後編 秘密

 夕方になって、詩が店に姿を見せた。でも、一人じゃない。

 子供の頃はよく父親と来ていたが、流石に今はだいたい一人で来るので、珍しいと思ったら、後から入ってきたのは雨音の祖父の雪也ではないか。

「詩ちゃんいらっしゃい……じいさん、どうしたの?」

 こんな偶然あるのか。

 雨音に店を任せて以来、ほとんど顔を出すことがなかった雪也が、こんな時にふらりとやって来るなんて。

 本当に、まるで用意された物語みたいだ。むしろ、すべては雪也の筋書き通りに進んでいるのではないか、晴斗はそんな穿った考え方をしてしまう。

 そんなこと、あるわけないのだけど。

 雪也は、自分の顎に生えた無精髭をさすりながら、どこか惚けたように言う。

「ちょっとこの辺うろうろしてたら、ばったり会ったから一緒に来たんだよ。お前ら、ちゃんとやってるかどうか、たまには見に行こうと思ってな」

 この偶然に、雨音も晴斗も苦笑するしかない。

「まさか、今日来るなんて……」

「ん……どうした?何か都合悪いことでもあるのか」

 ため息を一つ落としてから、雨音は首を横に振った。

「都合悪いどころか……聞きたいことがあったんだ」

「聞きたいこと?」雪也は怪訝そうな顔をする。「何か困ったことでもあったか」

「いや、そうじゃないんだけど……この店は……何なんだ?」

「何って、ただの古本屋だけど」

 やっぱり惚けているような雪也の態度が、ますます怪しげに感じられる。

「ああ、そうかもしれないけど……」

 雨音はレジカウンターの正面にある壁際にある本棚まで歩いて行った。そして、その本棚を探るように改めてあちこちから観察していると、それを見ていた詩が不思議そうに首を傾げた。

「何するんですか?」

「ちょっと、この店の謎解きを」

「謎解き?」きらりと詩の瞳が光った。「この店に財宝でも隠されているんですか?」

 ふっ、と、雪也の口元が歪む。どこか雨音に似ていて、やっぱり血の繋がりをそこに晴斗は感じてしまう。

「そうか、それのことか。まさか今まで知らなかったのか?」

 それでも、年の功というのか、雪也の方が何枚も上手のようだが。

「知らないよ。だって聞いてないもん」

「そりゃそうだ、だって教えてないもん」

「はぁっ?」

 雨音は苛立ちのあまりに右の眉を器用に釣り上げた。もう老人と言える男を相手に掴みかからんばかりの勢いの剣幕であったので、落ち着かせるように、晴斗は雨音の肩を三度ほど叩いた。

 それでも、雪也はどこ吹く風というように、まだ惚けたふりをしていたが。

「見てもいいのか」

「わざわざ教えてはやらんけど、気付いたんなら、別に構わないよ」

 まるで、挑発されているようで、晴斗まで乗せられて躍起になってしまう。

 果たして、この本棚の扉はどうやって開けるのか。あれこれ考えを巡らせてみると、こんなことしか出て来ない。

「こういうのって、どれかの本を一冊引き抜いたら開くとか、そういうのが定番だけど」

 試しに一冊適当な本を本棚から引き抜いた晴斗を、雪也は笑い飛ばした。

「そんなややこしい作りになんかしないよ。だいたい、偶然その鍵になってる本をお客さんが引き抜いたらどうする」

「それもそうか」

「別に普通の扉だよ」

 いや、本棚が扉になっている時点で、すでに普通ではないのだが。

「普通の扉のように開くってこと?……スライドさせるとか」

 押してみようとしても、ピクリとも動かない。そこで、雨音が冷静な言葉を投げかけて来た。

「もっとこの隙間をよく見てみろ。どう考えても手前に引くことで開くように出来ているだろうが」

「えーっ……あっ、ここ……」

 本棚には普通は必要のないはずの蝶番が、左側にだけついていることに今更ながら気づく。

 雨音と晴斗、二人の力で本棚を手前にグッと引いてみたが、二人でやる必要もなかったくらい、すんなりと本棚は動いてくれる。見えないようにうまく隠れているが、よくよく見れば、ちゃんと滑るようにキャスターが付いている。

 その本棚の扉の奥にあったのは。

 広さでいうと四畳半ほどであろうか。コンクリートが打ちっぱなしの壁や床。三面の壁にはそれぞれ一つずつ棚が置いてある。そこに並んだ、古い本。真ん中には丸い小さなテーブルが一つ。それから、入り口近くには、今日隙間から落としたはたきが転がっている。

 雪也に横目で促され、恐る恐る晴斗は室内に足を踏み入れた。

 棚に並んだ本は、店の見えるところに並べられている本とは違う。

「うわっ、すっごい。ここ、希少本の群れだよ」

「群れって……でも、ある意味財宝の隠し場所ではあったわけだ」

 しかし、ここにあるのは本だけではない。テーブルや棚には、いろんな玩具や、いつぞや学校の図工の時間に雨音が作った紙粘土の恐竜など、厳密には財宝とは言い難いようなものまで、様々だ。

 手のひらサイズのブリキのロボットを見て、詩が独り言をつぶやくように言った。

「あ……こういうブリキの玩具も、けっこう今は貴重なものなんじゃないですか」

「おっ、詩ちゃん、よく気付いたね」

 上機嫌になった雪也と、褒められて同じく上機嫌になった詩は、手を合わせて喜んでいた。

「私のお父さんもこういうの好きだったりするんで。ここまで凝った凄いものじゃないけど、こういう趣味の部屋作ってるしなぁ」

 なるほど。詩の父親が本能的にこの店が好きな理由が、なんとなく理解できたような気もしなくはない。

 雪也とは全然違うタイプの、どちらかといえば、絵に描いたような文学中年というイメージだが。もしかしたら、彼には雪也もこの部屋のことを話していたのかもしれない。

 たとえば、ここは、雪也が認めた客だけが足を踏み入れることが出来る、特別な商品の置いてある場所、ということなのだろうか。

 いや、違うだろう。

 なんとなく返ってくる答えがわかっていながらも、晴斗は訊ねてみた。

「これは売り物じゃないんですか」

「売らないから、ここに隠してあるんだよ」

「じゃあ、一冊だけガラスケースに入れて店に出して飾ってあるのは……」

 そこに、こっそり十年前に晴斗が雨音へ書いた手紙が忍ばせてあるのは秘密だが。

「あれは見せびらかしたいから特別な」

「意味わかんない」

 雨音がぽつりと吐き捨てるように言うと、雪也は、いやいや、と、首を横に振った。

「大事でもいろいろあるだろう。大事だから見せびらかしたいものと、大事だから取られないように隠しておくものと。だから、ここにあるものは売るなよ」

「はあ、わかりましたよ。……本当に自由だなぁ……」

 ため息交じりに承諾する雨音に、雪也は開き直ってきっぱり言い放つ。

「いいんだよ。俺が好きなようにやるために作った店だ」

 ああ、そうですか。

 ぽそりと呟いた雨音の声が、コンクリートの壁にわずかに打ち返されてくる。

「こんなの、教えてくれなかったの、ずるい……」

 と、ぼやく声も。

 それに答える雪也の声は、耳の深い部分をくぐって行くように、鼓膜を通って行く。

「秘密基地だから簡単には教えないんだよ。知ってるか、秘密基地っていうのはな、本当は大人のものなんだよ。今まで培ってきた知力財力駆使して、自分が好きなものをとことん詰め込む。自分が好きなものに溢れた場所を作る。……そもそも、この店そのものが秘密基地みたいなもんにしたかったからあるんだ」

 最早、商売なのか趣味なのかわからないと呆れる雨音と相反するように、晴斗はうずうずして目を輝かせる。

「雨音と俺になら、この秘密基地を預けていい、って思ってくれたっていうことですよね」

「ばぁか。預けても譲ってもいねぇよ」

「えーっ」

「ただ、ちいっと、一人で持っておくにはもったいないと思っただけだ」

 ふっ、と、堪えきれずに雨音が笑い出した音が、狭い部屋にそっと響く。

「素直じゃないなぁ」

 それに、気まずそうにふいっと雪也は顔を背けた。

「うるせぇ」

 この古書店には、もっと意外な物語が眠っていた。大人が、自分のために作った遊び場だという物語が。

 この先、この小さな秘密の部屋に、どんな物語が紡がれていくだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼくの秘密基地(雨音と晴斗③) 胡桃ゆず @yuzu_kurumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ