第22話 澪の気持ち

「失礼しました」


 職員室の扉を閉めては廊下へと出る。かなり長い時間先生に質問をしてていたようですでに窓からのぞく夕日は傾き、赤い日差しが廊下を照らしている。


 人気が減り、昼間の賑わいが遠のいた寂しげな雰囲気が漂う中、カツン、カツン、と足音を鳴らして歩き進む。

 しばらく歩けば、自分の教室の前へとたどり着いた。


 放課後になってからかなりの時間が経っているし、誰もいないだろう。そう思って扉に手をかけた時、中から声が聞こえてきた。


「私たち付き合わない?」


「それは好き……ってことだよな?」


 その会話で話している2人が仁と結衣さんであることはすぐに分かった。


 『告白』


 その言葉が頭に浮かび、手を扉から離して壁に寄りかかる。ひっそりと息を殺して、静かに耳を澄ました。


 勝手に聞くのは一瞬躊躇われたけれど、どうしても気になって耳をそばだててしまった。静寂が漂う教室では、2人の声ははっきりと聞こえてきた。


 きっと2人は付き合うのだろう。ゴールデンウィーク中に出かけるという話は聞いていたし、仁も結衣さんといるのは楽しいと言っていたのだから、好意は寄せているんだと思う。

 2人が付き合い寄り添う姿を想像してずきりと胸が傷んだ。


 応援するって決めたのに。仁を笑顔にしてくれる人なら、絶対お似合いだと思っているのに。未練が私の体を纏って離さない。


 仁の口から了承の返事が出るのを覚悟していると、予想外の言葉が耳に届いた。


「ごめん。付き合えない」


 え、なんで……。


 一瞬言葉の意味が理解できなかった。結衣さんも同じようで「え?なんで?」と驚いたような声が聞こえてくる。


「結局、結衣は俺自身じゃなくて俺の外側しか見てないから」


「そ、そんなことない!もちろん、仁くんの毎日勉強教えてくれる優しいところとかも好きだよ?」


「実はさ、俺高校デビューしてるんだ。だから中学までの俺は、そこまで見た目がよくなかったんだよ。だからちゃんと中身を見て告白してくれた人と結衣が違うのは流石に分かる」


 2人の会話は廊下に静かに響き続ける。冷めたようなどこか突き放す仁の声がやけに強く胸に刺さる。


「……なにそれ。意味わかんない。じゃあなんでデートの誘いに乗ったわけ?私の好意気付いてたでしょ?」


「それはごめん。申し訳ないと思ってる。……でも、付き合えない。まだ忘れきれない人がいるんだ」


 その言葉を聞いてドキリッと心臓が跳ねた。呼吸が浅くなり、息を殺すように両手で口元を覆う。ひっそりと何かを待つように。必死に何かを抑えるように。


「それって姫野さん?」


「……そうだよ」


 ぶゎぁと何かが溢れ出す。切ない痛みが胸に走り続ける。なんで。なんで……。


「あんな人のどこがいいの?仁くんだっていってたじゃない。愛想がないって」


「ああ、そうだな」


「コミュ障で話しにくいのも、共感してくれたよね」


「そうだな」


「それでもあの人がいいの?理解できない。どう考えたって私の方が完璧じゃない。なんであの子なの?何もしてないのに全部持ってて。私が欲しいもの全部持っててずるいよ。あんな勉強しか出来ないようなコミュ障がなんで私なんかよりいいなんて。ガリ勉女のどこがいいわけ?」


 結衣さんの冷たい言葉がぐさりと胸に刺さる。その通り。本当にその通りだと思う。上手く話せないし、人を楽しませるなんてもってのほか。いつも無愛想な感じになってしまうし、そのせいで仁に何度面倒をかけたことか。

 やっと最近少しは変わろうと思うようになったけれど、それでも全然変われていない。それなのにどうして……。


「……確かに結衣に比べたらあいつは口下手で言葉足らずだよ。愛想が悪いよ」


 仁の声が耳に届く。


 ああ、やっぱり。分かっていた。分かっている。自覚している。まだ全然変われていない。

 仁の言葉が重くのしかかり、ぐっと唇を噛み締め続ける。


 覚悟を決めて聞こう、そう思った時、仁はさらに言葉を続けた。


「でも、勉強のことだけは馬鹿にするな。あいつは、元々そこまで要領のいい奴じゃない。小学生のころはそこまで頭のいい奴じゃなかった。それが今では県内で1番の進学校の1位だ。あいつはすごい奴だよ。俺は尊敬している。毎日努力してるんだ。毎日コツコツ勉強しているんだ。それは簡単なことじゃない。途中で投げ出す奴がほとんどだし、俺だって毎日あれだけ集中して勉強なんてできない。俺はあいつのそこだけは尊敬してるんだ。努力を出来る奴を馬鹿にすることだけはやめてもらえるか?」


 それは晴天の霹靂。

 仁がそんなことを思っているなんて知らなかった。私のことを尊敬しているなんて思いもしなかった。


「なんなの、わけ分かんない。姫乃さんは嫌いなんじゃないの?」


「嫌いだったよ。嫌いだと思っていた。でも、今は分からない。ただ、一つだけは言える。積み重ねた長年の関わりはなくならないし、切っても切れない。間違いなく、あいつは俺の大事な幼馴染だよ」


 どうして仁はこんなに大事にしてくれるんだろう。いつも守ってばかりだ。いつも庇ってもらって、助けてもらって。離れたはずなのに、それでもまた庇ってくれている。


 なぜかたまらなく胸が苦しくなった。無性に泣きたくなった。どうしても伝えたくなった。これまで伝えてこれなかったこと全部、話せていなかったこと全部、どう思われてもいいから、私の気持ちをぶつけたくなった。


 こぼれ落ちそうになる涙を抑えていると、ガラガラと自分のいるところとは遠い方のドアが開く。

 結衣さんは「……そんなの知らないし。意味わかんない。なんかもういい。付き合うなんてこっちから願い下げだっての」と言い残して去っていった。


 辺りが静まり、遠くの部活の掛け声だけが聞こえてくる。今なら仁は1人きり。話すなら今だろう。今しかない。覚悟を決めて教室へと入った。


 こちらを向いた仁と視線が交わる。夕日が写り茜色に染まった瞳は綺麗で美しい。


「仁……」


「……澪か。聞いていたのか?」


「うん。勝手に聞いてごめんなさい。偶々先生に質問しに行った帰りで」


「そっか」


 淡々とした返事でなにを考えているのか分からない。仁は一体なにを考えているんだろう?聞きたいことはいくつもあった。その一つを選びとって投げかける。


「仁は結衣さんのこと好きなんじゃなかったの?」


「違う。好きじゃない。やっぱり、結衣に遠慮して距離を置いていたんだな」


「それもあるけど、一番は仁に上手くいってほしかったからだよ。結衣さんといる時の仁は楽しそうにしていたから。それならあまり関わらない方が結衣さんも安心できると思って……」


「そうだったのか」


「それなのに、結衣さんのを断ってるし。私のことを庇ってるし。……ほんと仁はなんでそんなに私を助けてくれるの?救ってくれるの?守ってくれるの?いつも大事にしてくれて、あんなに酷いことを言ったのに、それでも助けてくれて。私、仁になにも返せてないのに」


 もう、本当に仁は優しい人だ。これまでどれだけ救われてきたんだろう。どれだけ助けてもらってきたんだろう。いつでも守ってくれて、きっと知らないところでも守ってくれていて。

 それがどれだけありがたいことなのか知らずに、私は仁を傷つけてしまった。


「あの時、酷いことを言ってごめんなさい。仕方なく、なんてことを言ってごめんなさい。謝って済む問題ではないのは分かってる。酷く傷つけたこともわかってる。許して欲しいなんて思わないけど、でも、本当にあの時、あんな酷いことを言ってごめんなさい」


 抱えてきたものが全部溢れ出す。一度歯止めを失った想いがどんどん言葉になって出ていく。


 本当に後悔している。なんであんなことを言っちゃったのか。大事に思っているなら、それはきちんと言葉に出すべきだった。それを隠して恥ずかしいからと誤魔化して、想いを伝えず、逆のことばかり言って。

 今更謝って許して欲しいなんて虫のいいことは言わない。それでもちゃんと伝えたかった。きちんと今伝えたかった。


 俯いていた顔を上げて真っ直ぐに仁を見つめる。戸惑うように瞳を揺らした仁と目が合った。

 ふぅと息を吸い込み、想いを紡ぐように言葉にする。


「私、仁のこと好きだった」


 初めて伝えた想いはあっさりと言葉になった。だけどそれはとても大事なもので、切なく胸に痛みが走る。


「ずっと大切に守ってくれてありがとう。別れてからも、手伝ってくれて助けてくれて庇ってくれる、本当に嬉しくて有り難くて、いつもいつもありがとう。小さい頃からいつも一緒にいるのが楽しかった。助けてくれるのが嬉しかった。私を一番の味方でいてくれるのが凄い幸せだった。告白されて本当に嬉しくて、夢みたいでそれから毎日幸せだった。本当に本当に、仁のこと大好きだった。付き合っている時に伝えられなくてごめんね。ありがとうも言えなくて、不安にさせて、それどころか酷いことを言って本当にごめんなさい。ずっと謝りたかった。ずっと伝えたかった。……いつも守ってくれてありがとう」


 一気に吐き出して、震える声を落ち着ける。緊張してドキドキして未だに心臓が激しく拍動している。

 何を言われるだろう。こんなことを言ってなんて返されるんだろう。すごく怖い。なんて言われるのか不安で怖い。


 怖くて仁から目を逸らしてしまう。だけどやっぱり気になって俯きながらもう一度仁を見ると、仁の真摯な瞳と視線が交わった。


「……澪が俺のことをちゃんと好きでいてくれていたのは分かってた」


「そうなの?」


「ああ。そりゃあ確かに澪はいつも無愛想で口下手で何を考えているか分かりにくい奴だけど、10年以上一緒にいるんだ。流石に分かるよ」


 その語る仁の話し方は他人行儀なものではなく、かといって冷たいものでもない、ずっと話してきた馴染んだ口調だった。どこか呆れたようなからかうような親しみが籠った語り方。それはずっと聞いてきた声音だった。

 昔の雰囲気に釣られて「むっ、そこまで言わなくても」とこっちまで昔の接し方で反論してしまう。

 その私の言葉に仁はクスッと苦笑を零した。


「まあ、そういうことだから、澪が俺のことを好きでいてくれていたのは分かっていたんだ。それなのに澪に全部押し付けて、悪者扱いしてごめん」


「ううん、実際全然何も仁に伝えてこなかったし」


「いや、それでも何も言わないで勝手に理想を押し付けていたし、あの時自分勝手に決めつけて悪かった」


「なんかお互い謝ってばっかりだね」


「そうだな」


 クスリと目を合わせて互いに微笑む。それは今まで隔てていた壁がなくなったようで、はっきりと仁の優しい笑みが見えた。


「まあ、これからもよろしくな」


「そうだね。よろしく」


 過去には戻れない。戻るつもりはない。でもきちんと過去と向き合って、これからも進んでいこう。そう思えた。






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初恋リベンジ〜ハイスペック陽キャになって青春を謳歌するはずが別れた幼馴染と再会した〜 午前の緑茶 @tontontontonton

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