とある雨の日

 それから約1ヶ月後の日曜日。カレンダーは6月に入り、洗濯物の乾かなさに頭を悩ませる時期が到来した。空は厚い雲に覆われ、一日中しとしととした雨が降り続いている。

 視界の悪いバスの車内、雨傘を片手に憂鬱そうに窓の外を眺める乗客の中に混じって、祐希もまたぼんやりと窓を伝う雨粒を眺めていた。その表情が沈んで見えるのは、何も外が雨だからという理由だけではない。

 アプリを始めてから早1ヶ月、祐希の婚活はすっかり下火になっていた。

 最初の頃はまだやる気があった。あんな気のないプロフィールにもかかわらず何人かの人が申込みをしてくれて、無事にマッチングが成功してメッセージ交換にまでこぎつけることができた。そのうち半分くらいの人は初回のメッセージすらなかったものの、後の半分の人はきちんと連絡をくれ、その後もやり取りを続けることができた。自分と同じように海外旅行が好きだという人もいて、お互いの行った国の話をしては思いがけず話が弾んだ。

 もしかしたら上手くいくかも――祐希もそんな期待を抱いたものだ。最初のうちは。

 何回かメッセージのやり取りをしているうちに、数人の人から会って話したいと言われた。正直気は進まなかったものの、ここを越えないと付き合うに至らないことはわかっていたので渋々了承した。

 でも上手くいかなかった。その日が近づくにつれてどんどん気が重くなり、何かと理由をつけては断れないだろうかと考えもした。それでも勇気を振り絞って何とか1人と会ってみたのだが、画面上で話をしていた時とは違ってほとんど話が弾まず、ただこの気まずい時間が早く終わって欲しいとしか思えなかった。そんな調子だから2回目に会おうとはとても思えず、そのまま連絡を放棄してしまったのだ。以来、他の人ともやり取りを続ける気になれず、アプリはもう1週間以上起動していない。


『1回で見切りつけたらダメだって! 何回も会ってるうちに慣れてくるし、他の人とも会ってみた方がいいって!』


 真美にはそう怒られた。たった1回上手くいかなかったくらいで諦めるなと言うことだろう。

 正論だとは思う。でも祐希としては、誰と何回会ったところで同じだと思っていた。

 メッセージで趣味の話をしているだけならいい。空いた時間にできるし、自分の好きなことについて話せるのは単純に楽しいからだ。

 でも会うとなるとそれだけではいけない。この人と一緒にいて楽しいか、付き合ってもいいと思えるか。そういうことを目まぐるしく考えながらその場を繕うのが途方もなく疲れるのだ。


『だからさ、一回で決める必要ないんだって。何回か会ってみて、気が合うなって思ったらそこで考えればいいんだし』


 真美はそう言うが、祐希としてはその何回も会うという過程を踏むのがすでに面倒なのだ。付き合うかどうかもわからない人のために自分の時間を割いて、それで自分の好きなことをする時間が減ってしまうのが嫌なのだ。でも、こんなことを言うと真美に言うと、だから自分はいつまで経っても彼氏すらできないのだと怒られるのだろう。

 ただ正直、祐希は自分の結婚願望が早くも薄れているのを感じていた。

 元々真美のように結婚願望が強いわけでもなく、結婚できなければできないでいいと思っているタイプなのだ。婚活をしようと思ったのも妹の結婚に触発されただけで、自分がそれほどしたいと思っているわけではない。だったら別に努力しなくてもいいんじゃないか――。最近の祐希はそんな風に考えるようになっていた。

「ね、見て、結婚式やってるよ!」

 不意に隣からそんな声が聞こえてきたので祐希は顔を上げた。制服を着た女子高生らしい2人組が窓の外を指さしている。祐希もその方向に視線をやると、教会のような建物の前で新郎新婦が記念撮影をしているのが見えた。ちょうどバスが信号待ちをしているため、祐希はその光景をじっくりと見つめることができた。パラつく程度とはいえ、外にはまだ雨が降り続いている。何でわざわざこんな時期に結婚式なんかやるんだろうと思ったが、そこであることに気づいた。

(そっか、今ってジューンブライドなんだ。)

 6月に結婚した花嫁は幸せになれるという言い伝え。それにあやかろうとして、あえて梅雨のこの時期に結婚式を挙げたのだろう。多くの人に囲まれ、祝福を受けた新郎新婦は確かにとても幸せそうに見えた。まるで2人の間にはこの先何の障害もなく、今の瞬間の幸せが永遠に続くと思っているような顔だ。

「あぁいうの見てると憧れるよねー! あたしもウェディングドレス着たいなー」

「やっぱ結婚するなら20代だよね! 年取ったらドレスも着れなくなっちゃうし」

 女子高生達はそんな風に声を上げてはしゃいでいる。20代での結婚希望者がここにも2人。だが、彼女達の気持ちは祐希にもわかる気がした。あの実咲でさえ、ウェディングドレスを着た時は別人のように見違え、自分はこの世界の誰よりも幸せだという顔をしていた。そんな姿に憧れて早く結婚したいと思う気持ちはわかる。

 でも、彼女達はわかっているのだろうか。結婚式で感じる幸せはほんの一瞬で、その後には長い長い共同生活が続くのだということを。

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