第249話 うまくいきすぎ?
それから三時間後。フェレが祝祭の主役から解放されてファリドたちのもとへ戻ってきた頃には、リリの胸と背中に痛々しく刻まれていた傷が、跡形もなく消え去っていた。
「不思議です……傷の痛みが、まったく感じられません」
半身を起こしたリリが腕を上げ下げしたり身体をひねったりしては、感触を確かめている。その表情がゆがむことはなく、確かに痛みを感じてはいないようだ。
「いやはや、お嬢はさすが魔族の血を引いているだけのことはあるの。この婆とは魔力が数十倍違う……治癒の業ならばすでに並ぶものなき領域に居ろう。カーティス神の奇蹟には及ばぬにしても……」
アレフの病を治した「カーティス神の奇蹟」は、こんな異国にまでその名を轟かせていた。死病であってもほぼ確実に治すその理不尽な業の威力は、魔術や巫術が及ぶところにない。だがそんな反則技を除けば、マルヤムの治癒術はすでに最高レベルであると、この経験豊かな術師が太鼓判を押したのだ。
「ううん、全部おばあ様のおかげだよ。私がすぐに治癒術を使えたのは、おばあ様がその魔力に触れさせてくれたからだし。普通の術師は、他の術師に自分の魔力をさらしたりしないものと母さんに聞いたよ、技を盗まれちゃうからって」
「普通の魔術師なら、そうなるじゃろうの。まあ、この婆は先が短いからのう……」
「おばあ様は私に、治癒に必要な魔力の波長と流しかたを教えてくれた。だからおばあ様は私にとって、二番目の師匠だよ!」
その言葉に、老婆はにんまりと笑った。老いているというのにその歯は綺麗に揃っていて、抜けた歯もなくやけに白くきれいなものだと、ファリドは妙なところに感心してしまう。
「そうか、お嬢はこの婆を師匠と呼んでくれるか……実に嬉しいことじゃの。一番目の師匠は……聞くまでもないかの」
「うん、私に身体強化と『粒の魔法』を教えてくれたのは、フェレ母さんだよ!」
「そうか、良い母をもって、お嬢は幸運じゃの。この婆も、こんな才ある子に、サティスの化身様に次いで我が業を伝えることができたことは、幸せなことと思わねばなるまいて」
優し気に目を細める老婆に、フェレが深々と頭を下げる。先程まで続いていた祭りの宴では、七、八人の男たちを撃沈するほど飲んでいたはずなのだが、酔いを感じさせるのはわずかに頬が桜色に変わっていることくらいで、相変わらずのクールフェイスを保っている彼女である。
「……こんな素敵な術を我が子マルヤムに授けていただいて、感謝の言葉も見つかりません」
「何をおっしゃるんだい。フェレ様こそ素敵な術をいろいろお持ちじゃないか。信じられない威力の魔術を振るってあちこちの戦で勝利をもたらし、兵隊さんたちに『戦女神イシス』と崇め奉られていると聞くよ。そりゃあ治癒の業も悪いものではないが、あんたは国を動かすすごい術をお持ちじゃないか」
「……でも、困っている人を助ける術の方が、私は好き」
老婆が、少し困った顔で小さなため息をつく。この人生経験豊かな術師は、短い会話でフェレの単純かつ純粋な価値観と、その危うい精神構造を理解したらしい。
「こんな純朴な子を戦場に引っ張り出すのは大変だねえ。隣に立つ男が、余程悪いやつだったんだろうね」
「ええ、かなり悪い男である自覚は、俺にもあります。だからせめて彼女の心だけは、守ってあげたいと思っていますが」
フェレが眉をあげて老婆の突っ込みに抗議しようとするのを制したファリドがそう答える。フェレの眉が緩むのを見て、老婆も口角を上げた。
「おやおや、仲がよろしいことだねえ。お嬢に妹か弟ができるのも、そう遠くはなさそうだのう」
ほとんど酔っていなかったはずのフェレが、老婆の言葉に茹でダコのように真っ赤になった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「こんなに順調にことが進むとは、まさに驚きだな」
皇帝父子は、この日起こった怒涛のような出来事でもたらされた興奮から、まだ醒めていない。気前よく振る舞われた祝い酒が多少頭を麻痺させたとて、今日一日でファリド一行が彼らにもたらした果実は大き過ぎて、なかなか彼らを眠りの国に旅立たせてはくれない。
生命の水を「女神」の力で与えられた砂漠の民は、「女神」をこの地へいざなってくれた皇帝とハディードに、決して背くまい。彼らが王都を取り戻すための工作に尽力してくれようし、こと成った暁には彼らの配下として、南方貿易の発展に努めてくれるだろう。
「ええ、父上。あり得ないほど都合のよすぎる結果です。ですが……あのお二人と一緒に行動していると、こんなことが当たり前に感じられるようになってしまうのですよ」
「味方として、テーベにとどまってほしいという望みは、無理か?」
「無理でしょう。彼らの価値観は、一に家族、二に家族なのです。権力や名誉は求めず、ひたすら愛する人との静かな暮らしを希求する、そんな者たちなのです」
「ああ、もちろん理解している、理解しているのだが……」
皇帝が、もう一度大きく首を傾げた。
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残念な追放魔女を育成したら めちゃくちゃ懐かれてます 街のぶーらんじぇりー@種馬書籍化 @boulangerie
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