手紙とまとまと

萩村めくり

第1話

「算数のプリント、明日提出ねー」

 気だるげな先生と、蝉の二重奏。

「はーい」とクラスメイト達が口々に声を重ねる中、私は口を「あ」の形に開き留める。だって声出すの、億劫なんですもの。

「んじゃ、さよならー」

 合唱、第二部。

 ひらひらと舞う先生の手はさながら指揮棒のようで、それに呼応し挨拶めいめい。鳴々。

 そういえばこの前、お父様に「姪がめいめい」と最高にイカした洒落を聞かせて差し上げたら「兄弟姉妹もめいめいなんだろうね」と朗らかに返され不発に終わりましたわ。めそめそ。

「さよおならー」

 一際目立つ男の子の声。それに連なり笑いがクスクス。あるあるよねぇ故意にイントネーション落とすのは。全くお下品ですこと。

 前の学校ではこんな事なかったのに、なんて比較するのも吝かではありませんわ。

「帰りましょうか」

 教室の空気が弛緩されるのを見計らって、誰かを伴うことなく帰路に就く。

 忘れ物はない。けれど心残りが一つ。あ、前の学校にですわよ。


 転校、転入してから早二ヶ月。新しい学校生活は概ね良好。

 今ではすっかり転校生から在校生に……進化?退化?いや、風化と言った方が適当かしら。

 私の固有スキル!場に馴染む(格好いい横文字が出て来なかったのよ、文句ある?)のお陰でしょう。

 ええまぁ、物の見事に教室の壁画に成り果てたわけですけど。

 ……侘しいわねぇ。

 目尻に涙が浮かびましたので、脳内には回顧を浮かべる事に致しましょう。


『皆さんと共に学ぶ事が出来た私は、幸せ者です。良く接して下さり、ありがとうございました』

 思い返してみても風味のない台詞だと思うわ。きっとこの頃の私は素材の味で勝負してたのね。

 それでも感極まって泣いてる方も見受けられましたので、私の評価はそれなりだったの。自信過剰二乗。

 そんなお通夜ムードを打開したのは、ある女の子の一言。

『新しいお家の住所、教えて』

 すると、何ということでしょう。『僕も』『私も』と、矢継ぎ早に手が挙がっていくではありませんかっ。

 私は内心、ガッツポーズ(心の臓を握り潰したわけじゃないわよ、念の為)し、予め用意していた文字の羅列を媒体に、住所を記したメモを量産。

『絶対、手紙送るからね』と、お通夜クラッシャーちゃん。

『ええ、待ってるわ』と、素朴な味のワタクシ。

 約束を交わすことで確かな充足感を得て、早く届くといいなと切に願ったわ。ま、それでも所詮約束なんて、これっぽっちも遵守されないのよ。偽善行為は気分が良くなるだけ。


 ここまで来ると大体察せるでしょうが、手紙は一通も来てませんのよ。

 五十二度ある事は五十三度(転校翌日から律儀に数えてたのよ。ほんと、健気よねぇ)ある。先人の教えは偉大ですこと。

 でもこうも言うじゃない?五十三度目の正直って。

 ……冷静に考えればどちらも使われていないわね。

 閑話休題。

 何が言いたいかと問われれば、僅かな可能性でもそれに縋るしかないという大変陳腐な戯言ですわ。どうせ手紙は届いてないでしょうけど、自然、足は急くものでして。……電脳なのかしら、この足。

 とまぁ冗談は寄席に寄せ、とまぁ冗談は寄席に寄せ、とまぁ冗談は寄席に寄せ……エンドレスじゃない、これ。いい加減、冗談は宇宙の彼方に飛ばしましょう。読者の皆様も飽きてくる頃合ですし。

 単刀直入、結論から申し上げますと。手紙は今日、来ていたのです。

 ……突然の展開でびっくりか、手紙が来ていた事実にびっくりか、読者の皆様はどちらでしょう?びっくりされなかった方には、感情が壊死しているで賞を差し上げます。そうね、賞状の代わりに「ソーキそばを想起する」という使用タイミングに困る洒落を贈呈致しましょう。どうか、創意工夫なさって使いますよう。スープで滑っても、私は一切の責任を負いませんので。


 あら、ところで読者って何でしたっけ?……若年性健忘症なのかしら、私。




 えぇと、どこまで話しましたっけ?

 ……ああ、手紙が届いたという所からでしたわね。

 まずは気になる中身を拝読しましょうか。こほん。

『芹ちゃん久しぶり。同じ委員会だった杏里です。

先日、クラスの皆で育てていたトマトに大きな実が成りました。一緒に収穫出来ないのは残念だけど、芹ちゃんにも食べて欲しいです。

都合がいい日に遊びに来てください。

トマトを用意して待ってます』

 ふむふむ。杏里さんというと……思い出どころか顔さえ記憶に残ってないわ。私の情と張り合えるぐらい存在が希薄なのねぇきっと。

 ま、実際会えばその場のノリと勢いでどうにかなるでしょうし、お受けしましょう。折角のご好意を無下にするほど、腐ってませんわ私。

 それじゃ早速、お返事をしたためませんと。

「八月二十日午後二時校門前。貴方のハートを奪いに行きます。と」

 こんな感じかしら。




 八月二十日。本日雨天なり。

 雨が降るのは一向に構わないのだけど、家を出た直後に降るのは止めて頂きたいわね。家に戻って傘を取るか、このまま向かうか迷って右往左往したじゃない。それで結局時間に間に合いそうになくて、傘は諦めたの。お陰で服もビシャビチャよ、ワンピースまで着ておめかししたのに。

 で、校門の前で所在無さげに佇立してる女の子が例の子かしら。霊の子だったら生命の神秘を命ない奴等が体現するなと突っ込むのだけれど。

 取り敢えず、まずはその子を観察。……ああ、一瞥すると朧気ながら思い出してきたわ。短めの茶髪(ボブヘアーって名称だったかしら?生憎、ファッションに疎いものですから)で、全体的にクリクリした顔の造形、身長含め小動物系と。服装といい、目立った特徴はあまり無いわね。確か、小難しい本ばっか読んでたから記憶に残っていたのよ。

「杏里さん、お久しぶり」

「あっ、芹ちゃんこんにちは。あれ、何で傘持ってないの?もしかして浮浪者だったり?」

「初手から攻撃的ね。これはワンピースに水玉模様ならぬ雨玉模様を付けてる最中なのよ。お気になさって傘に入れて下さるかしら?」

「うん、どうぞ」

「それじゃ失礼」

「……えへへ。実は私、こういうのに憧れてたんだ」

「こういうのって、相合い傘のこと?」

「えっと、多分それ」

「憧れてた割に曖昧がさ!」

「まぁそう時を経ずに、一つ傘の下から一つ屋根の下になるんだけどね。じゅるり」

「……おっと失念。今日は木陰でキノコ採集に耽る日課がまだでしたわ。という訳で、これにて御免」

「逃がさないよ」

「きゃーお巡りさんー」

「逃がさいぞっ」

「きゃー!ラブリーあんりたん!はぴはぴ可愛いー!やーん持ち帰ってちゅっちゅしたーい!」

「……芹たん尊死」

「忘れて頂戴」


 案内、というより半ば誘拐気味に連れられたのは、赤と白を基調とした、やや豪華な風貌の一軒家。

「ここが貴方の新しいお家よ」と言われても、些か冗談と思えないシチュエーシ

ョンね。道中、杏里さんとは他愛無い会話で場を濁す事に専念したわ。まるで死刑台に連行される死刑囚の心境よ。でもここまでは序の口なわけでして、ここからが所謂鬼門なのよ、英訳するとデーモン。

「さ、はいってはいって」

 さっきから、目が爛々としてるのよこの子。英気というか生気というかが透けて取れるわ。一体、これからどんな試練が待ち受けてるのかしら。はてはて。

「ええ、お邪魔します」

 未曾有の脅威に心中、曇らせながらもお邪魔すると……。ふぅん、なかなか整理整頓された、小綺麗な玄関ね。……いや、靴が一足もこんにちはしてないのは、小綺麗の範疇に収まらないわ。

「杏里さん、どなたか御家族はいらっしゃらないの?」

「今日は気を使って、外してくれてるよ」

 ……どういう教育してんのよ両親、マセ過ぎよこの子。おっといけない、将来お義母様お義父様になるかもしれない人達を悪く言えないわぁ。……嘘よ?嘘。

「それで、何して過ごそっか?」

「そうねぇ」

 こういう時って何をすれば良いのかしら?

 こんなことなら勉強道具でも持ってくれば……って、違うでしょう。相手のペースに飲まれちゃ駄目。今日はあくまで、トマトを頂くのが目的のはず。

「そうそう、今日はトマトを頂きに来たんだったわね」

 もしここで『杏里さんの赤い果実を頂きたいわ』とか吐かしたら……いえ、下世話な想像は良しましょう。

「ん。それじゃあ持って行くから、ダイニングで待ってて。あそこの部屋」

 言いつつ、玄関から見て突き当たりにある扉を指す杏里さん。

「……心得たわ」

 恐らく冷蔵庫にトマトを取りに行ったであろう杏里さんを尻目に、私はダイニングとやらに直行。私、ひねくれてませんものーおほほ。それ以前に、知らない家を散策するのは趣味が悪いと良識が働いたわけでしてよ。……本当はカサカサと動く黒光りする生物が怖いのよ。

 で、ダイニングの描写も一応。大人が一人、余裕で寝そべられそうなテーブルに、無骨なフォルムの椅子が四つ。そんな食卓を彩るのは花瓶とその付属品である花。

 取り敢えず、椅子の一つに腰掛けましょうか。思えば二時間ぐらいぶっ通しで歩いていたから、脚が疲れてるわねぇ。はー、やれやれ。

 セルフマッサージという有意義且つ自堕落な時間を楽しんでいたのに、さして間を置かずエンカウントする家人A。

「芹ちゃん、トマト持ってきたよ」

「ありがとう……って、随分と大きいわねぇ」

 あわや私の握り拳並の大きさを誇るトマトに驚きを隠すことが出来ませんわ。

「頂きます」

 どこを齧ろうか思索するも、妥当に上からだろうと結論を出し、真っ赤なそれに歯を立てる。と、果汁が溢れ、ダラダラと手を濡らしていく。

「むっ……。手を汚さずに食べるのは難しいわね」

 すると、その様子を眺めていた杏里さんは不意に舌を出し、果汁と果肉を掬っていく。ザラザラとした舌の感触に軽く身震いしながらも、その異様な情景を見守る。

「あらら」

 指の惨状を客観視すると、汗と手垢とトマト汁の内、どれが主成分か漠然としてるわね。

「如何かしら?私の汗と手垢とトマトの味は 」

「トマトが要らない」

 それって汗と手垢のみ舐めたいということ?……あらあら、私の想像以上に変態街道を驀進してるのねぇこの子は。嗜好がスカトロの方々も真っ青よ。

 これ以上侮蔑的な発言を控える為にも、濡れた手(何で濡れてるかは敢えて言及しませんわ)を用いてトマトをシャリシャリ。

「私の唾液とトマト、美味しい?」

 黙々、もぐもぐもぐもぐ。

 どうしましょうか。もし「トマトが邪魔」と言おうものなら、唾液をチュウで注入されかねないわ、躊躇せずにねっ。なんて洒落を言ってる場合じゃないのよ今は。どうにかして転妙に躱さないと。

 もぐもぐごっくん。

「トマトと唾液の素敵なマリアージュだったわ」

「そう」

 満更でもない様子の杏里さんの笑みに、ほっと一息。付く間もなく。

「おかわり、あげるね」

 ……あら、杏里さんはどうしてトマトを齧ってるの?どうして距離を縮めてくるの?どうして私の後頭部と肩甲骨にそれぞれ腕を回すの?あらあらあらあら近い近い近い近い近い近い触れる触れる触れる触れる当たるあっ……。

 ぶちゅー。


「展開と手順は及第点をあげましょう。回された腕が万力並に強くて息苦しかったのもまぁ許しましょう。でもね、ファーストキッスがトマト味ってのは頂けないわ。一瞬、別の赤い液体を分泌しようか考えたわよ。割と本気で」

「ごめんなさい……」

 そんな萎められると、何だか私が虐めてるような構図じゃない。現に私が高圧的な態度を取っているから、あながち間違いではないでしょうけど。

 ま、そろそろ諸々のひもひもを解いていきましょうか。

「杏里さんは、私のことが好き好き大好きーだったりするのかしら?」




「好きと言えば、腐った蜜柑が好きなのよ私。皮の部分が黒ずんでいて、一目見るだけで腐ってるんだと理解出来る故。味も好きなんだけどね。逆に嫌いなのは毬栗。外見は言葉の通り刺々しく尖ってて、まるで思春期中学生の様。それでいて、身も詰まってたり詰まってなかったりしてるんだから……我ながら堂に入ってるわねこの例え。ところで杏里さん。感情って何の為にあると思う?姿形は多少変わっても大まかな輪郭はそのままの外見と違って、情は脆く儚く移ろい易い。私が六歳の時に、お母様は死んだ。覚えているのは、その時、私とお父様が泣いていた事、お母様の身体が冷たかった事の、たった二つ。あの頃の私とお父様は何で泣いていたのかしらね。ゴミでも目に入ったのかしら。親子揃って滑稽ねぇクスクス。死人に口なしって言葉、あるじゃない?刃物で唇を削がれるか、鈍器で潰されでもしないとなくならないのに、どういう意味様なのかしら。総じて不思議ね。あっそういえば、もう一つ思い出したわ。お母様は確か最期、私に向かって…………ごめんなさい杏里さん、少しだけ目を外して下さる?泣き顔はあまり見られたくないのよ。ええ、埃が目に入ったのよ。もしかしたらアレルギーなのかもね、困ったわ。……どうしたの、いきなり抱きついて来て。慰めてくれてるの?……そう、ありがとう。それにしても、杏里さんの肢体はぷにぷにな良い感触ね。特にお胸の辺りが……ちょっとそんな気味悪い笑みを浮かべないで下さる?セクハラした私がドン引きよ。でも、杏里さんと居ると気分が安らぐわ。何故かしら何故かしら。ふふっ、そんなの決まってるのにねぇ。杏里さんのことが好きだからよ。それも、腐った蜜柑より上。何で今、嫌そうな顔をしたの?とても名誉な事なのに。例え、目の前に腐乱した蜜柑を千個積まれても、私は鼻を摘みながら杏里さんを選ぶと誓います。その時は臭う私を抱き締めてよね、今みたいに。……さっきから目が死んでるわよ。感動と感涙のプロポーズだったのに。あー、はいはい、分かってるわよごめんなさい。杏里さんが一番好き。同率一位じゃないわ、チャンピオンよ!……そう、機嫌が直って良かったわ。これで後腐れない関係に早替わり。めでたしめでたし。……ふわぁ。そろそろ眠くなってきたわねむねむ。杏里さんと私の二人で一昼を過ごしましょう。そうだわ、白雪姫ごっこを致しましょう。ルールは簡単。先に惰眠を貪り終わった方が、次は相手の唇を貪る。ただそれだけ。さぁそれでは始めましょうか、おやすみなさい。…………あー、鼓動がどっきゅんどっきゅんして眠れないわね」

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手紙とまとまと 萩村めくり @hemihemi09

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