第9話 進歩
そして話は、三日後に戻ってくる。
会議室は剣呑な空気に包まれ、場の雰囲気を和ませようとして軽口を叩いたつもりのカイトも、むしろ火に油を注ぐ結果となる(カイトはわりとよくそういう失敗をやらかす)。
ミキは三人を会議室に案内した後、「報告書の印刷がそろそろ終わる頃なので、取ってきます」と言って部屋を出て行った。そのすぐ後、イコライはトイレに行くと言って、同じく部屋を出て行く。
「ソラちゃん」
カイトがソラに向かってささやいてくる。
「あれには深い意味はないと思うよ……あいつは昔から、大事な何かの直前にトイレに行くんだ。あと、空気が読めないのも昔からだ」
「それぐらいわかってます」ソラはむくれ面になって言う。「心配し過ぎです、カイトさん」
「そうか……じゃ、これはわかってるかな?」
「え?」
「あいつはきっと、ソラちゃんを泣かすようなことはしないよ……昔からイコライは、一度好きになった相手にはとことん尽くすタイプだった。尽くし方がちょっと歪んでいるだけで、本人に悪気はないんだ」
「……それもわかってます」とソラ。「でも、そうですか。昔からなんですか。それは知りませんでした」
「……」
余計なこと言わなきゃよかったな、などと、カイトは彼にしては珍しく反省した。
トイレから戻って来て、会議室のドアの前まで来た時、イコライはミキと鉢合わせた。フェアリィ社の白い軍服をビシッと着こなしたミキ。学校の制服を着ていたあの時と変わらない。かっこいい。
なんだか学生時代にもこんなことがあったような気がするな、と思いながら、イコライはハンカチをしまい、ミキよりも先に、会議室のドアノブに手を伸ばそうとした。
が、そのタイミングで、ミキが話しかけてきた。
昔から、ミキの方からイコライに話しかける時、理由は一つしかない。ミキは怒っていた。
「ねえ、あのロボット、なんでここにいるの?」
「え? どういう意味?」
「ロボットは呼んでないんだけど」
「ああ、そういうことか……メールには全員で来いって書いてあったから、てっきり」
「とぼけないでよ」
「は? とぼけるって、何を?」
「あのロボット、私に見せつけるために連れてきたんでしょ」
「……」
その時、イコライは、自分がミキに対して怒るのは初めてかもしれない、と思った。
「あのな、ミキ。俺にとって、ソラは人に見せつけるような『モノ』じゃないんだ。俺はソラのことを人間と同じように扱うことにしてる。なんでだかわかるか?」
「さあ? 使っているうちに情が移ったから?」
「俺は、学校を中退してすぐ働き始めた。実戦に初めて出たのは四年前かな。たくさん撃ち落としてきたよ」
「いきなり何の話?」
「ミキ。お前は軍大学に進学した後、去年卒業して就職したんだよな。実戦にはもう出たか? 何機落とした?」
「三機」
「あの子はゼロ機だよ。ソラは誰も殺してない」
「だから、何の話?」
「俺たちは人間として生まれた。良い教育を受けて、学校の成績も良くて、五体満足で……なんだって出来たはずだった。その気になれば、世界を変えることだって、出来たかもしれない。でもいま、俺たちはその力を何に使ってる?」
「説教を聞く気はないんだけど」
「ソラは誰も殺してない。あの子の手は引き金を引くためにあるんじゃない。あの子の手は、料理を作ったり、掃除をしたり、服を繕ったりするためにあるんだ」
「だから、何の話なの!」
「あのな、ミキ……俺たちなんかよりも、ソラの方が、よっぽど人間らしいんじゃないのか?」
イコライは、返事を聞かず、ドアノブを開けて会議室に入った。
だが、ミキはすぐ後を追いかけて部屋に入って来て、イコライの背中に、こんな言葉を浴びせた。
「自分を振った女にそっくりのロボットを買って、慰み者にしてるような男に、人間性について語られたくない!」
それを聞いて、カイトは口をあんぐりと開けて固まった。
イコライは、唇をぎゅっと結んで、何も言わなかった。
そしてソラは……真顔のまま立ち上がって、ミキの前まで歩いた。
ミキが、ソラのことを面と向かって見返した、その時。
ソラは、手を振り上げて、ミキの頬を張った。
パチン、という破裂音がして、部屋の中は静まりかえった。
信じられない、という顔をして頬を押さえるミキに向かって、ソラは言う。
「……昔、あなたとイコライさんの間で、何があったのかは知りません。でも、どうせあなたが一方的に悪かったんでしょう!」
「な、何を……」
「だってあなた最低だもの! ……イコライさんは、とっても優しい人なの。私みたいなロボットにも、ちゃんと優しくしてくれる人……そりゃ私だって時々、イコライさんがどういう人なのかわからなくなって、不安になることもあるけれど……でも、私にはわかるの! 本当はとっても良い人だって! そんなイコライさんに、あなた、一体どうしたら、そんなひどいことを言えるの?」
当然、ミキも言い返した。
「……あなたは、この男の本性を知らない。こいつ、頭がおかしいんだよ。いまは少し歳を取ったおかげで、まるで普通の人間みたいに振る舞えるようになったらしいけど、どうせそのうち本性が出る。狂った人間の本性がね」
「へえ? いまのあなたみたいに?」
「っ! このっ!」
ミキが、ソラを殴ろうとして腕を振りかぶる……が、そんな二人の間に、イコライが割って入って、ソラを守るように立ち塞がった。
手を止めたミキが、怒りの形相を変えずに言う。
「そこをどいてよ……あんたを殴るのは色々と問題があるけど、ロボットなら、殴れる」
「殴れよ、俺を」
イコライは一歩も引かず、毅然として言った。
「初めて会った時みたいに」
その時、
「はい、ストーーーーップ! そこまで!」
この場で唯一、修羅場と無関係なカイトが、遅ればせながらようやく三人を止めに入る。
「イコライ、ソラ。お前らやっぱりさっさと帰るべきだった。っていうか今すぐ帰れ。あ、ミキ、その手に持ってるのが報告書? 俺が受け取るから。ああー、説明を受けて、報告書も受領しましたっていう、サインか何かすればいいだろ? 俺一人で全員分サインするから。それでお開きにしよう。な? な?」
カイトが言うと、まずイコライが、ソラの手を引いて部屋を出て行った。ミキも、振り上げた手を下ろし、報告書を机に置いて、書類を取りに行った。
ミキはすぐ戻ってきて、カイトに受領のサインをさせる。
「あんたたちが今でもつるんでるなんて、びっくりした」
などと、ミキは嫌みたらしく言う。
「進歩ってものがないんだね」
「んー?」
カイトはペンを仕舞いながら、飄々とした様子でこう言い返した。
「俺はどうかしらんが、イコライのやつは、だいぶ進歩したと思うね」
「はあ? あれのどこが」
「……昔のイコライなら、お前さんを殴った相手のことを、半殺しにするまで許さなかったはずだよ」
「なっ……」
それを聞くと、ミキは黙り込んだきり、何も言い返せなかった。
墜ちないイカロス 関宮亜門 @Sekimiya_Amon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。墜ちないイカロスの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます