第19話 結衣とのデート

 結衣とのデート当日、朝起きると、窓から覗く景色は曇天の空だった。いつもより部屋は薄暗く、昨日よりも僅かに寒い。まだ眠りたくなる身体を無理やり起こして、布団から出た。


 出かける用意を進めながら、昨日のことを思い出す。修の助言が頭から離れず、あまりぐっすり眠れなかった。

 何度考えても答えは出ない。なにをしたらいいのかも分からない。でも、だからこそ今日は結衣とのデートに行くべきだと思う。

 彼女と話せば何か掴めるかもしれない。修が言わんとすることが理解できるかもしれない。色んな意味で覚悟を決めて、結衣との約束の場所へと向かった。


 昨日と同じく駅前、人混みの中突き進む。上手く肩がぶつからないように避けながら進めば、結衣は壁に寄りかかって待っていた。


「悪い。待たせて」


「ううん。早めに来てただけだから気にしないで」


 結衣はにっこりと微笑んで軽くふるふると首を振る。


「やっぱり仁くんは私服もかっこいいね」


「そうか?」


「うん、凄い似合ってる」


「ありがとう」


 おそらく本音ではあるのだろう。その話し方は嘘をついているようには思えなかった。


「結衣もお洒落だな」


「そう?昨日楽しみで色々考えたんだよね。似合っているならよかった」


「そんなに考えてたのか?」


「うーん、少しだけね。よし、じゃあ映画行こ!」


「ああ、そうだな」


 そんな形式美にも似た会話をして映画へと向かった。


 道ゆく途中、色んな人とすれ違いながら歩みを進める。がやがやとした喧騒、周りの話し声が辺りに漂う。


「なんか見られてるな」


「きっと仁くんがかっこいいからじゃない?みんな気を取られちゃうんだよ」


「それなら結衣も一役買ってると思うけどな」


 言われてみれば確かに、この視線は学校で向けられているものと近い。だがここまでの人に見られてる理由には結衣の美貌もあるだろう。

 さらりとした色素の抜けたブラウンの髪。色気を纏う端正な顔。モデルかと思うようなスタイルの良さ。惹きつけられる理由は十分にある。


「あはは、ありがとう。じゃあ、もしかしたら私たち、周りからはカップルに見られてるかもね」


「それはあるかもしれないな」


 そもそもに周りから見れば、異性と2人で出かけているのは恋人と思うだろう。それは俺たちとて例外ではない。


「でしょ。でも、私たち結構お似合いじゃない?学校でも有名な人同士で同じクラス。仁くんはかっこいいし頭も良いし、付き合ったら楽しいんだろうな」


「そう……だな。結衣なら話してて楽しいし、上手くいくかもな」


 まただ。また違和感を抱く。抱えていた違和感が大きくなる。その違和感を強引に飲み込んで、かろうじて言葉を吐き出す。

 その言葉を聞いて結衣は「まあ、仮の話だけどね」と満足そうに微笑んだ。


 その後は他愛もない話をして歩くと、映画館へとたどり着いた。休日ということで中は人が多い。そんな中ポスターの貼ってある所まで向かう。


「どれか見たいのあるか?」


「うーん。私はやっぱりこの恋愛映画かな」


「いいんじゃないか?それにしよう」


「いいの?」


「ああ、それは俺も面白そうだと思うし」


 少しだけ不安そうに上目遣い見つめてくるので、強く頷いてやるとほっと安堵したように表情を緩めた。

 

 チケットを取り、時間になるのを待って中へと入る。中は薄明るく座席が見える程度に照らされている。指定された席を探し出して、並んで座った。


「ふふふ、結構近いね」


「そうだな。見てる途中で身体当たったらごめんな」


「ううん、全然いいよ」


 こうして女子と2人で並んで座ると、一緒にいるのだということを強く実感させられる。


 女子と2人で出かけるのはいつぶりだろうか?


 思い返してみると、おそらく去年の夏休み前に、澪とデートをしたのが最後だろう。

  澪とは腐っても恋人で一年半近く付き合っていたわけで、それだけ付き合っていれば色んな所に出かける。その一つにもちろん駅前の映画館は含まれる。


 付き合って初めて出かけた場所が映画館だった。あの時のことは今でも鮮明に覚えている。恋人という関係になった実感もあやふやな時期、本当に初めも初めの時に出かけたので、緊張であまり話せなかった。

 澪は相変わらず静かで変わらなかったが、俺が上手く話せないことで、沈黙がしばしば漂って気まずい思いを何度もした。


 今思い出してみると、とても懐かしく思える。あの時の緊張感。いつ手を繋ごうかずっと悩んで集中できなかったこと。でも最後には手を繋いで帰ったこと。色々思い出せる。


 あの日は映画館に行って、そのあとカフェに行きケーキを食べて、少し話して帰った。何気ないデート。至ってシンプルで普通のデート。でも俺には特別なデートだった。


 あの時と同じように女子と2人で遊んで、映画館に来ているのに、全く気持ちは昂らない。

 結衣は普通にいい奴だし話していて楽しい。それでもあの時のような嬉しさや緊張、不安なんかが入り混じったなんとも言えない感情は湧き上がらなかった。


 はぁと息を吐き少し待つと、だんだんと薄暗くなり、最後には館内が真っ暗に包まれて映画が始まる。


 映画自体はよくある恋愛映画だった。なんの関係もなかった男女2人が出会って恋に落ちる、そんな話。途中で障害がありながらも、互いに想いあって乗り越えて、最終的にはハッピーエンドを迎えた。


「面白かったね」


「そうだな、きちんと互いに向き合って認め合って良い主人公とヒロインだったよな」


「うん、本当にお似合いの2人って感じ」


 映画が終わって建物を出ながらそんな話を交わす。


 本当に良い2人だった。どんなにすれ違っても、きちんと互いに向き合って話し合って最後は結ばれる姿はまさに映画の主人公に相応しかった。

 俺もあの時向き合っていたら何か変わったのだろうか?


「どうする?この後は?せっかく同じ映画見たんだし、カフェででも感想を話さない?」


「ああ、いいと思う。どこかおすすめの場所知ってる?」


「うん、最近見つけたんだけど、ケーキが凄い美味しい所あるからそこ行こ!」


「そんな場所があるのか。楽しみだな」


 流石女子高生。自分よりも甘いものは詳しいらしい。どんなケーキがあるのか、少し楽しみになりながらカフェへと向かった。


「あ、ここだよ」


「ここって……」


「ん?どうかした?」


 建物の前で思わずたじろぐ俺に、結衣は不思議そうに首を傾げる。くりくりとした瞳がこちらを向く。


「いや、なんでもない」


「そう?じゃあ、中入ろ」


 首を振れば特に気にした様子もなく中へと入っていくのでそれに続いた。


 まさか、澪と一緒に来た場所にまた来るとは思わなかった。しかし、よくよく考えてみれば、俺もケーキが美味しいところを調べてここを選んだのだから、予想はつけられたはずだ。

 

 久しぶりに訪れたカフェはあの時と変わらず同じ時を刻んでいた。古めかしい時計。アンティークな棚。どこか懐かしさを感じさせる雰囲気が肌を撫でる。


「どう?いい感じでしょ」


「ああ。落ち着いていていい雰囲気だと思う」


 席についてメニューを見る。いつか見た時同じ茶色のカバーがついたメニューだ。


「これ。これが美味しいよ。この前来た時もこれ食べた」


 結衣が指差すケーキはやはり前に澪と俺が食べたものと同じやつ。シンプルな苺のショートケーキだ。


「じゃあそれにしようかな」


「分かった。私も同じのにする」


 どうやら結衣も同じのを食べるらしい。まあ、実際あのショートケーキは相当美味しいので、何度も食べたくなるのは分かる。

 ついでにコーヒーも頼んで、しばし待つことにした。


「そういえば、前にも一回お礼したけど、傘貸してくれたのありがとう。私の傘は華が勝手に借りて帰ってたみたい」


 先に運ばれてきたコーヒーに口をつけて、結衣がこちらを向く。


「そうなのか。取られてなかったならよかった。まあ、気にしないでくれ。俺が貸したかっただけだから」


「でも、あの時本当はもう一本の傘なんてなかったでしょ」


「ああ、まあな。なんで分かったんだ?」


「……姫乃さんと一緒に相合傘で帰ってたって話を聞いたから」


 ほんわりと浮かべていた微笑みを消して、僅かに声が低くなる。そのまま何かを探るような瞳をこちらに向けた。


「前にも聞いたけど、姫乃さんと仲良いの?」


「いや?中学が一緒だから何度か話したことがあるくらいだよ。あれは同じ方向に帰るからそれで入れてもらったんだ」


「そう……なんだ。じゃあ、別に仲が良いわけじゃないんだよね?」


「ああ、委員が一緒なだけで、それだけだよ」


「だよね。仁くんと姫乃さんじゃ釣り合わないもんね」


「ん?」


「仁くんはかっこいいけど、あの子なんていうか愛想がないというか、話しかけてもあんまり返事してくれないし」


「まあ、そうだな。姫乃さんはあんまり話すのは上手くないよな」


「でしょ。だから私、あの子結構苦手なんだよね」


 僅かに顔を顰めてみせる結衣。分からなくはない。俺自身があいつの愛想の悪さは知っているし、口下手で感情を表に出さない奴なのは嫌というほど分かっている。

 だけど、それを誰か他人に言われるのは、胸を抉られるような痛さがあった。


 苦々しいものを飲み込むように奥歯に力を入れる。ちょうどそのタイミングでケーキが運ばれてきた。


「お待たせしました」


「あ、やっと来た」


 ぱっとさっきまでの冷めた表情は消え去り、結衣は楽しそうに口元を緩めて机に置かれるケーキを眺める。俺も同じく目の前のケーキを見た。

 

 白に赤一点が飾られ、その純白さが際立つ。真ん中に置かれた苺が瑞々しく輝いている。


「じゃあ、食べるか。いただきます」


「うん、いただきます」


 サクッとフォークで取って一口食べる。口に入れた瞬間に広がる生クリームの甘さ。ふんわりと舌の上で溶けて消えた。うん、本当に美味しい。


 結衣はどうなのか様子を窺うと、結衣も俺と同じように口にケーキを含んで、目をへにゃりと細めながら柔らかく微笑んでいた。

 

————その姿が澪と被る。


 ……ああ、なんで俺は忘れていたんだろう。あの日、あの付き合って初めてデートをした日、俺は澪の柔らかな笑みを見た。


 ケーキを食べて「美味しい」と嬉しそうに微笑む澪はとても可愛くて、とても愛しくて、俺は澪が大好きだと改めて実感したのだ。


 好きだった。大好きだった。確かに昔、俺は澪に恋をしていた。それが別れて、俺はその気持ちは全て失った。捨てた。無くした。そう思っていた。


 でも、どうだ。今日思い出すのは全部澪との思い出だ。澪と出かけた場所。話した内容。澪の表情。声。仕草。どれも全部澪のことだ。


『違和感があるならもう一度だけ考えてみて欲しい。踏み止まることも一つの選択だということを覚えておいて』


 修のアドバイスが不意に蘇る。あの時は分からなかった。分からないふりをしていた。でも、今なら分かる。認められる。


 ああ、そういうことなのか。

 

 今さら自覚したところで手遅れなのは分かっている。過去は変わらない。変えられない。でも、認めることには意味がある。自覚して認識して、その上で生きていく。だから認めよう。自分の気持ちを。




————澪への気持ちはまだ残っている。


 

 


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