第16話 みんなげんき

 あれ以来、お母さんはよく泣くようになった。今までよりも、お父さんの思い出話をすることが多くなった。あれこれ話して、笑った泣いて、散々泣いて、それからすっきりしたような顔をして、台所に置いてあるお父さんの遺影に向かって乾杯する。遺影を置くようになったのも、小さいお父さんが帰ってからのことだ。

 泣くようになった分だけ、お母さんは笑うようになった。そうして時々、小さいお父さんのことを口にして、「可愛かったわね」なんて言って、しゃぶしゃぶを作る。

 泣くのを我慢しなくなったお母さんは、ほんの少しだけ、お父さんに似ていた。



 私の方は、大学の通学授業が少しずつ再開して、久しぶりに友達と会った。マスクをつけた学生が大講堂にずらっと並ぶ姿は、正直言って圧巻だった。友達はそれを嬉々として写真に収め、メッセージグループに投稿した。それを隣で見ながら、私は「いいね!」と言うパンダのスタンプを送信した。


 それからもう一つ、これまでにない日課が増えた。園田くんと、夜にゲームをするようになった。もちろん、顔を合わせるわけではないけれど。

 島を開発するゲームをお互い持っていることがわかって、時々、一時間くらい二人で遊ぶことがある。私は、あまり熱心にゲームをやらず、ちっとも島の整備をしていなかった。それを見るなり、野球選手姿をした園田くんの分身は、黙々と雑草を刈り取ってくれた。

 ゲームの中で、簡単なチャットをする。私が雑に作ったキャラクターの頭の上に、吹き出しが浮かぶ。


『ごめんね』

『いうならおれい』

『ありがとう』

『ならよし』


 二人とも文字入力が下手くそで、あまり会話はしなかった。それでも、二人で島を駆け回っているのは楽しかった。まるで子どもに返ったような気分になる。平たい画面の中なのに、それはとても懐かしかった。


『さかなみて』


 園田くんが言った。珍しい魚を釣ったと言って、見せびらかしてくる。大きな魚だ。名前は分からない。


『すごいね』

『さかなすき?』


 どちらでもないけれど、その時ふと、小さいお父さんと泳いだ川の景色を思い出した。夏が息をしていると、私が呼吸していると、そう思えたあの景色を。


『すき』


 すると、しばらく書き込み中だった園田くんの吹き出しに、ぽんと文字が浮かんだ。


『てれちゃう』


 まるで小さいお父さんみたいで、私は思わず笑ってしまう。漫画のキャラクターみたいな顔をした園田くんが、頬を赤くして頭を掻く動きをして見せた。

 私はまだ、その動きを覚えていないから、吹き出しに文字を打ち込んだ。


『さかながすき』

『わかってる』


 そうして私たちは、川で魚を釣ったり、平たい夜空に流れ星を探したりして過ごした。

 いつかこんな風に、園田くんと本当に遊びに出かけたら、きっと楽しいだろうなと思う。その時には、歯を見せて太陽みたいに笑う、園田くんの笑顔が見たい。



 お父さんのお墓に足を運ぶ度、小さいお父さんのことをどこかで探してしまう。あの夢のような時間が懐かしい。もうお父さんには会えないけれど、あんな強烈な置き土産をされたら、忘れられるはずがない。

 私はずっと覚えている。家族がもう一度、ほんの数日だけ三人に戻って過ごした夏のことを。酷く蒸し暑くて息苦しい、妙な夏を。



 この夏が息をしていないことくらい、みんなとっくに気づいていた。

 だから、私は決めたのだった。夏が息を吹き返すまで見届けようと。お父さんが見られなかった景色を、たくさん目に焼き付けようと。空飛ぶ車に、洗濯物を畳むロボット。大砲みたいなロケットに、空に浮かぶふたご座。本当は泣き虫なお母さんと、お父さんのことが結構好きな私のこと。たくさんの思い出を抱えて笑う、家族のことを。


 だって私たちは、この先もずっと生きていくのだから。

 この夏の、延長線上で。

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この夏の、延長線上で 矢向 亜紀 @Aki_Yamukai

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