結婚の先に
祐希は携帯を取り出し、LINEを起動した。実咲とのトーク画面を開く。昨日の晩届いたばかりのメッセージがそこに表示される。
『旦那が全然家事手伝ってくれない。家でぼけっと動画ばっか見て、あたしも平日働いてるんだっつーの』
『旦那の金遣い荒すぎ。食費だけで月10万ってどういうこと?』
そんな報告というか愚痴が、結婚式から2週間も経たないうちに流れてくるようになった。最初にこれを読んだ時は、祐希は単純に疑問が湧いてこう返事をした。
『そういうことってさ、結婚前にわかんなかったわけ?』
家事分担や金銭管理、どちらも共同生活を続けていくには欠かせないのもだ。当然話し合った上で結婚したのだと思っていたのだが、そういうわけでもないらしい。実咲からはこんな返事が来た。
『正直あんまり話したことなかった。しつこく聞いて結婚止めるって言われるのも嫌だったし』
つまるところ、実咲は結婚さえできれば後は何とかなると思っていたらしい。
適齢期になっても相手がいないことに焦り、たまたま自分を好きになってくれた相手と結婚した。でも実はその相手のことをよくわかっていなくて、結婚した後になっていろいろと嫌な面が見えてくる。実咲に限らず、それはよくあることなのかもしれない。
祐希が勤めている会社のパートさんも、昼休みのたびに旦那の悪口を言っては盛り上がっている。祐希はその光景を見るたびに不思議で仕方がなかった。そんなに嫌ならどうして結婚などしたのだろうと。
『ほら、結婚ってタイミングだから。その人のこと好きじゃなくても、これ逃したら結婚できないって思ってしちゃうもんなんだよ。そりゃ、お互いのこと好きで結婚できたら理想だけど、そんなのドラマの中にしかないんじゃない?』
あるパートさんはそんなことを言っていた。これから結婚しようという祐希達の世代にとってはあまりにも夢のない話。
でもそれが現実なのかもしれない。いつまでも結婚しない人だと陰口を叩かれるくらいなら、多少気になる点があっても見て見ぬ振りをして結婚する。そうして人並みの生活を送っていれば、自分は世間の本流から外れていないんだと安心できる。大事なのは愛よりも世間体。好きかどうかだけで相手を選べるのは学生の時の恋愛だけだ。
(でもさ、それっておかしくない?)
行き遅れたくないという焦りからたまたまタイミングが合った相手と結婚して、だけどすぐに相手への不満が生じて、お互いの存在を疎ましく思いながら建て前だけの結婚生活を送る。もし結婚生活がそんな我慢の連続だとしたら、どうして結婚した方が幸せだなどと言えるだろう? もちろん、中には好き合って結婚して仲良くやっている夫婦もいるのだろうが、そうでない夫婦がいるのもまた事実だ。
祐希はそんな風になりたくなかった。望んでもいないのに結婚して、自分の本当の望みを諦めることはしたくなかった。
祐希はLINEを閉じると、1週間ぶりにマッチングアプリを起動した。未読のメッセージが2件。新しく申込みも来ているようだが、祐希はそれをスルーしてプロフィール画面から退会画面に入った。引き止めようとするメッセージもスルーし、簡単なアンケートに答えて退会手続きを完了する。そこまで終えたところで電源を落とし、安堵して大きく息をつく。
いつの間にかバスは発車し、新郎新婦の姿も見えなくなっていた。女子高生達の話題も友達やクラブのことに転じ、結婚式のことはすっかり忘れ去られてしまったようだ。祐希はそんな彼女達の姿を眺めながら、ふっと笑みを漏らした。
あの子達にはまだ時間がある。クラブもバイトも、遊びも恋愛も、やりたいことはいくらだってある。それは自分も同じだ。
27歳。世間的には落ち着くべき年齢だと言われているけど、自分にだってまだやりたいことはたくさんある。結婚したい気持ちがないわけじゃない。でも今は、それ以上に大切にしたいことがある。
次の目的地を知らせるアナウンスが車内に流れる。祐希が下りるバス停だ。鞄から定期券を取り出そうとしたところでスマホのバイブが鳴る。また実咲からだろうか。スマホを取り出してLINEを起動すると、意外にも真美からのメッセージが表示された。
『この前アプリで会った男、二股かけてた。あたしのことマリとか呼んで。マジ最悪。』
次いで二通目のメッセージが表示される。
『もう男とか信じらんない。あたし婚活止めよっかな』
祐希は思わず苦笑を漏らした。熱しやすく冷めやすい真美のことだ。今はこう言っていても、たぶん3日もすれば新たな出会いを求めるに違いない。でもせっかくだから、もっと他の方面にも目を向けてほしい。そう思って祐希はこんな返事をした。
『ちょっと休めば? 別に20代で結婚できなかったら一生結婚できないわけじゃないし、婚活以外のこともやってみたら?』
結婚だけが幸せになる方法ではない。仕事を頑張る。友人との時間を大切にする。趣味に生きる。そんな様々な生き方があっていいはずだ。そこに年齢や性別は関係ない。
返信をしたところでバスが停車した。慌てて携帯を看板にしまい、バスから降りる。ちょうどそのタイミングで再びスマホが鳴った。取り出して画面を開くと、新着メッセージが1件。
『確かに習い事もありかも。そういうとこにも出会い転がってるかもしれないし!』
祐希の口から苦笑が漏れる。出会いを探す目的で勧めたつもりはないのだが、真美にとってはそれが一番大事なことなのだ。
そういう人はいくらだって頑張ればいい。結婚の先に待つのが幸せな未来ばかりとは限らない。でも、結婚でしか得られない幸せがあることもまた事実だろう。大切なのは、自分がどこに幸せを見出せるかなのだ。
自分が実咲やあの新郎新婦のように結婚式を挙げられるかはわからない。今は結婚することを決めたわけでも、しないことを決めたわけでもない。ただ、自分の心に素直になろうと思っただけだ。もし、このまま年を重ねて30歳を過ぎたとしても、それはそれで自分が考えて下した決断なのだ。後悔はしない。
いつの間にか雨は上がり、灰色の空にはうっすらと虹が浮かんでいる。そんな雨上がりの空を見上げながら祐希は家路を歩いていく。
雲間から差し込む太陽の光。それはまるで、年齢や世間の目という呪縛から解放され、自分の人生を歩むことを決めた、祐希の心に差し込んだ希望のように思えた。
いつかのジューンブライド 瑞樹(小原瑞樹) @MizukiOhara
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