喫茶店でプリンパフェを食べる悪役令嬢
◆◆◆
36度の気温は汗が蒸発するには足りないが、やる気が蒸発するには十分だ。
八月の太陽は、吸血鬼のように人間のやる気を奪う。
(これは死ですわ)
Tシャツを汗で湿らせながら、ミホス・アンカディーノ(純国産悪役令嬢)はパンクした自転車(自分で漕がないと進まない乗り物)を引きずり歩く。
ミホス・アンカディーノは自分で自転車の修理が出来ないタイプの悪役令嬢である、自転車を直そうと思えば灼熱の太陽の下でキロ単位の距離をひたすらに歩かなければならない。
ミホスは瞬間移動の秘儀を使うことが出来るが、移動位置まで休まずに走った程度の体力を消耗する上に、物を一緒に運ぶ場合はその物を背負って移動したものと扱われるため、結果として自転車を背負って数キロの距離を全力疾走したほどの体力を消耗することとなる。死ぬ。
故に、パンク修理のためにミホス・アンカディーノはダラダラと汗をかきながら、ダラダラと歩き続けるのである。
(うぉぇ……自転車とか感覚的にはいつもパンクしてる気がしますわ……自転車に乗っている記憶は残らないのに、自転車を修理するために引きずっている記憶だけは残るから、私にとって自転車は乗り物じゃなくて、引きずりものですわ……人生みたいやね……)
何度か木陰での休憩を挟みながら、ミホスはホームセンターへと辿り着く。
受け取りは翌日以降になるとの言葉に、心の中で泣きながらも、わかりましたと頷き、ミホスは引き換え券を財布に入れてホームセンターを足早に離れる。
(自転車修理のためにホームセンターに来る話、よく考えたら二度目ですわ!)
何故、悪役令嬢の小説で自転車修理の話が二度も出てくるのか。
全く、恐ろしいことである。
しかし、真に恐ろしいのはこの文章を書いている段階で、そう言えばミホス・アンカディーノは作中で自転車修理に行ったことのある悪役令嬢であったな、と気づいたことである。
執筆の間隔が空くと、ミホス・アンカディーノは毎月自転車修理をすることになりかねない。
そのような恐ろしい未来を想像しながら、ミホス・アンカディーノは街中へと向かった。
目指すは
◆◆◆
ミホスが向かったのはレトロな喫茶店である。
喫茶店のドアを開くと、ドアベルがからころと乾いた音色を奏でる。
店内に響き渡るのは
カウンター席の常連らしき老人がマスターと会話をしながら、少し高い位置にあるテレビを見ている。
「いらっしゃい」
マスターは恰幅の良い中年女性である。
ミホスは無言で頭を下げ、カウンター席からも近い入口側のテーブル席を選ぶ。
座席のソファは柔らかく、ミホスの体重をしっとりと受け止める。
外観が良く前々から気になっていた店であったが、営業時間や料金の情報が店の外にないため、よくわからない店を恐れるミホスならば一生涯行くことがないように思われた。
しかし、普通に魔導インターネットに情報が載っていて、値段的に手頃であると判明したので折角だから行ってみることにしたのである。
(ええやん……)
スカートを履いたようなデザインのライトから放たれる穏やかな光。
隣のテーブルとの境目にステンドグラスがあって、うっかり隣のテーブルを光景を見ることもなければ、見られることもない。
見上げた先にあるものはいつだって美しいガラスのアートである。
「すみません」
「はーい」
呼び鈴が無いので、ミホスはマスターを声で呼ぶ。
ミホスは内気なタイプの悪役令嬢であるが、注文が出来ないほど内気というわけではない。
しかし、あまりマスターとの距離が離れると注文するのがしんどいタイプの悪役令嬢であるので、ここでカウンター近くの席を選んだことが活きてくる。
カウンター近くならばいつでもマスターがいるので、あんまり大きな声を出さなくてもいいし、注文の声が気づかれなかったことにダメージを受ける心配があまりないのである。
「クリームソーダとプリンパフェをお願いしますわ」
「はーい」
ミホス・アンカディーノはパフェが大好きな悪役令嬢である。
しかし、ファミリーレストランではあまりパフェを頼まない。
ファミリーレストランのパフェは
パフェを頼むのはこういう雰囲気が良い喫茶店に限る。そうでなければ、凄まじい割引が発生した時か、ちょうどいい具合に奢ってもらえる時、あと、なんか新メニュー、それがミホスのルールである。
「クリームソーダ、おまたせしましたぁ」
「わーい」
「プリンパフェ、もう少し待ってねぇ」
ことりと、ミホスの前にクリームソーダが置かれた。
よく見るクリームソーダとは違い、上に乗っているのはアイスクリームではなく、ソフトクリームである。
下半分のソーダは深いエメラルドグリーンの輝きを湛えており、上半分のソーダはソフトクリームの白色と混ざり合って淡い緑色をしている。
それはまるで、グラスに収まった小規模なエメラルドの海のようであった。
ミホスはソフトクリームを避けてクリームソーダにストローを差し込み、濃いメロンソーダを吸い上げた。
(
シロップのような濃厚な甘さである。
もしも、それだけを飲めと言われたら怒りすら湧き上がるだろう。
ミホスは瞬間、ストローから口を離し、ソフトクリームを口に運んだ。
(美味っ!)
だが、その濃厚な甘さがソフトクリームとよく合う。
メロンソーダではない、クリームソーダなのだ。
ソフトクリームの甘さとソーダの甘さを口の中で同時に味わえば、原液のようなソーダの甘さをクリームが優しく包み込んで、不思議と丁度よい味になっている。
(……それだけやない!ソフトクリームの甘さが舌を慣らして……ソーダをすいすい飲ませるようになっとるやんけ!)
何故、このような現象が起こるのだろうか。
科学に詳しくない春海水亭はこう述べている。
「ふしぎだなぁ」
「プリンパフェおまたせしましたぁ」
「わーい」
クリームソーダを飲み干した頃に、プリンパフェが届いた。
持ち手のついたグラスである。
クリームに隠されて下の様子はよくわからないが、上には自家製プリン、生クリーム、メロン、赤い実(小さいつぶつぶが合わさって一つの実のように見える、何だったのかはわからなかった)がドンと居座っている。
(さーて、まずは自家製プリンを一口いったろ!)
自家製プリンはイタリアンプリンのように、ほんのりと固く、カラメルの加減が絶妙で甘くも苦い。
(んん……?)
しかし、どこか期待とは違う。
赤い実は酸味と苦味が強く、見た目には色鮮やかであるが、その意図がよくわからない。
(これは……外したんちゃうんか?)
首をひねりつつ、ミホスはメロンを一度別の皿に移して一気に食べる。
熟れたメロンは柔らかく、みずみずしい。
非常に爽やかな甘さである。
(よし……メロンはええ……ってか、メロンが不味かったら終わりですわ!)
どこかプリンパフェに対する疑いを抱きながら、ミホスはパフェを掘る。
プリンの下に眠るのはアイスクリーム、そしてシリアル。
(シリアル~~~?どこのパフェもシリアルを入れとるけど、あんなもん正直かさ増し要因ですわね~~~ハァ~~~がっかりですわ!!!)
「うまっ」
アイスクリームとシリアルを口に運び、思わず言葉が漏れた。
よく冷えたアイスクリームの、目の覚めるような甘さの素晴らしきことよ。
睡魔に襲われる人間が食べれば、一撃で睡魔をぶち殺せそうな味である。
普段食べている甘味とは甘みの質が違うと言うべきか、はっきりとした甘さである。
そして、シリアルは恐るべき伏兵であった。
かさ増し要因のパフェエキストラなのではない。
しっかりとアイスクリームの中で自分の存在を主張する名脇役の風格である。
しっとりとしたアイスクリームにしゃきっとした食感でアクセントを加え、アイスクリームを余計に楽しませる。そしてシリアルそのものも余計な味付けはないが、美味しい。アイスクリームとシリアルで余計に引き立て合う関係性が出来ている。
(どうなっとんねんこれは!!あ……あぁ~~~!!!)
パフェを掘り進む手が止まらない。
なんたることか、アイスクリームの中に入っているのはシリアルだけではない。
(プリンや~~~!!!バラされたプリンがアイスクリームの中に入っとって、シリアルとはまた別のアクセントを加えてますわ!!!そして……どないなっとんねんこれは!!!美味い!!プリンが美味い!!)
アイスクリームの中に入っていたプリンを口に含み、そこから舞い戻るように上のプリンを食べれば、何故か先程のプリンを異常に美味しく感じている。
(組み合わせの妙と言うべきやろか?舌が調教されとると言うべきやろか?食べていく内に、口ン中で完璧な調和が果たされてますわ!!)
パフェを掘り進む手が止まらない。
しかし、最下層に眠るものを見て、ミホスは呆れるようにため息をついた。
バナナである。
(バァナァナァ?ハァ~~~がっかりですわ、バナナとか、まぁ食べはするし、美味しいとも思うけど、そうでない果物の代表格ですわ。竜頭蛇尾とはこのことですわ)
一口サイズにカットされたバナナは、スプーンで掬うにも問題はない大きさである。
ミホスはひょいとバナナを口に放り込んで、もぐもぐと頬張る。
「あっ……」
(バナナを超えたバナナですわ。甘さに深みがあって……そして、やはりこのパフェに欠かせない存在であると実感できますわ……バナナの分際で……)
ミホスはひたすらにパフェを食べ続けた。
半分以上残った自家製プリン、生クリーム、アイスクリーム、シリアル、バナナ、全てが至福である。
だが、何事にも終わりはある。
とろけたアイスクリーム、生クリーム、プリンの欠片、パフェの残骸がグラスの底に溜まっていた。
かつてあったパフェの姿はない。
美しかったものはミホスの胃の中に。
ミホスはグラスの取っ手を掴み、ビールを煽るかのようにパフェの残骸を胃に流し込んだ。
(ごちそうさまでした)
空のグラスに手を合わせ、ミホスは鞄から本を取り出す。
雰囲気は最高であるし、パフェもクリームソーダも美味しかったが、この喫茶店にはおかわり自由のドリンクバーが無い。
そして、ミホスはお冷のおかわりを頼むのを遠慮してしまうタイプの悪役令嬢である。
食べるものも飲むものもなく、読書とスマホでひたすらに時間を潰す。
ミホス・アンカディーノの戦いはこれからだ。
ドリンクバーだけで8時間粘る悪役令嬢 春海水亭 @teasugar3g
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ドリンクバーだけで8時間粘る悪役令嬢の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます