第六章
第20話 ゴールデンウィーク明け
久しぶりの学校。玄関を出ると、陽気な日差しが地面へと降り注いでいる。晴れ渡る天気が、ますます夏が近くなってきていることを伝えてきた。
いつものように学校へと向かおうとすると、ガチャリと向かいのドアの鍵が開く音が届く。そちらを向くと、開いた扉から制服に身を包んだ澪が出てきた。
さらりと揺れる黒髪。太陽の光を反射して眩しく煌めく。白い陶磁のような柔肌はきめ細かく、雪景色のように美しかった。
ぱっちりとした二重の瞳がこちらを向き視線が交わる。長い睫毛がぱちくりと瞬いた。
「……仁。おはよう」
「あ、ああ。おはよう」
澪への気持ちを自覚したとはいえ、まだ整理がついたわけではない。向こうからしたら何も変わらないのだろうが、俺の中では大きく変わっている。
いつかは忘れてしまい込んでいたものが切なく疼く。動揺が悟られないように精一杯冷静を装って言葉を吐き出した。
「じゃあ、私、先に行くね」
「分かった」
澪はそれだけ言い残し、髪を靡かせて先へと歩いていく。揺らめく後ろ髪を見守りながら、少しだけため息を吐いた。
気持ちに気付いたところですぐに関係が変わるわけではない。相手からしたら俺の気持ちの変化など分かりやしないだろう。
関係を進めるなら話さなければ。あの日。あの思い出したくない別れた日。触れたくなくて記憶を閉じ込めた。逃げて逃げてずっと逃げてここまで来てしまった。
でも、この気持ちに気付いたなら向き合うしかない。どんな結末が待っていようとも。
だが、何を話せばいいのだろうか?どう話を切り出せばいいのだろうか?
触れ方が分からない。距離を空けた時間がそれだけ高く壁を築いている。進んで話を始める勇気はなく、何かきっかけがあればと思うもそんなものが都合よく起こるはずがない。
結局、切り出すきっかけを何も考え出せないまま、学校へと向かった。
教室には普段以上に気だるげな雰囲気が漂っていた。あちこちから「ねむーい」「今日休むか迷ったわ」みたいな声が聞こえて来る。休みが長いとそのあと学校に行きたくなくなるのはあるあるだろう。
そんな元気がない人達とは対極に元気はつらつな奴もいた。
「あ、仁!おはよう!」
教室には入るや否や、舞が明るい声で手を振って来る。その周りには美優や修、涼が集まっていた。
「おはよう、みんな。舞はほんと元気だな」
「えへへ、そう?ありがとう」
舞は嬉しそうに表情を緩めて微笑む。なんというか見ていてこっちの元気まで吸われそうだ。
あまりに元気な舞にますます疲れていると、涼が何か探る様子で口を開く。
「なあ、仁。昨日の結衣さんとのデートどうだったんだ?」
「あ、それ、私も気になる!どう?どこまでいった?ま、まさか手を出して……」
舞がにやにやとおっさんみたいな表情で身体を寄せて来る。
「おい、少しは恥じらいを持ちなさい」
「そうだよ、舞ちゃん。女の子がそう軽々しくしくエッチな話題出しちゃダメだよ」
俺の注意に美優も賛同してうんうんと頷く。だが、舞は白けた視線を美優に向けた。
「うるさい。美優だってむっつりなくせに」
「む、むっつり!?そ、そんなわけないから。勝手なこと言わないで」
舞に言われて美優は顔を真っ赤に染めながら否定する。だがその反応が既に答えを出していた。
「おい、舞。誰だって触れられたくないことはあるんだから、あまり言っちゃダメだぞ?」
「あ、そうだよね。ごめんね?美優」
「ちょっと、仁くん!私を勝手にむっつりにしないで!」
真っ赤になった美優をさらにからかうと、焦った声を出して必死に弁明してくるのだった。
「それで、結衣さんとのデートは結局どうだった?」
「特に何もなかったよ。普通に映画行って、その話の感想をカフェで話したぐらいだな。楽しかったよ」
一通り落ち着いたところできた涼が改めて質問に淡々と答える。
俺自身の気持ちには大きな変化があったが、結衣とのデート自体はあの後感想を話し合って別れて終わった。
そのことを思い出して答えると、涼はほっと安堵したように表情を緩めた。
「なんだ、よかった。仁がとうとう彼女持ちになったのかと思ってた。そしたら友人辞めるつもりでいたから、本当よかったよかった」
「え、それで俺達友達じゃなくなるのかよ」
涼のまさかの発言に呆れてしまう。
涼。お前はどれだけ恋人が欲しいんだ。必死すぎるだろ。きっと彼女が出来ないのはそういうところだと思うぞ。
思わず心の中でツッコんでいると、朝のホームルーム開始のチャイムが鳴った。
「ほら、席に着けー」
タイミングよく入ってきた先生の声と共に皆動き出す。急かされるように「じゃあな」と挨拶を交わして自分の席へと戻った。
時間が進んでいく。
昨日までの休みなどなかったかのように、いつもの馴染んだ日常が過ぎていく。勉強をして休み時間には友達と話して、お昼休みにはご飯を食べて、それはいつも通りこれまで通り何も変わらない時間だった。
だがひとつだけ変わったものがある。自分の心、想いを自覚したことだ。時々澪の勉強をする姿を眺めては再認識を繰り返した。
放課後、ホームルームも終わり、皆帰る準備を始める。机の中から教科書や参考書、筆箱なんかを取り出してリュックに入れていると、隣から声がかかった。
「ばいばい、仁。また明日!」
「ああ、じゃあな、舞」
ちらっと舞の横を見ると、既に準備を終えた修が立ってる。リュックを背負い、薄く目を細めてこっちを見ていた。
「修もじゃあな。それと……アドバイスは役に立った。ありがとう」
「そっか、役に立ったなら良かった。上手くやりなよ」
「ああ、もう迷わないよ」
修と互いに視線を交えて言葉を交わす。それはほんの少しの出来事であったが、修の表情は幾分か和らいだ。
「え、なになに?何の話?」
もちろん、舞には何の話か分かるわけもなく、きょとんと目を丸くして首を傾げている。そんな舞に「なんでもないよ」と修は誤魔化しながら、教室を一緒に出て行った。
きっと修にも背負ったものがあるのだろう。その経験が俺と似ていたからあんなアドバイスをくれたのだろう。
あの反応を見れたなら、修の救いになれたなのかもしれない。僅かな満足感を噛み締めた。
出て行く修達を眺めていると、不意に後ろから肩をぽんと叩かれる。
「仁くん、この後空いてる?」
「ああ、結衣か。空いてるよ」
「じゃあ、教室に人がいなくなるまで待ってもらってもいい?」
「……分かった」
結衣の真剣な表情にこくりと頷く。彼女のいつもと違う口調。雰囲気。きっとそういうことなのだろう。
彼女の気持ちにきちんと向き合おうと、ぐっと拳を握る。
「そういえば宿題間に合った?ゴールデンウィーク中に全然やってなくて昨日は大変だったよ」
「ああ、結構多かったし、確かに一日で終わらせようと思うと大変だよな。一応ゴールデンウィークの最初の方が暇で大部分はそこでやり終えてたから、間に合ったよ」
「あ、やっぱり仁くんはそうなんだ。なんとなくそんな感じはしてた。ほんと仁くんは頭良いよね」
結衣の羨むような声にまたしても引っかかるものを感じる。それを誤魔化すように曖昧に笑みを浮かべて返す。
「あはは。まあ、俺の場合、先にやっちゃってるだけだから」
そんな感じで色んなことを話して待ち続けると次第に人は減り、最後は誰も居なくなった。
ポツリと俺と結衣の影だけが夕焼けの教室に残る。静かな廊下。遠くで聞こえる部活の掛け声。人気はなくしんみりした独特の雰囲気が周りに漂う。
結衣はそんな空気に溶け込ませるように、淡い声で言葉を紡いだ。
「ねえ、仁くん。私たち付き合わない?」
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