一部 終章『三十路女、死にぞこなう』

一部 終話

 ――災厄の始まりは、一人の女だったらしい。


 彼女は我が子を溺愛する一方厳しくしつけていた。その子の行く道の何が最善で、何が最良なのか、見定めては導いた。

 とはいえその導きは自分本位で、我が子の夢や目標といったものは彼女の計算には含まれていなかったし、自分が良いと思ったものは曲げようとしなかった。いわゆる『毒親』の一種だったのかもしれない。

 彼女に育てられた子供のうち、長男は優秀に育ち、その妹は引きこもりになった。

 やがてその長男は、優秀さ故の傲慢さなのか、母に似て他者への思慮を欠いたのか。あるいは母に与えられた抑圧が、女への一方的な蹂躙の欲望に変わったのか。いまとなっては知る由もないけれど、彼は罪を犯した。判明しているだけで五人の少女が犠牲になった。暴行を加え、殺したのだ。

 彼の母は、優秀な我が子の罪を頑として認めなかったそうだ。そして、我が子が犯罪者とられたられたことに怒っていた。

 ……それはそれとして、彼女の正しさを押し通す――自分の正義を盲信して他人に押し付ける性分は、我が子のみならず近隣に住む人にも影響を与えていた。

 特に隣に住む老夫婦は割を食っていた、と獣災から難を逃れた町の人が証言した。庭の木や車の運転の仕方、家から漏れる音、洗濯物の干し方、道端での会話、回覧板を回した時のやり取り。兎にも角にも自分が『正しくない』と判断したことに文句を付けて、時には家に怒鳴り込んだり、近所に悪評を流したりしていたらしい。

 息子が死に、さらには犯罪者扱いされ、限界を超えたストレスがその老夫婦に向かったことは想像に難くない。


 ――彼女の家の二階。夫婦の寝室と二階から、大量の血痕が見つかった。


 そして、老夫婦のうち夫の方が、行方をくらましている。家からは、その男が定年前に仕事で使っていた、剪定バサミが無くなっていた。

 妻の方は、獣に襲われて死亡。日記には『夫が大変なことをしてしまったかもしれない』と記され、そこで記述が途絶えていた。


 全部、憶測でしか無い。ただ、堀さんが話してくれた捜査過程からの推測では、獣となったのはその問題のあった『母』の一家。そして、その一家をご近所トラブルの末に殺害し、獣になるきっかけを作ってしまったのは、隣に住む老婦人の夫なのだろう、ということだった。



 事件は『緑区獣災事件』と名前が付けられた。



 事件が終わり、私は検査を済ませて家に帰った。魔素をわりと消費しており獣素も多少蓄積していたものの、自分で施術を施して浄化できる範囲だと言われた。

 鍋島さんは入院した。

 あくまでも検査入院という体を取っているけれど、一時は少々危ない数値が出ていたらしい。椎名さんいわく「かなりキワキワ」だそうだが、鍋島が言うには「このぐらいいつものこと」だそうで、どっちを信用していいのやら……どちらも大げさに言っているようで、それぞれに思うところがあるような気がする。椎名さんは本気で鍋島さんが無茶したことに怒ってて、鍋島さんは自分は無事だとともかく伝えたい。そんな風に見えた。

 いずれにせよ、鍋島さんが取り込んだ獣素の量が多いことには変わりない。仕事を無理やり休ませるためにも、ともかく入院の措置を取る。椎名さんの態度はそんな感じだったし、病院側もそのつもりのようだった。


 私は一人で事務所に顔を出す。やることは多くあった。祓った獣の特徴、その獣がいた場所、日時。それらを報告書にまとめたり、逆に警察の側から情報提供をしてもらって確認したり。一度、無縁仏の埋葬も頼まれた。本来なら普通に弔い、荼毘に伏すだけで獣化は防げるのだけれど、死後日数が経った状態で発見されたため念のために、とのことだった。見習いの肩書は取れていないけれど、やらなければならない仕事だった。


 鍋島さんの代わりに仕事をしていた。荷が重いとまで感じないのは、単に重責を担うような仕事が無いからだ。実のところ電話一本にも戦々恐々としている。いつまで経っても電話は苦手だった。



 鍋島さんが退院したのは、一週間後のことだった。

「……お疲れさまです」

 退院おめでとうございますと言うかどうか迷って、そんなことを言っていた。半ば休暇代わりに施された入院だったし、おめでとうございますが適切かどうか分からなかったのだ。別に形式に則ってそう言えばよかった、とも思ったけれど、鍋島さんは笑って「お疲れさまでした」と返してくれて、ほっとする。

「すみません。僕が不在の間、事務所を任せてしまって……色々と迷惑をおかけしました」

「いや、そんな……良い経験になりました」

 事務の部分は、これからも負担しないといけない部分だと思う。全く何も分からないで任せっぱなしにしていると、非常時にどう動いていいか分からなくなるだろうし。自分でやって知っておかないといけないことだった。鍋島さんもそう思ったのか、一度「ありがとうございました」と言って、それ以上は触れなかった。

「……帰りましょうか?」

「そうですね」

 そんな素っ気ないやり取りをして病院を出た。私は車を運転できないので、二人で電車に乗ることになる。

 電車までの道中、歩いているとデパートにのぼりがかかっていた。九州物産展、だそうだ。見上げていると、横から鍋島さんが、

「明星さん、お腹……空いてませんか?」

 と聞いてきた。首を縦に振ってはいと返事をした直後、腹の虫が鳴った。自分の腹の音だ――と思いきや、鍋島さんが腹に手を当てて照れた笑いを浮かべていた。

「美味しいもの、ありますかねぇ」

「山ほどありますよ、きっと」

 そんな事を言って、デパートの中に入る。


 死にきれずに生きて、美味しいものを食べる。死からはどんどん遠ざかっている。結局自死の欲求は、現状への不満の裏返しだったのだろうか? ただ生きるのが面倒になったというだけで死にたかったのだろうか? そうだとも言える、そうじゃないとも言える気がした。

 いまもまだ心の奥底には、死への欲望が詰まっている。無くなったわけでも減ったわけでもない。死は常に隣にあるのだろう。現実がそれから目を背けさせてくれるだけで。現実から目を背けたその時、私は再び、死を見つめるのだろう。

 できることなら死の先に、獣がいないことを望むばかりだ。

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生きる気力も無いので、命がけで『獣祓い』はじめました 羽生零 @Fanu0_SJ

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