陽は持っていた袋を片方差し出してきた。
「何か買ったんですか?」
「今日の日付けを言ってみろ」
「一月二十日です。……あ」
変質者やらポスター作成やら明らかに暴力な正当防衛指南やらですっかり失念していた。
今日は私の誕生日なのだった。
「誕生日おめでとう。露出狂に捕まったり救急車に同乗することになったり散々だったな、清瀬」
「あ、えっと、……あ、ありがとうございます……」
物凄く嬉しい。嬉しいのだが、道の往来なので控え目な反応しかできない。まごまごしていると察された。朝陽は溜め息をつき、夕飯も買ってあるからと言って、自分が持っている側の袋を掲げて見せた。
露出狂に遭ったことや手書きのポスター作成に三回は失敗したことがどうでも良くなった。いそいそと帰宅し、早速朝陽にもらったプレゼントを開封して、普段使いしやすそうな腕時計に喜んだ。
「毎日つけます」
「それは好きにしろよ」
煙草を咥えつつ苦笑している朝陽はどこか照れているようにも見えたが口に出すと殴られそうなので黙っておく。
腕時計はつけてみると案外軽く、本当に使いやすそうだった。落ち着いた色合いは小学校につけていっても問題ない。常にスマートフォンを覗けるわけでもないため重宝しそうだ、今度良二くんに自慢しようと決めた。
誕生日プレゼントをまともにもらえることがこんなに嬉しいなんて、本当に久しぶりの感覚だった。
後日、変質者が公然わいせつ罪で逮捕されたと聞いた。なんでも局部にだけ自信があり、同性である男性に見せつけることで自己肯定感を上げていたらしかった。逃げ去る背中を見ては勝ち誇っていたが、私の反応が芳しくなかったため、自分よりも巨根なのかと疑い逆に恐ろしくなったということだった。
それを聞いた朝陽は堪えきれなかった様子で一頻り笑った。
「よりによってお前捕まえて、自分よりデカいんじゃって疑うのは不運でしかねえだろ」
「はい、流石に俺もそう思います。……あ、でも、介抱したのも一応俺なので、御本人からお礼のお手紙来ましたよ。出所したらぜひ見せて欲しいてコメントつきで……」
「なんの反省もしてねえじゃねえか破って捨てろ、絶対に会うな」
言われなくても会わないし朝陽以外に見せるなんてとんでもないのだが、なんだか違う意味で怒っていそうな朝陽が珍しかったので言わないでおく。
なんにせよ諸々心配ごとはなくなった。結果的には良い誕生日だったし、手書きの残念なポスターもすぐに剥がせて本当に良かったし、手首の腕時計は見るたびに綺麗でとても嬉しい。
朝陽に教えられた正当防衛を越えた暴力だけは使い道がなさそうだけど、それもプレゼントということにした。
一番朝陽さんらしいしな。
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