ホテルビュッフェに行く悪役令嬢

「ビューッフェッフェッ!(高笑い)」

 ツイッターにミホス・アンカディーノの哄笑がこだました。

 ミホス・アンカディーノは悪役令嬢であるが、控えめなタイプの悪役令嬢であるため実際には高笑いをしない。

 真顔で「ビューッフェッッフェ!(高笑い)」とツイートすると、ホテルビュッフェの門を開いた。


「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「ミホス・アンカディーノですわ」

 入口付近でフォーマルベストの係員に慇懃な態度で尋ねられ、ミホスは自身の名を名乗る。

 厳密に枠が定められた完全予約制のレストランであった。

 普段ならば「しゃらくさいですわ」と切って捨てるようなものであるが、いざ自分が行くとなればそのワクワク感は抑えきれるものではない。

 落ち着いて名乗ったつもりではあったが、実際のところその興奮を隠せてはいないのかもしれない、とミホスは思った。


 ホテルロビーの時点で、浮足立つものがあった。

 ロビーをしっかりと照らしながら、それでいてどこか落ち着いた照明。

 沈み込むように柔らかく、肉体をしっかりと受け止めるソファ。

 ロビーの泉はシャンデリアの輝きを受けて泰然とたゆたう。

 二階――ホテルビュッフェレストランへと続く螺旋階段を上りながら、ミホスは思った。様々な要素を持ちながら、それでいて狭いと思わせるところがない。今までに訪れたどんなホテルよりも広い。

 螺旋階段の一段一段を上る度に幸福の魔法にかけられていくようだった。


 席へと案内され、ランチの開始を待つ。

 十一時三十分の枠に予約をとった以上、早く来たからといって時間がぶれることはない。

(それにしても……ビュッフェは人件費をカット出来るのが強みと聞いたことがありますのに、結構給仕がいますのね……ビビるで)

 給仕が忙しそうに動き回るのを見て、ミホスが心の中で呟く。

 そもそも、まだビュッフェは始まっていないというのに客の案内以外で何を忙しそうにしているのかわからない、だが――やはり、これまでのビュッフェとは違うな、という雰囲気がミホスの心を躍らせる。


「それでは皆様、手袋をつけてお料理をお取りくださいませ」


 よく通る声が店内を行き渡った。

 聞くが早いかミホスは席を立ち上がり、手袋を探す。

 衛生面の環境で大抵のビュッフェにおいて、料理を取る際は使い捨て手袋の着用が義務付けられている。当然、前回のビュッフェレストランにおいても手袋の着用は行っていたが、こういうものは書いていて大して面白いものでもないのだ。


(な、なんやてええええええええええ!!??)


 衝撃のあまり、ミホスは心の中で叫んだ。

 手袋の装着など書いていて面白いものではない、その黄金律おやくそくを破壊するかのように、料理置き場の入り口には、薄手の手袋を自動的に装着するマシーンが置かれていた。

 おそらく空気がなんかこうなっているのだろう、薄手の手袋が浮いていて、それに手を入れてピャッとやると、手袋が装着されて、逆の手の時は手を裏返して装着する奴である。


(私にだって常識はあんねんから、流石に人手がごつい手袋装着マシーンの資料写真は撮れへんし、じろじろ観察だって出来へんわ!!!)


 とにかくハイテックな仕組みで手袋が楽に装着できるマシーンがあったのである。

 皆さんもホテルビュッフェレストランに行くと出会えるかもしれない。


(ハイテックですわ!現代技術の進歩は、遠く輝く星に手を伸ばす行いを見ることよりも、地に足がついたマシーンを使った時に感じますわね)

 ミホスは両手に薄手の手袋を装着し、お盆を持って料理置き場へと向かう。

「うわぁ……」

 まず、目についたのは入口付近のスイーツコーナーである。

 メロンソーダフロートを模したガラス容器に収められた緑のゼリーは生クリームと相まって見ているだけで愛くるしい。

 群れをなす様々なタルトやロールケーキはふんだんにフルーツが用いられ、生地の上に色鮮やかなガーデンニングがなされているようである。


(ふふ……もちろん私はスイーツから食べるタイプの悪役令嬢ではないので、今はただ見るだけ、ただ見るだけですが……楽しみやでほんま……)


 スイーツコーナーは、ケーキ屋のカウンターのようになっており、裏に給仕が控え、客の注文を受けて、スイーツを渡すタイプになっている。

 一度の受け渡し個数に限度はないが、節度を守って皿に収まる量にしておこうとミホスは心の中で誓う。


(さーて、それではホテルビュッフェの実力を……なんやて!?)


 それはまるで展覧会の光景のようであった。

 もしも、作られた食事が永遠のものであるのならば、美術館には料理も並んでいたことだろう。

 だが、現実に料理が美術館に並ぶことはない。ここに並ぶからだ。

 五感全てを使った芸術は腹の中に収められて完成する。


 料理コーナーの料理は、そのほとんどが既に容器に盛られていた。

 どれもその料理に適した容器に入れられていて、美しい調和を果たしている。

 それぞれ種類は異なるが、料理として小鉢一つ分といったところだろう。

 自分で皿に盛るタイプの料理は少ない。

 そして、それぞれの料理の前にネームプレートが置かれている。

 当然の配慮と言えただろう――ミホスは庶民派な悪役令嬢であるが故に、見ただけで料理名がわかる料理など存在しなかったと言っても過言ではなかったのだ。


(なるほど……なるほど……全然わかりませんわ!とりあえず好きに取っていったろやんけ!!)

 ミホスは普段ならば手を出さぬような、豆の入ったトルティーヤや、生ハムサラダ、豆腐とイカの和え物をチョイスした後、豚肉とじゃがいもの煮物を選択する。


(せっかくなので肉と炭水化物以外も食べる……という気持ちでおりますが、流石に外したらしょんぼりするのでお肉も一応選びますわ!!)

 順調というよりは適当に料理を選択するミホス、そのお盆にはまだまだ余裕があった。

(あら……?)


 その時である。

 料理コーナーの奥、背の低いカウンター越しにシェフが肉を焼く姿をミホスは見た。


(やっぱホテルビュッフェともなると、シェフが目の前で焼いてくれますのね~ビビるで、ほんま)

 だが、ミホスはこの肉をあえて、スルー。


(列に誰も並んでいないので……肉の注文の仕方がよくわかりませんわ!!)

 ミホスはルールがよくわからないタイプの物事には奥手なタイプの悪役令嬢であった。


(あ、パン。こういうところのパン興味ありますわ)

 そしてミホスはパンコーナーへと躍り出る。

 パンにもそれぞれネームプレートが置かれており、見たことのない名称がミホスは期待を煽る。


(イカ墨のパン!?)

 その中に、ミホスは気になる名称を発見し、迷わず皿へと運んだ。

 イカ墨のパン――中央部が黒いなにかで満たされており、容赦のないイカスミ成分を期待させる。

(私、イカスミ初めて~)

 そして、カスタードとフルーツのパンも取り、ミホスは最初の略奪バイキングを終えた。


(イカスミパン……)

 ミホスはまじまじとイカスミパンを見つめると、意を決してパンを囓った。

(うっそ……甘いですわ……)

 衝撃の事実がミホスを襲った。

 そう、甘いのだ。

 イカスミとはこのように甘いものなのか――まるで、フルーツのようである。

 何故、イカスミは甘いのか――皆様にはこの理由を説明しておこう。

 このパンはイカスミパンではないからである。

 パンの中央部の黒いなにかをミホスはイカスミと誤認していたが、そもそもミホスがそのパンのネームプレートをイカスミパンと勘違いしていただけであり、実際のイカスミパンは生地にイカスミが練り込まれた黒いパンであった。


(嘘……やろ……)


 ミホス・アンカディーノがその事実に気づいたのは、メインの食事を食べ終わり、スイーツに移らんとしたその時であった。もはや、イカスミパンがミホスの胃袋に収まる余地はなし!

 結局、ミホスのイカスミ処女は最悪なことに守られてしまったのである。


 そのような未来が待ち受けていると露知らず、ミホスはイカスミパンを食べたと思いこんでいた。


 第一の料理を腹の中に収めると、ミホスは料理コーナー奥のカウンターに誰かがいるのを見て、その後ろに距離を保って並ぶ。

 油の弾ける小気味良い音、肉がじゅうじゅうと焼ける音、鉄板の上の全ての音がミホスの耳を楽しませる。

 焼きたての肉が用意された付け合せと一緒になって完成するその料理は、すき焼きであった。

 カウンター横に置かれた温泉卵と一緒にミホスはすき焼きを持ち帰る。


(ふふ……ホテルビュッフェはすき焼きを焼いてくれはるんやね)


 テーブルの上のすき焼きをまじまじと見つめる。

 付け合せはナスにプチトマトに、よくわからない肉。

 いずれも火が通っている。


「ボロネーゼはいかがですか?」

「いただきますわ」

(なんやと!?)

 その時、テーブルを回っていた給仕にミホスは声を掛けられた。

 心の中で驚きながらも、ミホスは冷静に対応してみせる。

 ミホス・アンカディーノは突然のサービスにも一応は対応できるタイプの悪役令嬢である。

 給仕が各テーブルを回って、ボロネーゼを運んで回っている。

 出来たての旨さであった、この新鮮な美味しさを届けるために作り置きではなく各テーブルに運んで回る形式をとっているのだろう。おそらく。


 ボロネーゼがすき焼きへの期待を煽る。

 ミホスは肉を最後に食べることを決め、心地よい食感のナス、火が通ることでむしろジューシーさを増したプチトマトと順々に口に運んでいく。


(火を通したプチトマト……これ、えげつない美味さですわ!!)


 今まで食べた生トマトに憎悪を燃やしながら、ミホスは付け合せのよくわからないぶよぶよとした肉らしきものを口に運ぶ。


(やわっ……)


 今までに食べたどの肉よりも柔らかい。

 牛肉ではないだろう、おそらくは鶏肉。すき焼きの味がしっかりと染みていて美味しい。それでいて量も多い。


 シェフが焼いてくれた牛肉は当然のように美味いが、この謎の肉がミホスの心を捉えた。


(これの正体は……まぁ美味いからええですわ!!もう一皿食べたろ!!)


 ミホスはホテルカレーを途中で発見し、すき焼き用の温泉卵を用いてエッグカレーにすることを決意、カレーを更に盛ると再びすき焼きコーナーへと向かう。

 すき焼き用の肉は目の前で切られて鉄板で焼かれる――そんな肉を見る機会は滅多に無い。ミホスはすき焼きの完成を待ちながら、肉をじっと見つめていると、シェフから申し出があった。


「お肉多めに盛りましょうか」

「まぁ!」

(肉をじっと見ていたせいで、食いしん坊だと思われてますわ!!)


「お願いしますわ!!」

「はい」

 シェフが笑顔で応じる。

 別に食いしん坊と思われて損することもないので、ミホスは肉を多目に盛ってもらったのである。


 ミホスはホテルカレーの上に温泉卵を放り、すき焼き肉の何枚かを大胆にカレーに乗せると三周目の食事を開始する。

 食事はあらかた制覇した、腹具合を考えると次からはスイーツコーナーを回ることになるだろう。

 ミホスは別れを惜しむように強く肉を噛み、米とルーの調和を楽しんだ。

 ミホス・アンカディーノは外部のカレーは水っぽくて、あまり好きではないタイプの悪役令嬢であったが、流石のホテルカレーである、十分に美味い。

 カレーを半皿程残して、ミホスは再びすき焼きの謎の肉へと挑む。


(柔らかい……柔らかすぎる……味がよく染みていて……美味い、口の中でもちゃもちゃと……なるほど、肉の正体が見えてきましたわ)


 肉だと思って食べていたのは麩だった。

 答え合わせはしないが、間違いないだろう。


 それからミホスはスイーツを楽しみ、会計を済ませ、ロビーの柔らかい椅子にもたれて一人考える。


(イカスミパンだと思ったらイカスミパンじゃなかったり……肉だと思ったら、麩だったり……美食家が集うホテルビュッフェにこんな間抜けが訪れるなんて恥ですわ……)

 深い反省があった。

 からしだと思ったら、バルサミコソースだったこともあった。

 ミホスにはホテルビュッフェという高級存在はまだ早かったのかもしれない。


(けど、そんな間抜けですらめちゃくちゃに楽しめたんだからホテルビュッフェ最高ですわ!毎月行きたなる~!!!)


 しかし、楽しめたならそれでいいのだ。

 どの料理も素晴らしく、偽イカスミパンも偽肉もどちらも偽物ではあったが、結局美味しかったのだから、それでいいのだ。

 それで誰かを傷つけたというわけではない。

 いや、もしかしたらシェフは自慢の料理を勘違いされて傷ついたかもしれないが、それは相手に伝わっていないだろうから、おそらく大丈夫なのだ。


 また来よう――ミホスは強く誓って、ホテルのロビーを後にする。

 夢の世界を後にしたかのように、夏の日差しは強く、蝉の声は五月蝿い。

 それでも、ミホスはまぁまぁ悪い気分ではなかった。

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