第18話 修への相談

「どうしたの?仁」


 修は振り向き、少しだけ目を丸くして驚いた声を出す。


「ちょっと、相談というか聞きたいことがあって。いいか?」


「うん、いいよ。この後は特に用事はないし。そこのベンチに座ろう」


「分かった。悪いな」


「いいって。僕も少し聞きたいことがあったしね」


 どこか含んだ視線を向けて、修は近くのベンチに座る。その隣に俺も腰を下ろした。


 ふぅ、と一息吐いて周りを見回す。駅前なので人気は多く、急足で何人もが俺たちの前を過ぎっていく。がやがやと喧騒が辺りを漂う中、そよそよと夏を運ぶ風が肌を撫でたと思うと、そっと修は口を開いた。


「それで、相談って?」


「修ってかっこいいって言われるのどう思ってるんだ?」


「かっこいい、か。まあ、普通に褒めてくれてるんだからやっぱり嬉しいよね」


「そう……なのか」


 やはり普通ならそうなのだろう。現に俺も入学した当初は嬉しかった。だが、それがいつのまにか、虚しいものにも思うようになっている。

 

「何か引っかかることでもあるの?」


「ああ、結衣によくかっこいいって言われるんだが、そのことが微妙にいつも引っかかるんだよな」

 

「ふーん、なるほどね。外側しか見られていない感じがするってことね」


 修は何かを考えるように顎に手を当てて、薄く呟く。その横顔には真剣さが窺えた。


「そうだな。中学までは見た目で褒められることがなかったから、慣れていないだけなのかもとは思うんだがな」


「まあ、そうだね。やっぱり一定数はいるよ。見た目だけで決めつけて中身を見ない人は。特に関わりが薄い人はね。でも、そういうのはだんだん慣れてくるよ」


 そう言う修の瞳はどこか冷めてうんざりしているようでもあった。

 きっと俺が知らない過去にこいつも色々あったのだろう。誰にだって過去はある。それを背負ってみんな生きている。


「僕も昔は色々気になったけど、舞や涼や美優がいたおかげで中学はとても楽しく過ごせたし、やっぱりあまり周りは気にしない方がいいよ」


「お前も昔は色々あったんだな」


「まあね。だからそういうのは慣れるしかないと思うよ。というより自然と慣れる。いつだって人の視線は付き纏うからね」


「分かった。ありがとう」


 修の言う通りだと思う。確かにまだ1ヶ月しか経っていない。それでは慣れるものも慣れないだろう。あまり気にしない方がいいのかもしれない。


 心の中で頷いていると修が話題を変えた。


「そういえば、最近舞の様子がおかしいんだよね」


「そうなのか?今日は元気そうだったけど?」


 一番騒いでいたし、一番動いていたのでそんな調子が悪そうには見えなかったが……。


「ちょっとね。舞って姫乃さんと仲いいでしょ?それで姫乃さんの陰口みたいなのに悩んでいるみたいで」


「は?陰口?」


 そんなものは聞いたことがなかった。クラスの男子と話している時にもそんな話題が出たことはない。


「うん、今は一部の女子の間でだけだから知らないのも無理はないと思うよ。まあ、よくある嫉妬的なやつ」


「あー、なるほどな」


 そういうのは、中学の時からあった。澪は愛想が悪く黙っていて真面目なつまらない奴、みたいな話をされていたことがある。

 見た目もよく、頭もそれなりに良かったのだからそういう意味で嫉妬を買っていた。


 今更なんとも思わないはずなのに、澪の陰口と聞いてもやもやが胸の内で渦巻く。


「そう。僕はあんまり気にしていても仕方ないって言ったけど、舞は優しいからね。やっぱり気になるみたいでさ」


「まあ、舞ならそうだろうな」


 舞は修みたいに頭では分かっていても割り切れるタイプではないだろう。

 それが彼女の良いところであるし、美徳でもあるのだから、割り切れないのは仕方のないことだ。


「仁はこの話を聞いてなんとも思わないの?


「は?なんだそれ」


 修のこちらの様子を窺うような視線を逸らさず受け止める。修の澄んだ瞳は俺の姿を揺らして映していた。


「見てれば分かるよ。色々姫乃さんのこと気にかけていたじゃん。それに帰り一緒に帰ったって話は何回か聞いたことあるよ。本当は大事な人なんでしょ?」


「別に、普通だろ」


 見透かすような視線にそれ以上耐えられず、目を逸らしてしまう。それでも出来るだけ冷静さを込めて言葉を吐き出した。


「ふーん。まあ、仁がそういうならそれでも良いけど。でもね、仁。ひとつだけ心に留めておいて欲しい」


「……なんだ?」


 修の声はとても真摯的で、何かを伝えようとしていることだけは分かった。


 修の気持ちを受け止めようと顔を上げる。そこにはどこか儚げで、憂うようなそれでいて安らかに微笑みをたたえる修がいた。


「仁の友達として、結衣さんと上手くいって欲しいとは思ってる。でも、違和感があるならもう一度だけ考えてみて欲しい。踏み止まることも一つの選択だということを覚えておいて。これは僕という先人からのアドバイス。距離感を計りかねて近づいたところで上手くなんていかないからね」


「……ああ、分かった」


 修の言ったこと全てを理解したわけではない。むしろほとんど分からない。だがそれでも修が修なりに何か俺に伝えようとしていることだけは分かった。


 強く頷くと、修も満足そうに頷き返してくる。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか」


「ああ、そうだな」


「結衣さんとのデート。明日だっけ?」


「そうだぞ。明日の午後から」


「そっか。午前中が空いているからってナンパするのはやめておきなよ?」


「やらねえよ。てか、お前も舞と同じネタでいじってくるな」


 まったく。最後のいい雰囲気が台無しだろうが。呆れて思わずため息が出た。

 修は俺のツッコミにくすくすと肩を揺らして笑う。ひとしきり笑い終えて、改めて向き合って互いに手を振る。


「じゃあな」


「うん、じゃあね。明日、頑張って」


「ああ。ありがとう」


 別々の方向へとそれぞれ歩き出す。すぐに人混みに紛れて、すぐに修の姿は見えなくなった。


 日は傾き既に薄暗く、赤く染まった空が西の彼方に浮かぶ。雲は彼方に揺蕩い、空と同じ紅で彩られている。

 四月前なら既に日が暮れていただろうがまだ太陽が残っているあたり、やはり日は伸びているのだろう。

 そんな寂しさが感じられる光景に向かって歩みを進め続ける。


(修のアドバイスはなんだったのだろうか)


 さっき見た修の顔と共にあいつがくれた助言が脳裏で蘇る。


 おそらく修が言っていた違和感とは、俺が結衣に対して抱いているものだろう。

 だからといって、もう一回考えるとは?

 修のあの感じだと俺と澪の間に何かがあるのは察しているはず。なら、澪のことでも考えろというのか?


 だが今更澪のことを考えて何になる。修はこの前のことを知らないから「考えろ」とアドバイスしたのかもしれない。


 澪はもう大丈夫だと言っていた。俺の助けはいらない。自分で出来ると言っていた。澪は俺と距離を置こうとしている。

 それなのに今更澪のことを考えても手遅れだ。もう俺と澪は交わらないだろう。互いにそれぞれの道を突き進むだけだ。


 他に澪について考えることがあるとすれば、今日聞いた陰口だろうか?


 修から聞いたその言葉は意外なものであったが、考えてみれば言われるのも納得できた。

 あれだけの整った容姿と学年一位の頭脳。まさに才色兼備という言葉に相応しい。そんな奴が無愛想で口下手ならその部分を悪く言いたくもなるだろう。


 これまで、中学の時にも同じようなことは何度もあったが、そのたびにクラスの空気を誘導して澪はいい奴という印象を与えて、陰口を言われないようにしてきた。今回も同じようなことをしろ、とでもいうのだろうか?


 だが、澪は一人でやれると言ったのだから

俺が何かをする理由はない。やる必要がない。

 胸の内に燻るもやもやを、強引に心の底にしまい込む。


 最近多少話すのが気に入っていたからといって、澪が嫌いな奴には変わりない。それなのに助けようと思うこと自体が馬鹿馬鹿しい。


 もういい。澪のことは忘れよう。自分が変わるつもりで明日のデートを受けたのだから。いつまでも澪のことなど気にしていられない。

 

 無理やり澪のことは頭の隅に追いやり、明日の結衣とのことを考える。そのまま家までひたすら黙々と歩き続けた。


 家に着く頃には外は真っ暗になり、辺りは黒い暗闇に包まれていた。その暗黒の景色に溶け込むように家へと入った。


 

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