惑星パレパレの待合室

尾八原ジュージ

惑星パレパレの待合室

 友好条約とワープホールの整備によって、地球と惑星パレパレとの交流が始まってから、今年でちょうど10年になる。この記念すべき年に、地球の建設会社に勤めている俺は、地質調査のため単身パレパレを訪れた。

 そして風邪をひいた。


 高熱でフラフラしながら眺めるパレパレの薄紫色の空は、まるで奇妙な夢を見ているようだった。年間平均気温は摂氏25度、見たことのない花が咲き乱れる穏やかなこの星の気候は、春になると決まって体調を崩す俺とは相性がよくなかったらしい。

 俺が滞在しているホテルから最寄りの診療所までは、運よく徒歩で5分程度だ。なかなかきれいな建物で、内科のほかに小児科もやっているらしかった。

 受付にはパレパレ人がふたり立っていて、そのうちひとりが俺の受付をしてくれた。身分証明書を出すとき、俺は一応首から提げた翻訳機を指して、「これを使用します」と示した。まれに翻訳機ごしに話すのを嫌うひともいるので、確認するのはマナーみたいなものだ。

 受付のパレパレ人は、ミュミュキュルキュル、みたいな声を発してにっこりと笑った。翻訳機が『よい、了解、いいですよ』と言葉を発する。旧式のこの機械はちゃんとした翻訳ができず、当てはまりそうな単語を一通り並べたててくることが多い。相手の言いたいことは何とかわかるので、ないよりはマシだ。

 無事に受付を済ませて、安堵と共に少しだけ冷静さが戻ってきた。改めて受付係を見ると、体形と肌の色つや、身に着けているケープのような衣服のデザインから、どうやら若い女性のようだとわかった。せっかくなので若く美しい女性……と言いたいところだが、残念ながら俺には、パレパレ人の美醜がまったくわからない。それどころか、個体の区別すら危うい。

 パレパレ人は甘食のような形の小さな頭を持ち、そこから長くて伸縮自在の6本の脚が、クラゲの触手のように生えている。顔立ちは皆ウーパールーパーに似ていて、体毛はほとんどない。男性は茶褐色や灰色などの濃い体色、女性は白や薄い桃色など、淡い体色をしていることが多い。

 彼らは一般的に穏やかで親切な種族である。知能も高い。だが、地球人と体のつくりがあまりに違いすぎることを考えると、医者にかかるのは気が進まなかった。俺は医学や生物学には暗いが、仮にパレパレ人医師が地球人の患者を診ても、困惑して終わるのがオチではないだろうか?

 ところが会社の上司や同僚たちに尋ねると、

「パレパレで体調不良になったときには、とりあえず地元の診療所にかかった」

 と口をそろえるので驚いた。もっとも、自分と違う生き物だからといって、その診察ができないとは限らない。人間である獣医が、動物の治療をしているのと同じことかもしれない。

 何であれ、体調の悪化ばかりは自力ではどうにもならなかった。せめて鼻づまりだけでもどうにかしてもらわないと、ろくに眠ることすらできないのだ。このままでは仕事に支障が出る。

 かくして俺は、地球にいる先達のアドバイスに従うことを決めたのだった。


 受付嬢に促されて、俺は待合室の長椅子に腰かけた。竹のような植物からできていて、座ると籐椅子のように心地よくきしんだ。

 なかなか繁盛している病院らしく、待合室には何人かのパレパレ人がいる。俺の真向かいでは、灰褐色のパレパレ人が2本の脚を器用に使って雑誌を読んでいた。科学技術が進歩して、電子端末を気軽に持ち運べるようになっても、不思議と紙の本が残っている文明は珍しくない。特にパレパレ星の印刷・製本の技術は優れており、地球で美術品として取引されることもある。

 本のことをぼんやり考えていると、診察室から子供のわめき声が聞こえてきた。翻訳機が声を拾って、『ノー、やめてください、違います、注射』と勝手にしゃべり出す。俺は思わずおかしくなって、クスッと笑ってしまった。どうやら予防接種でも受けに来たのだろう。待合室で雑誌を読む男性といい、注射を嫌がる子供といい、こんなところは地球の病院と変わらないな、と俺は少しおかしく、懐かしい気持ちになった。

 なおもぼーっと腰かけていると、診察室から小さな子供が駆け足でこちらにやってきて、雑誌を読んでいるパレパレ人の隣に座った。どうやらこの子が、今さっき注射をされていた患者のようだ。その少し後ろから白い体色の、どうやら子供の母親らしい女性が歩いてきた。彼らの様子から、どうやらこのふたりと雑誌を読んでいるパレパレ人とは家族らしい、と俺はアタリをつけた。

 母親は子供にミイミャッと話しかけると、父親に何か告げてから診察室に戻っていった。彼女も何か検査や治療を受けるのだろうか。その間子供を見ているように、父親に頼んだのだろう。

 パレパレ人の子供は、父親によく似た灰褐色をしていた。男の子だろう。つぶらな瞳にまだ少し涙を浮かべていたが、もう機嫌は悪くなさそうだった。

 母親がいなくなると、彼は脚をニュルニュルと伸ばし、待合室の本棚から絵本を取り出して、父親の前に突き出した。が、父親はそれを制止すると、何事か言ってまた雑誌に視線を戻してしまった。子供は自分で絵本をめくり始めたが、やがてつまらなさそうにパタンと表紙を閉じた。

 俺は少しイラッとした。なんだあのオヤジ。自分の子供だろ? 絵本くらい読んでやればいいのに。

 芋づる式に、俺は俺自身の父親のことまで思い出した。大学まで行かせてくれたことについては感謝しているが、育児自体は母に任せっきりだった。俺も小さい頃はかまってほしくてよく声をかけたが、大抵はけんもほろろに扱われたものだ。そのくせ、今になって仲良くしてこようとするのが腹が立つ。それらを思い出すと、熱のこもった頭にムラムラと怒りが湧いてきた。

 パレパレ人の父親は、当然俺の気持ちなど知るわけがない。ひとりでいたときと変わらず、マイペースに雑誌を読み続けている。この男、さっき嫁さんに子供の世話を頼まれたのではなかったか? 自分さえよければいいのか? 見てみろ我が子を。少年は早くも待ち時間に飽きて、さっきから6本の脚をびろーっと意味もなく伸ばしては、ジワジワと縮めて遊んでいるじゃないか。他愛のない暇潰しのようだが、邪魔だ。パレパレの父親よ、百歩譲って絵本は読んでやらなくてもいい。だが注意はしろ。今さっき、別の患者がお前んちの子供の前を通れず、ちょっと遠回りをしていったところだ。それが目に入らないのか。

 俺はイライラしながら、親父さんの読んでいる雑誌の表紙を見た。どうやらグルメ雑誌らしく、パレパレ人が好むアルミャッシュとかいうトカゲっぽい生き物の姿焼きが表紙を飾っている。なかなかシズル感のある写真だ。見た目はちょっとアレだが、確かに焼きアルミャッシュはうまかった……などと考えていたら、何かの気配に気づいた。

 見ている。

 パレパレ人の子供が、俺をめちゃくちゃ見ている。

 星間交流開始から10年、今では地球人なんてさほど珍しいものではないだろう。子供がキラキラとした瞳で見つめているのは、どうやら俺の首からぶら下がっている翻訳機のようだった。旧式の見た目が珍しくて、彼の注意を引いたのかもしれない。

 まずいな、と思った。俺は子供が苦手である。相手が地球人だろうがパレパレ人だろうが、子供となるとどうやって扱ったらいいものかわからない。そもそも、なぜ俺がこの子をかまってやらねばならないのだ? こいつの父親がそこにいるのに。

 しかし翻訳機に注意を惹かれている子供は、いつの間にか迷惑な脚の伸縮をやめていた。待合室には、つかの間の平穏が訪れている。

 こうなったらこいつをかまってやろう、と決めた俺は翻訳機を手にとり、口元に近づけて「こんにちは」と言ってみた。翻訳機のスピーカーから、『ニャルニャルピョー』と声が出た。

 子供が目を輝かせた。椅子から立ち上がると、彼は俺の隣にやってきて、空いているスペースにチョコンと腰かけた。俺は父親を見た。相変わらずグルメ雑誌に夢中である。まったくこいつは、俺が誘拐犯か何かだったらどうするつもりなのだろう。

 子供は自分でニャルニャルピョーと、翻訳機に話しかけた。翻訳機は『こんにちは』と変換した。さすがに基本的な挨拶くらいは、まともに返すことができるのだ。彼は機械の役割を悟ったのだろう。嬉しそうにヒョコヒョコ跳ねながら俺を見て、ニコッと笑った。個体差はわかりにくいが、パレパレ人の表情はわかりやすい。愛嬌のある笑顔に、俺も思わず頬を緩めた。

「モリャリルョッ」

 子供の口から不思議な言葉が発せられた。どこかで聞いた発音だな、さてなんという意味だったっけ……と回らない頭で考えていると、翻訳機がこう言った。

『うんこ』

 俺は呆れた。なんということだ。地球からはるか138光年、ワープホールを使っておよそ3時間半。こんなに遠い、異星の地に来たというのに、子供というものはやっぱり「うんこ」が好きなのだ。少年は翻訳機が立派に「うんこ」を訳してくれたことを察して、脚を震わせて笑っている。

「モリャリルョッ」

『うんこ』

「ウンコ!」

 子供の口から、かなり正確な発音の排泄物が飛び出した。日本語はパレパレ語に比べれば発音が簡単だから、彼らにとっては覚えるのが楽なのかもしれない。それにしてもなかなかの習得速度だ。俺は感心した。

「ウンコ!」

『モリャリルョッ』

「キャキョキョキョキョキョ」

 少年は翻訳機と下ネタを言い合いながら笑っている……と、そこにさっきの母親が戻ってきた。子供が俺の隣で笑い、父親が夢中で雑誌を読んでいるのに気づくと、すぐに状況を察したらしい。ワリャワリャッと父親に文句を言った後、俺に何度もおじぎをした。

『ありがとうございます。ごめんなさい。子供、我が子、世話、手間、care』

 翻訳機が、彼女の言いたいことを俺に何となく伝えてくれる。俺は機械越しに「気にしないでください」と返事をした。

「ウンコ!」

 少年が叫んだ。翻訳機は『モリャリルョッ』と返した。

「キャキャキョキョキョ」

 彼は手を……いや、脚を叩いて喜んだ。


 会計を済ませると、親子は連れ立って帰っていった。反省したのだろうか、父親は我が子と、脚と脚をしっかり結び合わせている。子供は嬉しそうに、結んだ脚をブラブラさせながら「ウンコ!」と言って笑った。

 母親が何か話しかける。「それは地球の言葉なの?」などと尋ねたのだろうか? 少年はニヤニヤしながらまた「ウンコ!」と叫んだ。

 ああ、俺も幼少期は「うんこ」というだけで、なぜか面白くてしかたなかったものだ……去っていく少年の背中を見ながら、俺は自分の小さな頃を思い出していた。そしてこの遠い異星の地に、日本の子供と同じく「うんこ」という言葉で爆笑できる子供が誕生したことに、不思議な感慨深さと喜びを覚えていた。

 一家の姿は診療所のドアの外に消え、俺は熱にうかされた頭で考えた。さらばパレパレ人の少年よ。何に対してかはよくわからないがありがとう。そして彼のお母さん、お子さんに変なことを教えてごめんなさい。

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