第21話 告白

 夕暮れ時の人気のない教室で、結衣の声は際立つようにはっきりと耳に届いた。


「私たち付き合わない?」


 放課後話があると提案された時からなんとなく察していた言葉。予想通り、結衣はその言葉を紡いだ。

 もちろん、その話がくる覚悟はしていたので答える用意はある。だが、その前に一つ確認しておかなければならないことがあった。


「それは好き……ってことだよな?」


「うん、私たちなら釣り合っているし、周りから見ても理想のカップルになれると思うの」


 自信に満ちた言葉は、彼女の心をはっきりと鏡のように映していた。そしてその言葉はやはり俺の予想をさらに確信させる。


「……俺のどんなところ好きになったの?」


「それは、学年でも有名でかっこいいし、頭いいし。みんな羨むくらいの人だから」


 何も躊躇うことなく話す結衣の言葉を聞けば聞くほど気持ちが冷めていく。冷たく冷ややかかに。ああ、やはり、彼女はそういうことだったのか。

 自分の答えを吐き出すと、その声は自分が思っていた以上に低い声だった。


「そうか、ごめん。付き合えない」


「え、なんで?」


 微笑みは消え去って、きょとんと目を丸くした表情に変わる。驚き、意外で戸惑うようなそんな表情。


「結局、結衣は俺自身じゃなくて俺の外側しか見てないから」


「そ、そんなことない!もちろん、仁くんの毎日勉強教えてくれる優しいところとかも好きだよ?」


 取り繕うに早口で捲し立てる結衣。その言葉が空虚に教室に木霊する。寂しく虚しくどこまでも空っぽで。中身のないはりぼてのようだった。


「実はさ、俺高校デビューしてるんだ。だから中学までの俺は、そこまで見た目がよくなかったんだよ。だからちゃんと中身を見て告白してくれた人と結衣が違うのは流石に分かる」


 もちろん、結衣のさっきの言葉が嘘だとは思わない。一部は本当なのだろう。

 だが、彼女が俺に好意を寄せる大部分は別のところだ。俺の見た目。頭の良さ。周りとの繋がり。どれも俺の外側だけを見たものだ。

 それが結衣にとっては俺に好意を寄せる理由になっている。


 可愛い人が好き。かっこいい人が好き。そういう人もいる。きっと結衣が今まで付き合ってきた人はそういう人達だったのだろう。

 それが悪いわけではなく、人それぞれの価値観、俺の価値観の問題だ。


 これまでにも何人かには告白されたことがあった。その時俺は決して顔はかっこいいとは言えない程度であったが、それでも好きだと言ってくれた人達だ。

 もちろん当時の俺は、澪のことが好きだったので断る結果になってしまったが、その告白は純粋に嬉しかったのは今でも覚えている。


 こんなときに助けてもらって嬉しかった。あの時に手を差し伸べてくれてありがとう。など自分の中身を見て、好きになったということを伝えてくれた。


 そこに俺の外見や周りからの評判は入ってこなかった。だからこそ、嬉しかったし、とても心が温かくなった。


 だが、結衣は違う。別に俺がどういう人間であるかはさほども関係ないのだろう。俺がどういう性格でどういう考えを持っているのかなんて気にしていない。


 結衣にとって大事なのは見た目と周りからの評価。それだけだ。そしてこれが今までに感じてきた違和感の正体だ。

 

 もし、もう澪への未練が一切なく、本当に結衣が俺の中身を見て好きになってくれたのなら、付き合おうと思ったかもしれない。

 だけど、外側にしか興味を持たない人とは、澪への未練がなくとも付き合う気にはなれなかった。


 色々な気付きととに吐き出した俺の想いに、結衣は僅かに黙る。だが、次には苦々しい表情を浮かべて、怒気の孕んだ声をこちらに向けた。


「……なにそれ。意味わかんない。じゃあなんでデートの誘いに乗ったわけ?私の好意気付いてたでしょ?」


 結衣の言葉がぐさりと胸に突き刺さる。

 確かに、思わせぶりな行動をしてしまった。彼女が好意を寄せてくれていると察しながらも、誘いに乗ったのは俺だ。

 それなのに付き合うことは断ったのだから、それは酷く不誠実だ。結衣が怒るの納得出来る。俺が間違えたから彼女を傷つけてしまった。そのことが重く心にのしかかる。


「それはごめん。申し訳ないと思ってる。……でも、付き合えない。まだ忘れきれない人がいるんだ」


 俺の過去の誤った行動が結衣を傷つけた。本当に申し訳なく思うし、自分勝手なことだとも思う。でも、気づいてしまった以上、付き合うということは出来なかった。

 だからせめて誠実であろうと自分の気持ちを明かした。理由を知ってくれれば少しでも溜飲が下がると信じて。


 だが結衣は、さらに表情を険しくして、冷たい声を放った。


「それって姫野さん?」


「そうだよ」


「あんな人のどこがいいの?仁くんだっていってたじゃない。愛想がないって」


「ああ、そうだな」


 知ってるとも。あいつに愛想がないのは俺が1番知っている。だが、それ以上にあいつにも優しいところがあるのも知っている。

 ぎりっと奥歯を噛み締めて、結衣の言葉の続きを聞く。


「コミュ障で話しにくいのも、共感してくれたよね」


「そうだな」


 頷きながらも、胸の内では黒いものが溜まり続ける。結衣の言葉は事実だ。だが事実だとしてもあいつのことを悪く言われるのは嫌だった。


 頷く俺に結衣は信じられないとでも言うように、語気を強めて早口で捲し立てる。


「それでもあの人がいいの?理解できない。どう考えたって私の方が完璧じゃない。なんであの子なの?何もしてないのに全部持ってて。私が欲しいもの全部持っててずるいよ。あんな勉強しか出来ないようなコミュ障がなんで私なんかよりいいなんて。ガリ勉女のどこがいいわけ?」


「……確かに結衣に比べたらあいつは口下手で言葉足らずだよ。愛想が悪いよ」


 沈み込むように誰に言い聞かせるわけでもなく静かに、でもはっきりとした声で、結衣と向かい合う。

 

 あいつが愛想が悪くて人付き合いが苦手なのは事実だ。他の部分を悪く言うのはまだ我慢できた。事実だし、俺の誤った行動の結果、結衣を傷つけてしまったのだから、そのぐらいなら我慢できた。


 だけど、それと勉強は別だ。勉強はあいつの努力の結晶なのだ。それを馬鹿にされるのは我慢出来なかった。俺の尊敬している部分を馬鹿にされるのは流石に許せなかった。


「でも、勉強のことだけは馬鹿にするな。あいつは、元々そこまで要領のいい奴じゃない。小学生のころはそこまで頭のいい奴じゃなかった。それが今では県内で1番の進学校の1位だ。あいつはすごい奴だよ。俺は尊敬している。毎日努力してるんだ。毎日コツコツ勉強しているんだ。それは簡単なことじゃない。途中で投げ出す奴がほとんどだし、俺だって毎日あれだけ集中して勉強なんてできない。俺はあいつのそこだけは尊敬してるんだ。努力を出来る奴を馬鹿にすることだけはやめてもらえるか?」


「なんなの、わけ分かんない。姫乃さんは嫌いなんじゃないの?」


「嫌いだったよ。嫌いだと思っていた。でも、今は分からない。ただ、一つだけは言える。積み重ねた長年の関わりはなくならないし、切っても切れない。間違いなく、あいつは俺の大事な幼馴染だよ」


「……そんなの知らないし。意味わかんない。なんかもういい。付き合うなんてこっちから願い下げだっての」


 結衣はぷいっとそっぽを向いて、それだけ言い残して教室を出て行った。その後ろ姿を出て行くまで、ただ眺める。

 そのまま結衣の姿が消え去り、人気が一切なくなった教室で、俯きながら小さく息を吐いた。


(間違ってばかりだ……)


 俺の軽率な行動が結衣を傷つけてしまった。せめてもう少し時間をかけてから、誘いに乗るか考えるべきだった。

 これでは結衣からしたら自分勝手で弄んだように見えているだろう。


 本当に酷いことをしたと思う。だが、自分の気持ちに気づいてしまったし、澪へと未練がある状態で付き合うことこそ、最も不誠実だ。だから断るしかなかった。


 本当に今になって色々なことに気付く。後になって、過ぎてからやっと分かる。


 澪とのことだってそうだ。

 澪はきちんと俺のことを好いてくれていた。今ならそう断言できる。

 

 確かにあいつは言葉数が少なかったし、表情にもほとんど出なかったが、それでもちゃんと好いてくれていたのは伝わっていた。付き合い始めた当初はその僅かな好意の伝わりだけでも満足していた。


 だが、自分の好きな気持ちが大きなり、だんだんとそれだけでは満足できなくなった。澪に勝手に理想を押し付けるようになっていった。無意識に。気付かないうちに。


 これをしたら喜んでくれるはず。こんなことをしたら笑ってくれるはず。好きなら向こうから誘ってくれるはず。

 

 そんなことを勝手に期待して、裏切られた気分になって、不満を持つようになった。


 そのことを澪に伝えたら、まだなんとかなっただろう。だがそれを相手に伝えずひたすら抱え続けた結果が、あの別れた日だ。


 澪のあのセリフにショックを受けて、今まで溜め込んだ不満をぶつけて、勝手に別れた。


 しかし、今考えれば分かる。あの澪のセリフは本心ではないだろう。きっとなんらかの事情があったに違いない。せめてその事情を聞くべきだった。


 でも俺は聞かずに逃げた。澪に全ての原因を押し付けて、勝手に思い込んで、避けて逃げて逃避して、現実から目を背け続けた。


 澪への未練があるなんて認めたくなくて、嫌いだと思い込んで。自分も悪いのに澪が全て悪いと思い込んで。


 きちんと向かい合おう。澪とちゃんと話をしよう。あの日のことを。あの間違えた日のことを。


 ぐっと拳に力を込めて、顔を上げる。窓からは煌々と紅く光る太陽がのぞいていた。

 教室全体を照らし、机と椅子の影が長く伸びている。しんみりとした教室でその熱だけが広がっている。


 いつ話したらいいのかは分からない。きっかけが掴めない。どう話を始めたらいいのだろうか?どんな感じで話を進めたらいいのだろうか?


 怖くないと言えば嘘になる。逃げ出したい気持ちも大きい。でも。向かい合いたい。その気持ちも大きかった。


 そっと息を吐いたところで、カツンと足音が聞こえた。

 誰だろうか?音の下前方の扉の方を向く。


————そこには夕焼けで少しだけ赤く染まった澪が立っていた。


 

 


 

 

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